夢か現か幻か 2025年の鍵は夢の中に
12/30の夜に、ちょっと不思議な夢をみました。
そんなこんなで、新年のご挨拶がちょっと遅れてしまいましたが、
あけましておめでとうございます
今年もどうぞよろしくお願いします!
前々から気になっていた2025年が始まったというのに、私の頭の中は、つい2、3日前まで2024年末のまま。あの夢のことを思い出しては、「あれはどういう意味なんだ?」と反芻していました。
いつもは、夢なんて覚えていないんですけどね。
夢というよりは、体験したような感覚があったので、もしかしたら、身体と頭の睡眠のタイミングがズレていたのかもしれないけど、なんだか気になってしょうがないし、暇さえあれば思い出してしまうし、考えようとするとぼんやりとしてしまう、、
そんなこんなで2024年の余韻に浸っていたら、あらら、もう一月も半ば。
気づいたら、2024年の空気も抜けてました…
さてさて、ぼんやり頭の私は、なかなか流れの速さに追いつけていませんが、世間では年明け早々から、また色々なことが起きているようですね。
胸が痛くなるニュースや、腹が立つ話題、なんでそうなっちゃうの?な事件も多々起きていますが、今年、これからは、ますます情報が過剰になって、人々の有象無象の呟きも溢れかえってくるので、流れてくる情報を鵜呑みにして、振り回されないよう心がけたいと思います。
皆さまもお気を付けください。
今年がどんな一年になるのかについても、占星術を含め、様々な界隈からたくさんの予想が出されていますが、大切なのは、どの情報を選択するかの前に、自分の体感覚を優先することだと思っています。
かつては、流れてくる情報を見ても、眉唾だと思いながら面白がれる余裕があったように思いますが、ここ最近は、自分が同期しやすい情報が流れてくる仕組みがどこにでもあるので、スルッと間に受けて取り込んでしまったり、頭がワイワイ騒ぎになりがち。
取り込むものは、自分で取捨選択して、自分の腹で消化しきれる量にしておくことが大事です。
今年は天体に大きなサイクルの移り変わりがあることから、社会に大きな変革があるのは必然。それらは、私たちにも大なり小なり影響があります。今までならあり得ないと思っていたことが当たり前に変わったり、崩れないと誰もが信じて疑わなかったものが崩れたり、日常において、ものごとを見る目が変わることも多々あると思います。
しかし、まあ焦らず。私たちも宇宙の秩序の中で生きているので、宇宙と共に参りましょう。
私たち人間だけは、なぜか自分の意志で自由に動いているように思っていますが、生まれたら死なない人はいませんし、体を構成している細胞の一つ一つだって、宇宙の秩序に則ってサイクルを繰り返して入れ替わっています。
なので、2025年をよりよく生きたいなら、まずは、この肉体を隅々まで感じながら大切に扱い、如何に五臓六腑を健やかに保つかも大事。これは、今年だろうが、来年だろうが、先の先の未来だろうが同じでしょうね。
そんなの当たり前だけど、当たり前が出来ていないから、私たちは苦しい思いをして気付かされる。。
原点回帰もこれからの鍵です。
ちなみに、私が年末にみた”夢か真かわからない夢”の体験もまた、心身の大切さを教えてくれていました。
この体験は、備忘録として書きとめておきますが、友人達がちょっと怖がっていたので、この先はご注意ください。
あれは、年末に帰省していた時のこと。
いつもより少し早く布団に入り、目をつむったところまでは確かな記憶。
気づくと、坂道を車で下る時に腰がフワッとするようなあの感覚があって、「そうか!身体を前にしゅるん、しゅるんと滑らせるように動かすと、すごく心地よいんだ」と感じていました。何も見えないけど、明るくて心地よかったので、しばし身体の感覚を楽しんでいると、意識が切り替わってどんでん。
私が寝ている枕もとの方から誰かが歩いてきて、胸の上にドスンと乗っかってきたので、「ああ、これが金縛りか…」と思っているうちに、身体が動かなくなってしまい硬直。
必死に体のあちこちに力を入れても動かない。声を出そうと息を振り絞っても声にならない。少しづつ少しづつ身体と同期していくと、ようやくフリーズが解除されて動けるようになったので、すぐに家族を起こして「金縛りにあったぁぁぁ!!」と伝えたところで、記憶はおしまい。
私が話しかけたのは、家族も覚えていたので、その辺りは確かだったようです。疲れや、慣れない実家の布団でおかしな夢を見ただけかもしれませんが、それにしても感覚は覚えているし、記憶もはっきりあるので、一体なんだったのか?
この頃は、もしかしてあの時ちょっと身体から抜けちゃってたのかもしれない、なんて思ったりもするのですが、どうなんでしょうね。
私はあまり慎重なタイプではないので、勢い余ってしゅるんと滑って飛び出しちゃうこともあるような気がするし、魂の出入りは、うなじからと聞いたことがあるので、慌てて入り口を間違えたのなら、これまた私らしい。胸から身体に入るなんて、ザ・たっちの幽体離脱ネタのようで笑える。だから上手く入れなくて苦しかったのかもしれない、、
なんて話を友人達にしたら、どうやらこれは面白い話ではなかったようなので、もう封印しますが、何はともあれ戻れてよかった。
人間の身体は器で、そこに魂が入っているという説は、なるほど納得です。この身体を動かすのは、なかなか大変なもので、いつも簡単にやっているけれど、実は簡単じゃないんですね。身体は大切にメンテナンスして扱わないといけないと、つくづく思いました。
人間がやるべきことは
この身体を大切に使うこと。
もう、これに尽きると思います。
ニーチェの言葉に「脱皮できない蛇は死ぬ」というのがあるけれど、脱皮してみないとわからないこともあるものですね。
人間は、脱皮して変化していくことよりも、脱皮しないでいることを選びがちですが、私の体感覚としては、脱皮した方が軽やかで心地よい感覚でした。
変わりゆく時の中で、どれだけ軽やかに脱皮していけるか、これも2025年の鍵でしょう。
ではでは、今年も共に歩いていきましょう。