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俺たち若者ズ 2019

 先輩後輩文化が嫌いだった。今も嫌い。年がちょっと違うくらいで大して変わらんやろ、と思っていた。先輩を立てるとか、奢ってもらうとか、日本ってそういう文化があるじゃない。

 敬語を使うのも、使われるのも苦手。先輩と話す時は我慢したり無理したりすることが多いし、後輩が自分に合わせてくれるのも違和感があり…人と対等に話したいという気持ちが昔から強いかもしれない。

 歳上には敬語で話し、合わせないといけないという偏見を壊してくれたのは彼らだった。よくつるんでいた五人の中では俺が一番年下だったけど、敬語を使うことはなかったし、普通に友達として接してくれた。

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 社交的な所、知的で奔放にいられる所、心が開かれている所、あるべきよりもどうしたいかを優先できる所、何もかも羨まししかった。あと彫りの深さも。彼らのようになりたいと思った。

 個人として自律している所が特に好きだった。ちょっと無理して人に合わせるという発想がないから、大丈夫かな無理させてないかなと心配する必要がなかった。皆が自分のやりたいこと、やりたくないことを言いながら、自分のペースは自分で守る、互いがそれを尊重し合っているように見えた。

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 それと、日本人は、政治的なこととか哲学的な話題を友達と話すことは少ないんじゃないかと思う。日本共産党が好きとか、山添拓と田村智子を応援してるとか、そういう話ってあんまりしないじゃない。悲しみって何なんだろうね、他者って存在するのかな、幸せって本当に幸せなのかな、とか。

 タブーとまではいかないけど、そういう話題は出ない、気がする。皆が自分の意見を持っているという訳じゃないし、そういうことを考えてみることがそもそも少ないよね。どうだろう。

 考えてみること、本当のことを知りたいと思って、抽象的な話題で人と言葉を交わすこと、フランスとオーストラリアで高等教育を受けてきた彼らにとっては、それが当たり前の様子だった。すげえな、とどこか負けたような気持ちもしていた。

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 ただ、彼らといると、案外日本も悪くないね、とも思えた。日本に来てる留学生でJUMPとラーメンを知らない人はいなかった。日本ってカッコいいんじゃん!と思った。

 電車とかバスで順番守ってちゃんと並ぶ日本人いいね、と言われたことにも驚いた。”Organized”だよねと言われた。日本語だと何だろう、行儀が良い、とかだろうか。

 空気を読むとか本音と建前とか先輩後輩とか、俺は嫌だなと思っていた文化だったけど、相手に対するリスペクト、という意味では必要な場面もあるのだろうと思った。今は会社にいて、それを感じてる。

 「おい!邪魔だよ!どけ!」なんて言う後輩がいない日本の方が平和かもしれない。穏やかで優しいトマは日本をさかんに褒めちぎっていた。

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 彼らと一緒にいて一番びっくりしたことは、俺らはそんなに違わないということだった。彼らのことを、得体の知れない外国人だと思っていた。話が通じることも、ましてや分かり合うなんて想像したこともなかった。

 手巻き寿司に大量のワサビを入れてロシアンルーレットを始めてしまうような大学生だったし、これまでの恋と好きな人の話をして、どこまでしたことがあるかきゃっきゃっと話した。

 皆、過去のトラウマと癒すべき傷があって、進路と人間関係に頭を悩ませながら、おそるおそる人生に身を投じていく、同年代の若者だった。


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建内 亮太|Ryota Takeuchi
最後まで読んでくれてありがとう〜〜!