「独身だけど、今日から親になります」 子供の感情を抱えて大人になった人への日記-6

今日は息子と一緒に“義父”の家に帰省してます。
実はこの義父に出会うまで、私は誰かの親になることを恐れていました。

私は実の両親とは険悪な仲でした。
父も祖父を恐れていて、祖父が認知症になって父の事を忘れてしまうまで、そのパワーバランスは変わりませんでした。

祖父が亡くなるまでに和解したのかどうかは、本人達以外に知るよしもありません。しかし私が手本にしたい父と子の関係ではありません。

母も祖母の「夫に付き従う姿勢」に違和感を感じていました。女性同士が見たら対等な友達みたいな親子に見えるかも知れませんが、私にはちょっと理解できません。

そして私自身も、保安系の職で腕っ節の強い父と、感情的になると杖や布団叩きなどで殴打してくる母から、身を守りたいがために武術を修めた経緯があります。

自分で書いてて吐き気がしてくるような家庭環境。それでも「良い家族」への憧れは消えませんでした。

「いっそ、あっちの家の子に生まれたら良かったのに…」が幼い私の口癖でした。

義父に出会ったのは大人になってからです。
彼は出会った頃、猜疑心の塊のような私に優しく時間を割いてくれました。

安いけど、こんなに美味いものがあったのかと言う手料理と酒を出し、話を聞き、また彼も色んな話をしてくれました。

「お前の事を愛しているし、誇りに思う息子だ」と言われた時にはどう反応して良いかわかりませんでした。

「例え大工が捨てた石のように、誰かに捨てられたお前でも、お前は俺の息子だ」と言われた時には涙が出ました。

「愛」がどんな物か、彼が結婚式でスピーチした時、不完全な自分でもどうすればいいか、わかった気がしました。

義父はその時、確かこんな話をしたのです。

「愛はきわめて辛抱強く、親切。
愛は決してねたまず、自慢をせず、見下さない。
愛はうぬぼれず、自分の利益を求めず、短気にならない。
愛は自分のやり方を押し通そうとはせず、いらいらすることも無ければ、腹を立てることも無い。
人に恨みをいだかず、被害者意識をもたない。
過ちを喜ばず、真理を喜ぶ。
愛は人に見切りをつけることがない。
愛はどんな時も希望を捨てず、あきらめず、最善を信じる。 才能や力はいつか尽きるが、愛に終わりはない」

そして披露宴の帰路、「愛を最高の目標に生きなさい」と私に呟きました。

そうして義理ではありますが、今、義父に倣って父親を始めました。

結婚?自分の家庭や子供?
正直まだ怖いです。いつか自分の父母と同じようになってしまうのではないかと…。

彼らも特別悪い人間なのではありません。私の個人的な評価は紛れもない毒親ですが、良くも悪くも悩みや苦悩を抱える人間。

でも愛は「人に見切りを付ける事は無い」のです。
この物語は、私が私自身に見切りを付けず、愛する事を始めた記録。
そしていつか、「自分自身を愛するように」、他の人を愛するようになるまでの道標。

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