短編小説で自分のなかの自分に気づく
昨日は読書会を行いました。
なんと今年の5月にオンラインで再開してはや第12回目です。月に2回ずつ開催しているので、半年続けたことになります。これからもボチボチ続けていきたいとおもいます。昨日は4名の方(うち新しい方1名)が参加してくださいました。ありがとうございました。
その読書会で読んだ村上春樹の『沈黙』という短編小説がとても心に残りました。そして、自分を振り返るきっかけにもなったので今日はそのことについて書きたいとおもいます。
この『沈黙』という短編は村上春樹の読者であれば、「お、ちょっと感じが違うなあ」という印象をもつとおもいます。なぜかというと、設定に無理がないというか、ものすごくリアルで『まっすぐな』短編だからです。
読書会の参加者さんに聞いたのですが村上春樹の『若い読者のための短編小説案内』という本によれば、村上春樹自身の若い頃の経験をもとに書かれた短編だということでした。
物語は大沢という人物が自分の中高生の頃を回想しながら語るというスタイルです。
あらすじはこうです。
大沢は中高生の頃、もの静かで友達も少ない人でした。そんな彼を心配した家族のすすめでボクシングをやっていました。大沢さんには大嫌いなクラスメートがいました。ただ理由もなくただ嫌いなのです。その青木というクラスメートは成績もよく、みんなから人気もありました。でも、それだけで自分というものがなく「空っぽ」のように大沢には見えました。
でもこの男には自分っていうものがないんです。他人に対してこれだけは訴えたいっていうものが何もないんです。自分がみんなに認められていれば、それだけで満足なんです。そういう自分の才覚にうっとりしているんです。風向きひとつでただくるくると回っているだけなんです。
ある日、あることがあって、大沢は青木を殴りました。青木はその時は、何もしませんでしたが、実は用意周到な復讐を企んでいて、数年後、それを実行します。青木だけではなく、周りのクラスメートもみんな青木の味方をして大沢を排除しようとしてきます。大沢にはそれがショックだった。大沢はそれによって以後の人生、ずっと苦しめられる……という話です。
そして大沢は語ります。
僕が怖いのは青木のような人間ではありません。青木みたいな人間はどこにでもいますし、それについてはあきらめています。(中略)でも、僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。
ここを読んだ時、ゾクッとしました。なぜなら、今の社会のことをズバリ言っているようにおもったからです。誰かに対する悪質なSNSでの誹謗中傷。正義を振りかざして、集団で誰かを非難する○○警察……。
これは1991年に書かれた短編小説ですが、人間の本質というのは何年経っても変わらないのです。
そして、私は最初、自分は大沢だとおもいながらこの短編を読んでいましたが、次第に青木なのかもしれない……と思い、そして最後には大衆の一人でもあると思うようになりました。
自分の中にもいろいろな自分が住んでいる。でも、こういう物語を読むと、自分の中に住んでいる「流される大衆」「悪い自分」に気づかされます。それも自分だと認めながらも、それでもよい自分でいようと決心した秋の夜でした。
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