【短編小説】和女食堂・塩昆布レタスチャーハン
暇で暇で幸せ。最愛の彼氏と同棲を始めて、そろそろ一ヶ月が経つ。
付き合い始めて4年目。なんとなくこのまま結婚するのかなとお互い思い始めているけど、そんなのいつだっていい。まだ20代が終わるまで3年もある。
わたしの仕事はパソコンさえあればどこでもできる。なんとなく彼の家にお泊まりしたまま、週の半分以上を過ごすことが増えてきて、いっそのこと2DKぐらいのところを探して一緒に住もうという話になった。
彼の通勤の便を考えると、京浜東北線がベスト。SUUMOで毎日鬼のように検索した結果、大森駅周辺の物件が予算的に合うことを発見した。
名前は知ってるけど行ったことのない町。先月半ばの日曜日。彼とふたり、不動産屋さんの車に乗って内見したマンションが最高だった。
こんなきれいなマンションに彼と暮らせるなら、本当に幸せだな。彼も同じように思ったらしい。
「今日見せてもらった中で、最後のあの3階の部屋がダントツで良かったよね。思ったより広くて新しかったし。あそこに決めない?」
「そう言うと思った! 絶対あの部屋だよね! 嬉しい!」
ああ、なんて幸せなんだろう。彼には思ったことを何でも言えるし、大抵のことは意見が合う。一人でいるときよりも、彼といるときのほうが自分らしくて自然体でいられる。
引越し先の部屋は、駅まで歩くと15分はかかるものの、目の前のバス停に東急バスが3分に一度は来る。大きなスーパーもコンビニもあるし、個人商店もたくさんある。穏やかな良い町。
ただ、レストランだけは数が少ない。ファミレスはデニーズしかないし、チェーン系のカフェはゼロ。
大森グルメのハッシュタグでインスタやTwitterを見てるけど、駅近のお店ばかりで、昼間に家から一人でわざわざ行く気にはなれない。
ある日、Twitterに表示された美味しそうなチキンソテーの写真に目を奪われた。アカウント名は和女食堂。
プロフィールを見ると、「大田区中央にある隠れ家食堂です。その日冷蔵庫の中にあるもので、1から家庭料理をお作りします」とある。
へえ、近所だな。早速フォロー。それから毎日、和女食堂さんのお料理の写真を見るのが楽しみになった。
さて今日のパソコン仕事は午前中に終わった。買い物がてら、ちょっと様子を見に行ってみよう。
和女食堂のあるらしき建物の前に着くと、エコバックをふたつぶら下げたボリューミーな女性と目が合った。
「何かお探しですか? ひょっとして和女食堂?」
「えっ、そうです。あれっ、和女さんですか?」
「そうそう。良かったらどうぞ。今空いてます。また今度でもいいよ」
そう言われたら、行ってみたくなる。ちょうどお昼どきだし、自分で今から買い物して作るより、すぐに何か食べたい。
和女さんと一緒にエレベーターに乗って、最上階に着いた。ドアが開くと、何もないスッキリとした廊下とお部屋が。
およそ食堂らしさは全くないし、あまりにも何もなくて、ここで料理をしているとも思えない。
【お品書き】
カレーライス 200円
塩昆布と豚肉とレタスの炒飯 250円
豚こまの生姜焼き 280円
ミートソース 200円
ナポリタン 200円
冷出汁素麺 230円
ゆでレタス 60円
刻んだレタス 40円
キムチ 120円
レタスとプチトマトのスープ 90円
味噌汁(玉ねぎorじゃがいも)60円
ごはん 10円
麦茶 20円
アイスティー 40円
チーズ 40円
ゴーフル 小3枚 120円
和女さんがお品書きとお水を持ってきてくれた。
今日はチキンソテーはないんだな。カレーライスは一昨日作って食べたばかり。そしたら、塩昆布と豚肉とレタスの炒飯にしようかな。麺類よりごはんが食べたいし。
「すいません、えーとこの、塩昆布豚肉レタス炒飯と、玉ねぎのお味噌汁と麦茶をいただけますか? すいません」
すいませんて何度も言ってしまうのがわたしの癖だ。彼にも注意されるけど、なかなか直せない。根本的に悪い癖だと自分で思っていないのかもしれない。
和女さんはすごい早さで麦茶を飲み干したかと思うと、猛烈な勢いでレタスを刻み始めた。あんなにたくさん入れるんだ。
胡麻油の匂いが部屋中にして、たまごとごはんを炒める音とともに、フライパンをあおる姿が見えた。
あおりまくってるなあ。これはパラっとするだろう。最後にお醤油の焦げる匂いがちょっとして、お皿にモリモリとよそってくれた。
「どうぞー。多かったら先にタッパーにお取り分けしてもいいよ」
明らかに多い。タッパーをお願いして、食べる前に半分そちらに入れた。帰ったら家の冷凍庫に入れて、明日のお昼ご飯にしようかな。
いただいてみると、塩昆布の味と旨味がバランス良く全体に回っていて、とても和風で健康的な美味しさを感じた。炒飯というより焼き飯かな。全然ギトギトしてないし、お肉も柔らかくて優しい味。
「お肉の下味に鯛醤を使ったの。いい匂いがするでしょ。レタスと長ネギは最後に入れて、ほとんど火を入れてないんだけど大丈夫だった?」
「美味しいです! こんな炒飯だったら、毎日食べたいですね。どうしたらこんなに美味しく作れるんですか?」
「あーこれは中村和成シェフのレシピだから。インスタライブ見たらみんな作れるよ。ハプニングキッチンで検索してね」
ハプニングキッチン、ラボンヌターブル、塩昆布レタスチャーハンと書かれたメモを渡してくれた。親切な人。
「すいません、今度彼と来てもいいですか? 本当に美味しかったです」
「もちろんですよ! 大歓迎!」
彼が帰ってきたら、早速話してみよう。わたしは料理も好きだけど、外食も大好き。ご近所にこんな居心地のいいお店があるなら、常連さんになりたい。
「あざますー。330円です」
「あら、タッパー代は?」
「いいの。余ってるから」
「すいません、ありがとうございます」
またすいませんて言ったなあ、わたし。でも今の場面では、すいませんと言うべきだろう。買ったら100円はしそうなちゃんとしたタッパーをくれたんだから。
「すいませんてことないよ。来てくれてありがとうね。幸せオーラが出てる人がお客さんになってくれて嬉しいな。チキンソテーは大体いつもあるから、また来てね!」
「あれっ、チキンソテーの写真を見て来たの言いましたっけ?」
和女さんはただ微笑んでドアを開けてくれた。嬉しくて不思議な出来事。早く彼に話したくてたまらない。
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