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エッセイ 作詞講座
【新曲の話】
私は、自分が今でも本質的には子供だと思っているのだが、時々そのことで滅茶苦茶不安になったり、自己嫌悪に陥ったりするわけである。
それらの原因はたいてい、近辺の社会との関わりがきっかけなのだが……。
そしてそんな時にいつもたぐりよせて探るのが、幼年期から今につながる中で、自分から離れていった大切な感覚であり、そのひとつが、いつの日からか聞こえなくなった、母や祖母の背中で聞いた子守唄である。
母は、「ねんねんころりよ おころりよ」で、祖母は大分県佐伯の出身だったこともあり、「おどま盆ぎり盆ぎり」の『五木の子守唄』であった。
今の私達が知っているのとは、メロディがかなり異なるのだが……音程よりもリズムを重視していたのだろうか、ささやくような、そしてカラダの奥まで染み入るような歌だった。
そもそも九州、熊本付近には、「五木の子守唄」の、様々なバージョンが各地で伝承されていて、我々が知っているバージョンは、後世に体裁よくまとめられたもので、ほとんど原型を留めていないという説もある。
私の丸めた背中を、トントンと叩く手のひらはあまりに優しく、やわらかく、その後出会ったどんな打楽器よりも親切で不思議な音色を奏でた。
母や祖母の背中から伝わる歌と息吹が、私の腹部を経て、脳みその軸の木を揺らし、その下に枯葉のように意識が舞い落ちていく。
それから十数年後、母は家庭を崩して飛び出し、祖母は足腰は問題なかったが、晩年に認知症が深く進行し、私のことを、孫ではなく、末っ子である私の父だと思い込んだまま息をひきとった。
思えば、私がわずか1歳か2歳の頃からすでに、聞いていたのは遠い歌声だったような気がしてならない。
いつの日からか
聞こえなくなった
囁くような
染み入るような
丸めた背中を
叩く手のひら
お腹に伝わる
遠い歌声
半世紀ほど前の、私が住んでいた兵庫県尼崎市でも、今の山口市のように家の近所にまだまだ田んぼがあった。
用水路のようなドブ川の水は真っ黒で悪臭がただよい、ブクブクと不思議な泡が水中から湧き上がっていた。
それが人体によからぬ化学物質なのか、メタンガスなのか、それともその下に、亀やフナやアメリカザリガニが棲息しているのか?
結局何もわからないまま私は大人になってしまった。
あの頃は夢中になって空き地で遊んでいても、日が暮れてくると、どうしてもウチに帰らねばならない定めにあった。
このままずっと遊び続けることさえ出来たなら、この世はどれほど素晴らしいかと本気で思っていた。
どこからともなくコウモリが飛んできて、あたりがなんとなく暗くなり、セピア調のフィルターがかかってくると、何かを確かめるように西の空を見上げる。
そこには紫がかった中間色の雲や、黒い影の鳥。半熟タマゴの黄身のような濃ゆいオレンジ色と、その中心部から離れたところにまだかろうじて残っているレモン色。
雲や鳥やタマゴやレモンが重なるような、溶け込むような……そんな夕焼け空に、ふとどこかのウチからもれてくるいいにおい。
遠くの工場の煙突からたなびく煙が、昭和一桁生まれの父からさんざん教えられた「民のカマドは賑わいにけり」、という仁徳天皇のことばにつながった。
もう少し大きくなると活動範囲が広がり、私は国鉄尼崎駅や阪急塚口駅の改札を出て、私立の中学校から、家路につくようになった。
明るすぎる駅前から、あたりはだんだん暗くなり、裏道に折れて砂利道になると、電信柱の数が一気に減って、やけにもの悲しくなる。
それでも街灯は我が家のすぐ前まで、かろうじて途切れることなくつながっていて、実にありがたかった。
玄関口までたどりつき、ガラガラと戸を開けると、とりあえず、外界とは異質の不思議な蛍光灯の明るさが滞留していた。
あの夕焼け空も、あの街灯も、蛍光灯でさえ、今も存在しているはずなのに、いつの日からかすっかり見えなくなってしまった。
いや、わざと見なくなったのかもしれない。
いつの日からか
見えなくなった
重なるような
溶け込むような
夕焼け空に
たなびく煙
玄関口まで
つながる灯り
もともとは、1番と2番でおしまい。
聞こえなくなった歌と、見えなくなった灯りの一対で完結する予定だったが、どうしてもこれだけではしっくりこない。
3番まであった方が落ち着くのは、日本人の、割り切れる偶数を嫌う情緒なのかもしれない。
また、過去だけで終わって今を省略すると、なんだか尻切れトンボというか、逃げをうったような気もした。
かといって、いきなり現在に視点を移すのは、わざとらしすぎて私の趣味に反する。
そこで、回想しながらパンツのゴムのように今に引っ張ることにした。
この3番がないと、結局なんの歌なのかが、わからずじまいになりそうな気もして、弱気になり、ある種多くの人と共有できる、家庭の温もりのようなものも付け加えたくなった。
これは単なる私の貧乏性から来ている。
つらい時でも
悲しい時でも
なんにもきかず
なんにも言わず
炊きたてご飯
あつい味噌汁
写真の中から
見守る 笑顔
唐突に対象が写真の中におさまり、幕が一気に下がることになってしまった。
まあこれはこれで、今現在が味気ないというふうにもとれるし、また、あたりまえにありがたい、ということにもつながる。
そして1番の冒頭の歌詞を最後につなげると、この歌の背骨というか本心があぶりだされてくるから不思議である。
1番の冒頭が「いつの日からか」で、3番の最後が「見守る笑顔」であるから、
『いつの日からか、見守る笑顔』とつながる。
そうだ、それでよかったのだ。
あまりに小さくて気付かないけれども、自分の身に降り注いだ確実な愛情は、積み重ねられ、決して消えることなく我が身に染み込んでいるのに、そういうことほど、日々の人生で、案外意識しないまま隅においやっている気がする。
それこそが、身内に甘える正直な思いかもしれないのだが、良い子はここで素直に反省するのだ。
「いちばんそばにある心や魂や人や笑顔や淋しさにこそ、きちんと寄り添い。もっと自分の意識を集中して注がねばならないのではないか?」
あらためて、まとめて読みなおす。
『家路』
① いつの日からか 聞こえなくなった
囁くような 染み入るような
丸めた背中を 叩く手のひら
お腹に伝わる 遠い歌声
② いつの日からか 見えなくなった
重なるような 溶け込むような
夕焼け空に たなびく煙
玄関口まで つながる灯り
③ つらい時でも 悲しい時でも
なんにも聞かず なんにも言わず
炊きたてご飯 あつい味噌汁
写真の中から 見守る 笑顔
いかん……制作過程は実に充実していたにもかかわらず、実につまらない歌詞が出来てしまった。
私は、たとえ自分の作品でも、出来が悪ければ悪いと認める。
それに、③番の歌詞は、身近にいるシンガー・ソングライターの作品に酷似している。
しかして!
それでも、こんな時は必ず、音符がなんとか誤魔化してくれるように世の中は出来ているから、これがまた、私にとっては最高にありがたくも、情けないのである。