もう、空気を読むよりも
「あの人は、空気が読めない」って聞くことがあるけど、空気が読めないって悪いことなの?
weblieoによれば、「空気を読む」というのは、その場の雰囲気を察して、暗黙のうちに欲求されていることを把握して履行することなんですって。文字にすると、なんだか凄いスキルね。まるで忍者みたい。
でも、「空気を読むこと」が良しとされているのなんて日本ぐらいじゃないかな?
空気を読むよりも、もっと広い世界を見よう
空気が読めないことで、人に迷惑をかけるなら良くないけど、集団の色に染まらない、自分の意見をしっかり言える、そんな人にまで「空気が読めない」とレッテルを貼ることもあるようなので、なんだかおかしい。
嫌われないために相手の顔色を伺う人や、「みんなが言うから」と自分の考えなしに同調する人よりは、空気が読めない人の方が健やかじゃないかな。そんな場に染まらないで、あえて空気を読まない行動が出来る人が側にいたら、実に頼もしいよね。
かつて日本は村社会だったこともあって、空気を読まないと生きづらい時代もあったようだけど、今はもう村八分にされることもない。とはいえ、未だに村意識が根強く残っている地域はあると思う。
それでも、それでも、もう空気を読むことを美徳とするのは、やめた方がいい。
みんな、自分が選んだ世界に住んでいて、自分のいる世界が正しいと思い込んでいるけど、正しさなんて、立場それぞれ、人それぞれ。時と場所が変われば、いくらでも変わる。
色々な人がいて、色々な考え方がある。
空気が読めない人もいる、あえて読まない人もいる。
空気を読んで忖度しなきゃいけないなんておかしいし、空気を読めないことを悪く言われる筋合いもない。
空気を読まない人に振り回されたり、集団で人を悪く言う人達と同調したり、それが不快なら、もう「空気を読む」必要なんてない。
自分だけの小さな世界しか知らないと、どうしても、そこで馴染まないといけないと考えがち。でも、世界は、もっと広くて、色々で、寛容。
空気を読むより、ニュースを読もう
既に大きな世界の方も様変わりしてきているけど、世界で起きていることと、私達の小さな世界に起きることは、無関係じゃない。
何千人もの難民が押し寄せてパニックになっている国があるということは、自分の小さな世界にも、異なる考えや思想を持った人々が入ってくるとも考えられる。
それから、このごろ日本中を賑わしている、何十年も日本のマスコミで絶対権力を握っていた会社の廃業だって、他人ごとではないはず。
経緯はどうあれ、大きな会社が新しいエ-ジェント契約の形態を立ち上げれば、これから先、こうした形態が広い職種でトレンドになっていく可能性もある。これは経産省が想定している、未来の働き方とも合致しているしね。
つまり何が言いたいかというと、もう空気を読んでいれば、守られて、安心していられる時代ではないということ。
空気を読んでみんなに合わせるよりも、自分がどうしたいのかをきちんと主張し、対等な契約や、人との平等な関わりを結べるよう、独自の考えや発言力を鍛え、ディベート力を高めていくことが必要になっていく。
時代は変わったし、人も変わらなきゃね。