92%ADHD:真正版【鬼太郎誕生】から思い出した父のこと
お゛が あ゛ざ〜〜ん゛!
お゛が あ゛ざ〜〜ん゛!!
お゛が あ゛ざ〜〜ん゛!!!
と、毎日 毎日、毎晩、
深夜2時から3時にかけて
家中に響く哀しげな声で
うめき続けていた父上 ……
(コレ、3年前)
取り憑かれたのか?あの世から母親が迎えに来ているのか!?!(◎_◎;)
ってくらい。
ともすると、早朝5時ごろにも
その母親を呼ぶ悲痛な声がとどろく…
[↑*あるモノに取り憑かれたおはなし]
あのころの恐怖の日々を思い出す
https://www.smt-cinema.com/sp/site/hiezu/movie/detail/?cinemaid=T0030223&mo=41481&type=0
野坂昭如氏と高畑勲氏の映画『火垂るの墓』
で描かれているような
ー ニンゲンセイを失っていった日々がある ー
ビクビクする日常から逃れたい…
もう、何も考えたくない……
シんだように眠りたい……
早くラクになりたい…
「 もう…世話しなくていいんだ…」
「ホッとした… 」
「ようやく安眠できる… 」
https://youtube.com/shorts/rWKIbaNYGUM?si=-TsFycwz7KcwSkLB
母上は午前中 しごとに出かける.
そのあいだ うちが、自宅で しごとをしつつ
父上の様子を"見守る係"だった.
{*心配,恐怖,不安
準備:転倒したら即母の職場に連絡}
自宅介護と病院療養を行ったり来たりが
約2年つづいた.
母上とじぶんは寝不足ぎみで
あたまがぼーっとしていた時期だ.
くすりの作用で ろれつが回らなくなる父上.
「 何言ってるかさっぱりわからん…」
変容していく父上サマ… 。
こどものようになっていく父上サマ.
七変化とはいかずとも、
父さまの人生において
5変化くらいは人格が"へんげ"した父上サマ.
じーっと ビー玉のような澄んだ目で
見つめてくる…。
{*少年になっている父上サマ}
(たぶん、こころを見抜かれる)
なので
適当に対応せず、
「「○⬜︎ってこと?』それとも
『△△ってこと?』どっち?」
って質問するようにしてた.
内容が合ってたときは それでおっけー◎
合ってなかったら〜?(´-`).。oO
「ごめんやけど、何言ってるかわからんから、
お母さん(父の妻)帰って来てから
もっかい言って」
と、承諾を得るようにした。
当時、駄々をこねられたかもしらんけど、
「すまん、うちの力量はここまでだ」 と.
届いてるかどうかは定かではなかったが、
言葉として伝えるようにしていた.
むかしむかし、てきとーに受け応えして、
親戚周りや 近所のひと達らと
トラブルになることが よくあったので、
そこは
『待ってください』 と おねがいする
てきとー言ってこじれて、
生活しにくくなるなら、
父上本人の意思を汲みとるように
したほうがいいと思った。
:
:
じつはその
お゛が あ゛ざ〜〜ん゛!
という叫びは のちに気づいたのだが、
い゛だ い゛わ゛ー!痛゛いわー!イタイわー!(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
だったようで、、、
結局のところ
それから2週間ほど後、
意思疎通するも ただうめき声だけで、
寝床から立ち上がり不可でとなって
救急車の番号を押し、
午前中に 来てもらい、
サイレンの音は私道で鳴らさないよう
おねがいをきいてもらい、
精神科のある病院に輸送措置をとることに.
父上の『精神科通い』いつから?
長年?いつから?
父上は、20代の頃から
精神科のくすりを大量に、9種類ほど
食後に摂取していて、
会社のすぐ側に『精神科クリニック』があって
ずーっとずっとお世話になっていた.
父上が牛乳を飲むときの口が、
まるで赤子がお乳を吸うようで奇妙だった
あれは、長子教育に厳しすぎた母を
求めるゆえの所作だったのだろうか…?
恥ずかしがり屋だからこそ、
ADHDだからこそ、
学ぶ。
努力の量をもってして、
こころの領域を
埋めていける。
精神障害者だから→『テキトーな扱い』
ではなく、
そのひとの「こころの眼に語りかける」
という感覚。
見ようととしつつ
話しかけていく
そんなかんじで
お父さんが若年性認知症になったかた
意思疎通ができなくなったと思ってるかた
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▶︎一歩踏み出せば
間に合います!
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つづく