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「森を見ず木に触れる」だけのことが、救いになることもある。

早朝、救急車の音で目が覚めた。
身近で感染者や、突然亡くなった人がいるせいか、心がざわつく。

私は健康だし、家族も友達も元気。今日もコーヒーが美味しいし、漫画を読んでバカ笑いもできるのに、それでも毎日心配は尽きない。

そのせいか、最近は気づくと木を触っている。

小さな頃から近所の木に登って遊び、学校に行きたくない時は、家から少し離れたところにあった、お気に入りの街路樹に抱きつきに行っていたからかもしれない。

私が育ったのは、森も林もない街中の住宅街だったから、おかしな子だと母は笑っていたっけ。

大人になってからも、神社の木、公園の木、そこらじゅうのちょっと良さそうな木を見つけると、つい触ってしまうことがあるけれど、ここ最近は、しょっちゅう触っている。

「触らなきゃいけない」と身体が反応しているのかもしれないな。。

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「木を見て森を見ず」という言葉があるけど、森がざわざわとしてうるさい時には、森を見ず木に触れるだけのことが救いになることもある。

長引く不安な日々、身を守るために重要な判断をしなければいけないことも多い時だけに、お疲れ気味の人は、耳や目を少し休めて、木に触れるだけの時間を持ってみて欲しい。

相性の良い木を見つけることが出来たら、力を与えてくれることもあるだろう。

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