見出し画像

記憶が違っても

私には
今年89歳になった祖母がいる

私がおじいちゃんおばあちゃんと呼べる存在は
この祖母1人になってしまった


89歳ともなると、認知症のような明確な症状はなくとも
なんとなく会話が噛み合わなかったり
記憶違いがあったり
同じ話を何度もされることがよくある

これこないだも聞いたなー
とか
初めてって言ってるけど前もやってるの見たことあるなー
とか
そんな感じだ

まあ年齢を考えると仕方ないと思える


そんな祖母は運転免許を持っておらず
10年近く前に
祖父が入院しがちになった時は
バスに乗って毎日祖父に会いに行っていた

腰が痛いと言ってあまり動きたがらない祖母が
自分で用意をし、自分の足で病院に向かう姿には驚かされた

さらに、祖父が亡くなるまでの数ヶ月は
病院に泊まりこみ、週に1度だけ家に帰るという生活をしていた
病院の硬いベッドで寝て
持ってきたお弁当や売店、親戚からの差し入れを食べて過ごし
毎週金曜日だけは、私の母と交代して
1週間分の洗濯と泊まりの用意をしていた

祖父は癌と肺気腫を患い
長い闘病生活ですっかり弱っていた

その最期はとても穏やかで静かで
祖父の性格からして
祖父らしいなと思えるものであったが、
一方では
苦しむ元気もなかったかのようにも思う

食事もできなくなり
会話もできなくなった

それでも祖母は祖父に付きっきりで過ごしていた

祖父の最後も、祖母が看取った

2人きりの病室で。



そんな祖母も
祖父が亡くなって10年近く経ち
曾孫が増え
笑顔も多くなったが
未だに
おじいちゃんに会いたい
曾孫たちを会わせたい
と会う度に言う


先日、祖母と祖父の話をした


おじいちゃんは最後の日の朝
おばあちゃんとたくさん話をした
色んな話をしたんだ


と言う


私は頷きながら聞くが
祖父は、そんなことはもうとっくにできなくなっていたはずだった

その祖母の記憶の中の祖父は
多分、亡くなるよりも少し前の姿だろう

記憶が混同してしまったのか
本当に忘れてしまったのか
そう思い込んでいるのか
さては、そんな夢を最近見たのか


しかし、祖母の中に生きる祖父の記憶が
穏やかに修正されているなら
それはそれで良い気もする


例えば
おじいちゃんはとっても苦しんだ
とか
最後はすごく辛そうだった

など、現実よりも悪い形で
記憶が改ざんされてしまっていたら
いやこうだったでしょ?
と無理やりにでも教えてあげたくなるが

祖母が楽しそうな顔でそう話すなら
そうだったね。
と言ってあげたくなる


火葬される前
祖父の顔が見れる最後の時

おじいちゃん


笑って棺の中の祖父に手を振っていた祖母の姿を
よく覚えている


祖母は、何故か祖父の親戚と
そこまで仲が良くなかった

その真相が最近明らかになった

母親が祖母の親戚から
実はね、と聞いた話だ


祖母は、祖父と結婚する前に
他の人と婚約をしていたらしい

入籍する前に破談となったため
戸籍にバツはついていないので
息子である父親も知らないらしい

いくら未婚とはいえ
当時、他の人と婚約までしていた過去を持つ祖母のことを
祖父の家族は気に入らなかったそうだ

そんな祖母を
祖父は親戚たちからずっと守ってくれていたらしい
自分の親戚と疎遠になっても良いからと
祖母と結婚したそうだ

この話は
母と姉、私の中の秘密であり
父親はまだ知らない

わざわざ話すことではないだろうという私たちの判断だ


そんな親戚たちも
もうほとんどが亡くなり
そのしがらみはもう感じられないが
祖母が未だに
祖父を恋しく思う気持ちが
少し理解出来た

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?