ライナーノーツ 猫の真珠
猫の真珠/落合さとこ
(CDリリース用 ライナーノーツ 初稿より) ※実際のものとは異なります。
ライブでも音源でも、とかくシンガー・ソング・ライター というジャンルは当たり外れの振幅が大きい。
そもそもシンガー・ソング・ライターとは、音楽家というよりは生き様の表現者に思えるからである。
さらに、活動年月が長い、特に女性のシンガー・ソング・ライターにおいては、私の眼には、もはや執念で生きているようにしか写らない。
彼女たちが内臓を裏返して、声にして音にして表面にさらけ出しているように思える瞬間がある。
そんな、普通の人の何倍も生々しい"生き物"が、自らは楽器を奏でず、アルバムの全曲、徹頭徹尾、他者が弾くギター1本に抱かれて歌い切るアルバムを発表するには、いろんな意味で相当な度胸と覚悟が要ると、私は確信している。
今回の新譜は、構想の端緒から、演奏は笹子重治氏のギター1本でいくと決まっていた。
その決断の潔さが、おそらく、アルバム全体を貫く背骨になっている。
当然アレンジはすべてギタリストに委ね、硬いピアノ線では表現しきれないデリケートな情緒感を重視する。
笹子重治氏の本領である、ボーカルに寄り添いながらからまり、叩くのではなく爪弾き、歌い手の痒いところにくまなく届くナイロン弦と一体化した有機的なサウンドをふんだんに発揮してもらうのだ。
そのために最もシンプルな編成が求められた結果なのである。
歌い手が楽器の演奏に気をとられることなく、自分が書いた作品の歌唱のみに集中する。
繰り返しになるが、この場合は特に、歌唱の肝は、どうしても、歌詞なのである。
実は、シンガー・ソング・ライターの表現する"生き様"は、少々歌や楽器がお粗末でもオリジナル作品の歌詞さえよければ意外に楽しめるものなのである。
けれども最近は特に、歌詞を味わう習慣がない人がやたらと増殖してきたので、その行く先は相変わらず暗くて険しい。
それでもなおかつ歌詞にこだわり続けねばならないのが、シンガー・ソング・ライターという"生き物"の本来の定めなのであろう。
"はじめに言葉ありき"である。
クラシック音楽やアカデミックな世界と、そのあたりが決定的に異なる。
果てしない理想と自己嫌悪とジレンマが修羅の道につながっていく様を外から眺めるのは残酷だが楽しい。
たしかに趣味がいいとは言えないが、際どさに秘める深い魅力を求めるのもまた……今の時代はあまり流行らないが……音楽の楽しみ方のひとつであろう。
首都圏でのレコーディングが終了した時点で、私にはすでに、このアルバムが"最高に贅沢な音楽"だと確信することができた。
もちろん、今まで自分が関わってきた、どんなアルバムよりも……。
(久保研二 / 作家)