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労働日記|山下公園でパンを食べる

夏休みは友達とたくさん会えてうれしい。横浜で待ち合わせた。

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 俺は少し遅れて、白と黒を身に纏った二人が向こうからこちらに歩いて来ていた。なんて久しぶりな、この一年は色々あって何だかとても長くてもう10年も会えていなかったような、そんな気持ちだった。パンを買って、山下公園に向かう。和をモチーフにしたお洒落なパン屋さんと賑わう中華街、都会らしい着飾った人たち。俺たちは少しだけ大人になったけれど、横浜という大都会に来ても芝生の上でパンを食べている。

 仕事の話とか結婚の話は大学生の時はほとんどしてなかったよなと思った。将来の人生設計なんて考えるのは少し寂しい。いまこの時にだけ目が向けられていたのは贅沢だったんだなと振り返る。もう大学生には戻れない。

 皆違う業界に行って、精を出している様子だった。未知の共同体で新人として入っていき、仕事がつらいと泣いたり、新しい出会いがあったり、恋をしていたり。どんな話題でも、あたらしい世界を探検する楽しさがあった。クラスメートがそれぞれあたらしい世界で孵り、よちよち歩きながらおもむろに辺りを見回しているような、そういう楽しさがあった。

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 嬉しかったのは、変わらないなあということ。こうやって、家族って何だろうねとか人生について恋について結婚について、思うことや考えをそれぞれ話す。自分の経験と本か何かで読んだことを参照しながら、言葉が口から溢れ出るように話す。つっかえると誰かが助ける。自分が話し過ぎないように、人の話も聞けるように気をつけながら。気をつけないと会話は出来ない。会話とはこうであったよなとほくほくしたりした。
 大学でも山下公園でも大して変わらない。変わらずにこうやって話している。それが嬉しかった。皆全く違う世界にいて、それぞれが話を持ち寄る感じは新しかった。

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 変わらないなと思ったのはもう一つあり、各々が他の二人のことを大事に思っているということ…友達、なんだけど、”友達”と大雑把に言ってしまえるものでもなくて、その、互いを大事に思う仕方は違うけれど、そこにあるのは、他の人の立場に立って思いやるという、愛なのかな、友情なのかな、何か美しいものが俺たちの中にあった。信愛(intimicy)と呼ばれるものかもしれない。

 会う前から、コロナに罹った友人への気遣いがLINEの画面に溢れており、それは、押し付けがましさや厚かましさを嫌う、さらりとした友情であった。コロナにかかった当の本人はそれを大事そうに抱きしめている。

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 仕事における卓越性は実に多彩であるなあとも思った。卓越性とは人によって違って、何で食っていくかは千差万別。ただパソコンに向かって事務作業するだけが仕事じゃない。社会に花を贈る仕方はもっと自由でいい、と励まされたような気がした。俺にとってはまたとない朗報であった。

 帰り道、一緒に歩いている時、一人前の大人って何だろうね、という話になった。NewYorkのバケットハットを被った友人は、人を信頼できるかどうかと言っていた。俺は良し悪しの分別がつくことだと答えた。

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 写真を撮ろうと言ってくれ、俺が腕を伸ばした。写真を撮ろうと言ってくれるのはありがたい。だいたいチャンスを逃して、写真がない。笑い方が同じだと背の高い友人が笑っていた。そうか、同じか、とうれしかった。




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建内 亮太
最後まで読んでくれてありがとう〜〜!