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エッセイ 高等部の思い出 【隣りの席】
中学部の3年生の時の悩みは、今の金欠と同じくらいにわかりやすかった。
それは、中学部から高等部へ進学できるかどうかの一点。
私が通っていた中学は、私学のいわゆる名門校で、中高大の10 年一貫教育が売りだった。
私は小学生、高学年の時は秀才だった。
さらに、3、4年生の時は天才。
そして低学年では神童。
幼稚園以前はまさに神の子か妖精と言われた。
時代が過去に遡るほど、まばゆいばかりの後光がきらめく。
いくら無学な父でも、この流れをみれば、我が子の将来の出来高推移を予測することは容易かった。
よって、中学受験の際、さらに難易度や将来性やブランドが上の進学校…具体的には"灘中"や"甲陽中"ではなく、大学受験をしなくても、普通にさえしていれば関学大への入学が約束される、エスカレーター式の関西学院中学部を受験させたのであった。
ところが、中学中退の父は、下降する重量に加速度が加算される物理現象を、学校で学んでいなかったのである。
よって、たしかに小学校卒業時は秀才だったはずの私は、中学に入った途端に劣等生になり、中学2年で落ちこぼれ、中学3年でいよいよ進退極まったのだった。
それがなんとか、奇跡的に高等部へ進学できたのである。神は私をこの時点ではかろうじて見捨てなかった。
中学部からの180人に加えて、新たに外部の中学から、120人が入ってきた。
実はその人間たちに、私は恐怖感を抱いていた。
何しろ彼らは、難関である関西学院高等部を受験するために、まさに"受験勉強"をしてきたはずなのである。その中でも、重きを成す科目は、私にとっては未だ未知の領域であった英語と数学。
新たな120人によって、確実に平均点が上がってしまう。
彼らが机に向かい、参考書を読んでいた3年間、私は好きな国語や歴史以外は、ほとんど勉強をしなかったのだから……。
「これはこの先、えらいことになるぞ」
というのが、私の新たな悩みと恐れだった。
高等部に入って、最初に決められた席の左隣りには、中学部の時には決して見なかった顔の男が座っていた。もちろん、アルファベット順の学生番号が近かった。
余談だが、関学、中学部高等部の6年間、親しくなった友達の苗字のイニシャルは、ほとんど「K」である。
北島・小間・小森・金山・金谷・黒田・近藤・北村・木村・幸得…あれっ? まあええわ、とにかく数えあげればキリがない。
さて、当然お互いが初対面ゆえ、互いに探り合いながら親近感を生もうとするのだが、その男は相当変わっていた。
高等部から新たに入って来たのだから、校内で、もとから居る私と比べ、圧倒的に知人が少ないわけで、そうなれば普通少しは遠慮というものがありそうなのだが……それがまったくない。
けれども私としては、新たに外の世界から加わった学友への、思いやりと気づかいの必性を過剰に感じていたので、なんだか拍子抜けな気がして、実は相当気が楽になったのだった。
さて、その隣人は、まず私に何をしたか?
それは、説教というか、布教というか……とにかく、自分の価値観の無理強い、押し付けだったのである。
それは突然通達された自習の時間でのことだった。
彼は自分の机の上に、カラー刷りの折り込みチラシのようなものを数枚広げ、私に「見ろ」と指示した。半ば強制的にである。
それはバイクのパンフレットだった。
そして、頼みもしないのに私に講義をし始めたのである。
「ええか、この国では、満16歳になったら、原付の免許がとれるねん」
いきなり"この国"とは、やたらと、仰々しい。
「原付って、何や?」
「じぶん(関西弁の"君")、原付…知らんのか? 50ccのバイクのことや」
「バイクって、単車か?」
「単車は単車…二輪にはちがいないけど、普通"単車"と言うのは、だいたい、250ccから上やなあ…そやから、原付はやっぱりバイクや」
「ふ〜ん」
「ふ〜んってな、じぶん、アホちゃうか? 16歳になったら、すぐに原付の免許とってバイクを買うのが、人間としての義務やないか」
私は心の中で、「こいつ、だいぶ頭がオカシイ」と確信したが、そのハズレ方が実に興味深く、
「関学以外の中学には、こんな変わった奴がおったんや」と、実に横顔が愛おしかったので、わざと興味があるフリをした。
それが気に入ったのか、彼はますます本腰を入れて、私に講義し始めたのである。
