ゲルハルト・リヒター展@豊田市美術館
はじめに
2022年6月の東京国立近代美術館に始まり、話題となっていたリヒター展。
私は美術への造詣こそ深くないものの、現代芸術に対して興味があり、美術館には定期的に足を運んでいます。
そんな中、豊田市美術館に現代美術界を代表する作家の個展がやってくるという噂を聞きつけ、展示を見てきました。執筆しているのは展覧会の期間終了後になりますが、感じたことを文章として残しておこう、それを内向きなものとしてではなく、公開してみるのも良いかなという思いで書いています。
読んだ書籍などに関して
上記の文章からも分かるとおり、展覧会へ訪れる以前の私のリヒターへ対する知識はほぼゼロ。東京での展示を観に行った友人のストーリーなどで様子をチラ見した程度でした。
結果として私は三度リヒター展に訪れましたが、一度目は知識のないまま行き、その後もっと作品のことを理解したいという気持ちが生まれたため、入手できる範囲で、2冊の本を読みました。
美術手帖は言わずもがな今回のリヒター展へ向け充実した文章が掲載されています。左の書籍は1996年に発行された、リヒターとの対談や1962〜96年までの日記が掲載されたもので、リヒターの絵画に対する態度の根幹や、アブストラクト・ペインティングを描き始めた時期あたりまでの作品についての知識を得るのに非常に役立ちました。
加えて、「聴く美術」というアプリ内で配信されていた音声ガイドも利用しました。(23年1月下旬で配信終了と書いてありますが0209現在まだ聴けました。)
リヒター展へ
いざリヒター展へ。豊田市美術館へ向かいます。
豊田市美術館は谷口吉生による建築作品としても有名ですが、豊田市の市街地近くにありながらも木々に囲まれ、別世界のような空気があります。
展示室8
豊田市美術館でのリヒター展は1階の展示室8から始まります。こちらはひとつの部屋ではなく、壁によって小部屋ような空間の連続した周回型の展示室になっています。
展示室を進んで最初に目に飛び込んでくる作品はこの鏡。
これには特に作品番号などはついていなかったため、あくまで展示のためのものであるのだと思いますが、最初の空間にはこういった鏡や、グレイ・ペインティング、フォト・ペインティングなどがあり、“みる” ”かく“という行為に対して思考を巡らせます。
突き当たりには映像作品もありましたが、抽象的かつ作品に関する情報もあまり得られなかったため、難しかったです。
さらに進むと、アブストラクト・ペインティングや肖像画を中心とした空間へと移り変わります。
なかでも私の気になった作品はこちら。
水色の爽やかさとは対照的に、赤色の禍々しさの際立つこの作品。リヒターが何を意図してこの作品を描いたのかについての情報は得られませんでしたが、私はこの作品を見た時に「春の祭典(ストラヴィンスキー)」を思い浮かべました。
春の祭典は言わずと知れたバレエ音楽、現代音楽としての傑作のひとつですが、この作品の描く春は日本の桜や新緑に関して思い浮かべられるような爽やかさ・明るさはなく、猟奇的でエネルギッシュ(他に適切な表現があるかもしれません)なものです。
私は春の祭典の影響から、今では春という季節に対して、暴風とも言えるような春風や植物の芽吹く力強さなど、以前とは異なる感覚を抱いており、その感覚をこの「3月」という作品に対して見出しました。(リヒターが何を思いこの作品を描いたのかはわからないままなのですが・・・)
この作品は美術館内のショップにてポストカードが売られていたのですが売り切れていたため、他の方達にも人気があるようです。
また進むと、次はカラーチャート、ストリップ、アラジンというカラフルな作品の集まった空間が現れます。
展示の冒頭で出会った、そのものを写しだすような作品とは対照的に、ストリップという作品は目がチカチカして、酔いそうなくらい視界を惑わすものであることに非常に衝撃を受けました。さらに8枚のガラスを通してみることで、真っ直ぐに引かれた線が歪みます。
「非常に衝撃を受けました」という一文でまとめてしまうとなんだかそっけないものですが、この展覧会で1番の衝撃がこの作品です。本当に、こんなことをするのか、と思いました。
またアラジンという、混ざり合う絵の具をそのままガラスに閉じ込めた作品も魅力的でした。
余談ですが、今回の展覧会の中心であるビルケナウに対して、カラーチャート、ストリップはカラフルで写真映えするため、インスタグラムで見かけるリヒター展の投稿はこの部屋の写真が多く、実際に写真を撮影している人も多かったです。
続いては、今回の展覧会の目玉である、ビルケナウの展示された空間へと進みます。四方の壁に“ビルケナウ{CR 937-1-4}”と“ビルケナウ(写真バージョン){CR 937E}”、“1944年夏にアウシュビッツ強制収容所でゾンダーコマンドによって撮影された写真{zu CR 937}”と“グレイの鏡 {CR 955}”が対になって掛けられています。
ビルケナウの作品の元となった{zu CR 937}が撮影不可だったため、ここの写真はありませんが、白い壁と茶色の床よって構成された空間にビルケナウの黒赤緑橙、そしてグレーの鏡がそれらと収容所で撮影された悲痛な写真と、“私たち“を映し出します。
そして展示室8を出て、階段をのぼり2階にある展示室へと向かいます。
展示室1・2
展示室1には2016年に描かれたアブストラクト・ペインティングの作品群が並びます。
音声ガイドではこの場面でシェーンベルク「ピアノ組曲 op.25」より「間奏曲」が流れていたのが印象的でした。そのほかの場面ではケージやライヒなどが流れていたことを覚えています。
続いて展示室2には、リヒターが「作品をもう制作しない」と宣言した後、2021年に描かれたドローイングが展示されています。
ドローイングでは、ただそこにあるものを受け取りました。
写真の作品は「小学生の頃、自由帳にこういう線を意味もなく描いていたな・・・」と思い撮影しました。
展示室3
そして次が最後、展示室3です。
ここには2017年に描かれたアブストラクト・ペインティングが展示されています。
展示室1での2016年のアブストラクト・ペインティングから、ドローイングの展示を経てここへやってくると、作品の中に“円熟の境地”を見出しました。
私は音楽が好きなのですが、音楽においても作曲家の作風として晩年になると表れる円熟みがあります。自身の方向性や最適な手法などが固まってきて、ミニマルな作風になっていくというような解釈です。
展示の横にある解説文では「描くよろこび」という言葉が使われていましたが、きっとそれが僕が見出したものなのだと思います。
最後、「ムード(Mood)」という2022年に描かれたばかりの新しい作品の展示があり、リヒター展は終わります。
おわりに
この展示をみて私に何が残ったかというのは、後にならないとわからないものですが、美術館の展示に関して学習をし、何度も会場へ足を運んで作品について思考するという取り組みは人生の中で初めてのものでした。
展示の性質上ということもあるかもしれませんが、とてもやりがいがあり楽しかったのでまたやってみたいなと思っています。