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評論 味の素
氾濫する真偽が混在した情報社会で溺れるうちに、ようやく最近になって、降ってきた情報を鵜呑みにせず、まずは疑うという基本姿勢が、私たちにも芽生えてきたように思えます。
特に、インターネットを操ることを厭わない若い人たちは、自分の視点で情報を集め、自分で判断したい、という気持ちが強くなっているはずです。
だからこそ、
「科学的に適切な情報をしっかりと提供する流れを作りたい」と、述べたのは、味の素アメリカの稲森哲、上席役員でした。
味の素社が、2018年に、ニューヨーク・マンハッタンのホテルで開いたフォーラムでのことです。
2日間にわたりおよそ約200人が集結し、そこで熱く語られた講演やパネルディスカッションの最大のテーマは、味の素…つまり、MSG(monosodium glutamate グルタミン酸ナトリウム)の安全性についてでした。
グルタミン酸ナトリウムは、普通の摂取量であれば安全性に問題はない、というのが、科学者たちの一般常識だそうです。
よく問題とされる、味覚障害なども、根拠は乏しく、所詮は都市伝説レベルらしいのですが、まわりを見渡すと、私も含めて多くの人が、極めてネガティブなイメージを根強く持ち続けています。
現に我が家の台所には"味の素"をはじめ、"それ系"の化学調味料は、いっさいありません。
私のように、ちょっとうるさい消費者の中には、グルタミン酸ナトリウムを嫌う人が多いのは、たぶん現実だと思います。けれども、これがもしもマチガイで、虚偽吹聴に踊らされた結果なら、自己嫌悪も含めて、とんでもない事態です。
その現象は国を超えても同様で、たとえば、アメリカでは、no-MSG とパッケージに、目立つように書いた食品が売られています。
その原因をどんどん掘り下げて、さらに、裂け目に鉗子をつっこんで、覗きこむと、
西洋人…特にアメリカ人の"no-MSG"という意識の裏側には、人種差別(レイシズム)があるのでは? という疑いが見えてきました。
ズバリ言うと、
「不潔でええかげんな、色付きのアジア人がつくったわけわからん調味料なんか、身体に悪いに決まってる」
という偏見が実際にあったと、なんとアメリカ人の作家が告白したそうです。
完全に、日本と中共がごっちゃにされています。
最近、武田邦彦氏の発信で、言ってる内容は別にして、やたらと毎回、「私は科学者ですから」という…(ひつこい、もうわかったっちゅうねん)…上から目線の自慢を聞くので、たいがい「科学」や「科学者」というのに胃がもたれ気味だったのですが、やはり、科学と冷静な判断は、"一対"なものであるという信頼感は大切です。
その科学者のほとんどが、笑って「大丈夫」と言う、味の素。
それでもなおかつ、"味の素"を否定するというのなら、それはもう、宗教の世界にはいりこむ気もしてきます。
そもそも味の素は、うま味成分を抽出した商品です。
このうま味成分は、今から110年ほど前の、1908年に、池田菊苗が、出汁昆布から発見したもので、それがグルタミン酸でした。
日本人はたとえば、「ダシがきいていない」という味覚が、塩味や酸味とは異なるということを、経験的に知っていました。
ですからその後も、5年後に、小玉新太郎が、鰹節からイノシン酸を、
さらに44年後の、1957年には、国中明が、椎茸からグアニル酸を発見しました。
ぜんぶ、日本人です。
ところが、欧米の学者はずっとこれらに対して懐疑的でした。その背景には、向こうの水が硬く、そもそも食文化的に、出汁をとって旨味を増す意識が欠落していたからだと考えられます。
決着は、最初の発見から1世紀近くも経った、2000年。
舌の味蕾にある細胞に、グルタミン酸受容体が発見されて、ようやく、うま味の実在が世界的に広まったのです。おそいっちゅうねん!
我々日本人が先祖代々から、当たり前のように引き継いできた感覚に、いわゆる西洋的科学が追いついたのは、ほんの20年前って…いったいどないなってんねん! ということです。
味の素は、実は大昔から、極端な風評被害にさらされてきました。
大正時代の風刺画では、原料が蛇だとされているものもありました。
実際の味の素のグルタミン酸は、さとうきびの糖蜜に発酵菌を入れて、醤油や味噌などを作る方法と同じ発酵法でつくっているそうです。
私は、たしかに昔はそうしてつくっていたが、途中から味の素は、石油から成分を取り出してつくるようになり、それから発癌性食品になったと、親から教わりました。
でも、それはまったくのデマだったようです。
私は、嘘に踊らされるのは、ひとりの自己完結すべく人間として、嫌です。
今日のところはゆっくり休んで、明日、味の素を半世紀ぶりに買って、夕食でためそうと思っています。