「まず…そやな…バイク…原付やけど、原付ゆうても、見た目も、普通の単車とそんなに変わらへんねん。制限速度は、30 キロやねんけどな、実際には、60以上…80ぐらい平気で出るのもあるし。2人乗りはできひんけど、ヘルメットが要らん。
スタイルや用途によって、まずは、オンロードとオフロードに分けられるんや。オフロードゆうても、本格的なやつは公道で使いにくいから、セミオフロード、とゆうんやけどな」
「ふんふん、難しいねんなあ……普通に道路を走るんやったら、その、オンロードでええんとちゃうのん?」
「そこや……平坦なアスファルトの道だけやったらそれでええんやけど、原付で高速には乗られへんし、実際、段差があったり、砂利道とかもあるやん。それよりも、実はセミオフロードの方が、取りまわしが楽で、運転しやすいねん。もちろん、まっすぐ走るだけやったら、オンロードの方がええねんけどな」
「それで、じぶんは、どれが欲しいん?」
「俺は、さんざん迷ったけど、セミオフロードにしようと思うねん」
「どんなやつ?」
「その前にな、メーカーが、ホンダとヤマハとスズキ。カワサキは原付ないから、この3つやねんけど、セミオフロードは、ホンダにはないんや」
「なんで?」
「内燃機関、習うたやろ? 中学で」
「いいや、知らん」
「うそっ? マジ? とにかく、ホンダが出してるオンロード、CB50 ゆうねんけどな、コレやコレ、コレ。これ、エンジンが、フォーストやねん」
「フォースト?」
「フォーストロークのことや……えっと……フォー……4サイクルエンジンや、つまり、吸入・圧縮・燃焼・膨張・排気の、4行程や」
「4つとちゃうやん、5つやん」
「あれっ? そうや、燃焼と膨張が2つでひとつや。それでツーストゆうのは、4ストの4行程を2つずつ同時に行うから、まあ、つくりがシンプルやから、小さいエンジンにはそっちの方が向いてるねん」
「ようわからん」
「仕組みはわからんでも、エンジンの音聞いたらすぐわかるわ。普通の車とか大きい単車は、みんな4ストやから。
小さい単車やバイクで、ブンブンゆうてマフラーから煙吹いてたら、みんな2ストやから」
「なるほど、ほんなら新聞屋のバイクは、みんな2ストなんやな?」
「それが…ヤマハのメイトとか、スズキのバーディとかはそうなんやけど、ホンダのカブだけは、ちゃうねんな」
「まあ、その話はそれでええけど、じぶんの好みは、どれなん?」
「やっぱり、ヤマハのセミオフロードやなあ…これこれ…MR50」
この男、なかなか押し付けがましく、極めて上から目線なのだが、不思議に憎めないのであった。
たしかに、バイクの件に関しては自分の方が圧倒的な知識人だという自負があったのだろうが、それ以外では、自らアドバイスを私に頼るのだった。
つまり、ぜんぜん、根っから他人に偉そうにする嫌なタイプではなかったのである。
「オレ、実はおりいってクボに教えてもらいたいことがあるねん。いろいろ試したんやけど、どうしても、サッパリわからへんねん」
「なんや? オレでわかることやったら教えたるで、英語はあかんで」
「あの新しく出来た、トイレあるやん。アレ、お湯が出よるねんけど、あのお湯、どないして手を洗うたらええんや? 使い方がわからへんねん」
「なんやて? ウォシュレットのことか?」
「わからんけど…とりあえず便器の中を覗きこんで、スイッチを探してたら、突然水が飛んできて……それで顔は洗えたんやけど……最初、水やと思って焦ったけどお湯やったんで、助かった」
私は、外の中学から新しく仲間になった人間に対して、心の底から感動した。そして人類はみな兄弟であることを、実感として知ったのである。
世界は……幼稚で視野が狭かった当時の私は、愚かにも関学が世界の中心だと信じていたふしがある。
それが、実は世界は、関西学院の中学部だけではなく、もっともっと広くて、そして、どこの世界にも、一瞬で仲良くなれる人材がウヨウヨいるという、当たり前のことが、この時ようやく理解できたのだった。
そうなのだ。たとえこの先、3年後…万が一関学の大学に行けなかったとしても、世の中、どこに行っても、コイツみたいなアホが居るんだと思えば、めちゃくちゃ気が楽になった。
高等部進学直後のこの悟りが、本当に関西学院大学への推薦取り消しにつながってしまうとは、この時まだ知る由もなかった。
もちろん、私の左隣りに座って、バイクのパンフレット…カタログを、何時間も見つめていた、小谷穣治 は、私の何十倍も、まさか自分が……夢にも思わなかったはずである。 了
(注: フルネームでネット検索すれば、現在何をしているか、写真つきですぐにでてくるはずです)。