大いなるもののまえで
9月13日(日)の日記。
半年ぶりの取材だというのに、雨が降っている。
「どうしようかなあ」と思いながら、夫の淹れてくれたコーヒーを飲む。
車で出発して10分ほど進んだところで、
財布を忘れたことに気づく。心がざわつく。
「でも、気づいてよかった。取材先で気づいていたら大変だった」と言い聞かせる。
取材先についたら、駐車場もほぼいっぱいになりかけていて、わたしがとめたあとで、「満車」の看板がでた。よかった。
取材先は自然がいっぱいのいわば「パワースポット」最初は身の置き所がないくらいゾワゾワしていた。
ところが、30分から1時間、その場所で過ごすことで、自分がその場所に慣れていった。なぜかとても体がかるく感じた。不思議だった。
その場所はどこにいても川のせせらぎが聞こえた。雨上がりの、霧に煙る山の様子も幻想的だった。古来よりその場にある巨木には緑色の苔が優しくはりついていた。
「自分はなんてちっぽけなんだ」
大いなる自然を目の前にすると、いつだってそう思ってしまう。ありきたりだけど、今回もそう思った。自分の人生はおろか、他人(特に娘)の人生を思いのままに動かそうとするなんて、ばかげたことだとおもう。おもわされる。
自分もこの大いなる自然の一部なんだと、忘れては気づき、忘れては気づくことが大事なのかもしれない。そのために人は旅をするのだとおもう。
コロナ禍になって、日本語教師としての仕事すら危ういのに、ライターの仕事なんてもう依頼もないだろうと思っていた。ライター業はしばらく休業かな……と思っていた。事実、今年の2月の執筆を最後に、9月になるまでライターの仕事はしていない。
でも、ここに来て、今まで一度仕事したことのあるクライアントさまからも新規のクライアントさまからもご依頼いただきました。ありがとうございます。
人生山あり谷ありですね。あせらないあせらない。
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この日記帳『雪の上のあしあと』は2020年10月より、定期購読マガジン『ことばとつばさ』に統合する予定です。『ことばとつばさ』では日々の気づきや日本語教師の仕事について更新しています。今後ともよろしくお願いいたします。