三浦春馬ショック
彼が見捨てた世界には
急に衝撃的な方法で亡くなってしまって、どう言っていいのか、言葉がない。もう世間では彼の話は過去になってしまった。まだその話してるの?と言われそうだ。
でも、私はいまだにショックだし、彼は一体何に失望したのか、彼にはこの世界がどんな風に映っていたのか、考えてしまう。
コロナ禍で、医療従事者は最前線で戦っている。きっと保育士も、介護士も。配達員だって、スーパーの店員だって。私は3月からずっとオンライン授業で家にいるので、安全・安心なところで働いている。
「自分は何の役にも立たない」「自分は何をしてるんだろうか」という虚無感に襲われることは、このような非常事態にはよくあることだ。そして、こういう時期にショックな事件があると、過剰に反応してしまうことも。
彼のように有能な人が何に失望したというのか、彼が生きていて苦しいというなら、私なんてのうのうと生きていていいのだろうかと思う人はいるのではないだろうか。
私は、自分と他人を比べて落ち込む癖がある。その人にはその人の良さがあると頭ではわかっていても、人の評価や顔色を伺う。私は人気もないし、うまく授業もできないし、やめた方がいいと思ったことは何十回もある。
春馬くんとは関係ないことなのに、私も生きるのが辛い、とリンクしそうになる自分が痛い。
最近、カウンセリング に興味を持つようになった。今まで、日本語教師の仲間にも、担当している学生にも、うつ病やパニック障害の人が思ったよりも多くいることに気づいた。
今後、きっともっと、人は精神的に耐えられない状況が増えていくんじゃないだろうか。プライベートレッスンをしていると、たまに生徒さんから精神的な悩みを打ち開けられることがある。今までは、自信がないし、余計なことを言ってさらにダメージを与えるかもと怯えて、適当に流していた。でも、それはきっと冷たく映っていただろう。ずっともやもやしていた。どう関わるべきか。そして、これをきっかけに、日本語と心理カウンセリングができる教師になりたいと思った。
もう春馬くんはいないけれど、もう春馬くんのような人を出したくない。私にできるなら、この手で止めたいと思う。