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エッセイの素(病床日誌 6)

 
 
  【エッセイの素】
    
その6 《某月某日》
 
 いよいよこの世とおさらばをする瞬間は、一本の長編映画を観終わったような気分になるに違いないと、私は勝手に想像している。

 問題は、それがいい映画だったかどうかなのだが、その時に後悔はしても文句は言えない。なぜなら、その映画は借りものではなく、自分自身が監督を担って創った映画だからだ。

 俳優のせいにもできる。予算が少なかったせいにもできる。カメラマンが下手くそだったせいにもできる。テーマがぶれていたせいにもできる。 

 けれども、それらをまとめて、やはりすべては監督の責任なのである。その責任だけは他の誰とも分かち合うことができない。だからアドラーが言うように、決して他者の人生に相乗りしてそれを奪ってはいけないのである。

 長い映画を観終わった時、明るくなった映画館の客席で、観客•視点が自分ひとりであることに気付いて、その状況を受け入れた時に、生と死の意味を実感として悟るのではないだろうか。

 私は最近なんだかそんなふうに思えてならない。

《大いなる旅路》、私がうまれた年につくられた映画である。

 どんな人間も必ず、ひとりひとりが監督になって、大いなる旅路を歩んでいるにちがいない。
 
 
 

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