あの!青年の〝シ〟ボディブローの如く効いてきた。vol.2
自分の人生、
生き方の転機となったできごと。
【生き方の指針】を 確定したできごと。
\\24歳で 自シ した同郷の女子の『シ』//
だった。
①そとからの評価 と
②ツライ気持ちをノートにのみ書き殴っていた
というのが、
あの青年の〝シ〟とよく似ていた。
( ´_ゝ`)
あんなに
周りからの評価も高く、
あんなに
教師たちから の支持率も高く、
あんなに
友だち 知り合い も多く、
まぶしい存在感を放っていた
そんな同郷の よいちゃん。
大学に行くために
いったん鳥取県の片田舎から
岡山に行って
卒業後、実家に戻り、
養護学校の教師になった。
警察官のお父さまがいる家だ。
幼少のころから
ヨーロッパの女の子のような
愛らしさ を持ち、
くるくるっとした天然の巻き髪
ショートヘア が
ユニセックスな雰囲気で、
他の姉妹のなかで
『 文武両道 』を兼ね備えている
そんな女子だ。
( ´ ▽ ` )
警察官のお父さまは
ソフトボール部の練習試合にも
かならず駆けつける。
いっぽう、
自分とこの親たちは
土日が休みというわけでもなく、
(まあ、試合に来られても
恥ずかしいというのもあったが(・・;))
その〝 溺愛ぶり 〟に関しては
とても うらやましかった。
。。。。
。。。
。。
。
まあなんで
このはなしをしているかっていうと、
まわりの期待のとおりの
人物像のとおり生きてきて
その本人自身も、
○◉●○◉●○◉●○◉●○
『みんなが喜んでくれるから、
この生き方でいいや』
○◉●○◉●○◉●○◉●○
って来れた時期は
よかったんだと思う。
(´・ω・`)
それが 途中で
「アレ?なんかちがうな〜?
や〜〜めよッ」
って言えなくなったんではないか。
ということで。
親たちにも
まわりの友人たちにも
誰にも『そうだん』
していなかったそうな。
大阪から
よいちゃんの墓まいりをしに
戻ったとき、
中学時代のソフトボールなかまと
よいちゃん家 に集まったとき、
よいちゃんは
音楽を作ってて
作詞作曲をしたものを
録音していた。
その歌声を聴かせてもらった。
もしかしたら、
どんなカタチであれ
音楽活動がしたかったのかもしれない。
まあ、なんにしろ、
自分のいのち を自ら放棄
してしまったから、
生歌(なまうた)を聴く機会も
なくなったわけだ。
その
『よいちゃんとしての人生』 を
どうしても
終わらせる理由 が あったんだろう。
『みんなが喜んでくれるから、
この生き方でいいや』
が、たとえば、
固定の仕事しながら
作詞作曲の 音楽人生 になっても
よかったんじゃないかな〜
(*´-`)
今となっては、
本人と、
はなすことも出来ないから
なんとも 憶測と 希望でしかない。
→→→€→→→
自分はというと、
英米文学科大学 の 就職活動中 に
「たぶんこのままでは、
コミュニケーション能力も低いし、
特化した資格もないし、
この先の人生
きっと 失敗する」
と、なんとなく
先が見えていた。
なので、
◉▲□◉▲□◉▲□◉▲□◉▲
《 好きなこと 》で
つらくても がんばれる
専門的な知識 と 能力 を
身につけたい!
◉▲□◉▲□◉▲□◉▲□◉▲
と、
22歳のとき思い、
2年間 帰省して、
アルバイトしながら
専門学校にいくための準備
をした。
世の中の
〈 大学出たら就職というコース 〉
から 大きくハズレた。
(`・ω・´)
という自覚はあった。
〝世間一般とちがう動き〟
を してしまっている
片田舎のニンゲン は、
近所、
親戚、
同級生、
知り合い
などなどの
それこそ、
自分と初対面のヒト、
たくさんのヒトたちから
予想以上に
非難するたぐいの言葉 を
投げられた。
(´-`).。oO
まあ ある意味
選別されてるんだろうな
□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■
『 ほんとうに おまえは
これだけ〝心ない言葉〟を
言われても
ソレがやりたいのか 』
□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■
ってことがネ。
よいちゃんの〝自シ〟で
よりはっきりしたこと。
強固になった指針。
*+*+*+*+*+*+
「よいちゃんが見れなかった
25歳以降の人生 を
〝自分のこころのまま〟生きよう」
けっこう、
挑戦しては 失敗し、
アップデートしていく、
という、、、
良いときも
そうじゃないときも
あるけれども、
自分のこころ を
偽らず、
自分のこころ を
だいじに し、
《 今日も 生ききった 》
そう思って いきている。
( ͡° ͜ʖ ͡°)