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エッセイ 分岐点の判決
私は西宮の、中高大10年一貫教育が売り物の、いわゆるエスカレーター式名門校に通っていた。
もちろん中学受験は、そこそこ難関だったのである。
しかし私は中学の合格発表があった日を境に、好きなことをしまくり、遊びまくり、その後も成績は常に海底50マイルまで潜り、それ以上浮き沈みできず、その位置で安定航行していた。
かたや勉強が出来るおりこうさんで、マジメな友人は、もともとが中産階級を主体とした"いいとこ"の子(ええしの子)が集まる学校だから、さすがにたくさん存在した。
結果私は長年の怠惰がたたり、高校卒業時に、当初約束の地とされたカナンの地たる、大学のキャンパスへの立ち入りを拒否され、自由契約の身となってしまったのである。
このあたりから、私の人生の直球はアウトコース低めに鋭くカーブし始めていく。
学校側の放出の言いぶんは、決して出席日数にあらず、各科目の獲得点数における債務不履行だった。
やがて、大学に進学したその他大勢のクラスメイトなども、それぞれが社会に出て、みんながちょっと落ち着いた頃に、同級生だったTと話す機会があった。
彼は、ほとんど頂点の秀才で、卒業後も母校の大学で教鞭を執っていた。
ニックネームが「魔太郎」。
昔流行ったマンガの主人公に顔が似ていたために、今も本名よりもそっちが優先される。
この「魔太郎」。
私と比較すれば、まさに雲泥の差。月とスッポン。 天国と地獄。 味噌と糞。 宝石とサクマのドロップ。 宝塚ホテルのチーズケーキとヤマザキのショートケーキ。赤萬の餃子とメタミドホス入りチャイナ餃子ぐらいの違いだった。
その彼が発したひとことを、私は強烈に覚えている。
「僕は、勉強しかとりえがない」
普通なら、よりによって私の前で、「なんと不遜なことか!」と、受けとってもおかしくないのだが、それは本当に純粋な彼の本音中の本音のようだった。決して嫌味ではなかったのである。
それが証拠に、さらに、
「僕が持っていないものの多くを、久保くんが持っている」とまで念を押された。
たしかに私には、いろんな経験……しかも真っ当な人間があえてする必要がない経験。
また社会的に眉をひそめる人たち、さらにそれらを捉えて縛りつける強者との関わり……が、少なからず過去に存在した。
しかもそれらは、自分がコツコツと努力をして得たものではなく、興味と好奇心がもとで、勝手に向こうからやってきた、手垢でうす汚れたものばかりだった。時には刃物ではなく手帳をかざして……。
魔太郎は、うなずきながら言った。
「僕も同じです。勉強は嫌いじゃなかった……むしろ好きだったから、別に努力や苦労をしたような実感がありません」
「それや!」
中高大10年、途中、米国への留学があったから11年。さらに大学院を経て、ずっと母校に残って、あっさり経済学部の大学教授になり、その後経済学部長になった魔太郎。
その彼が、
「久保くんのつくる歌は、ふざけているような歌の中に、ものすごく深くマジメな内容が隠されていて、また、シリアスな歌詞も、どこかにユーモアの要素がありますね」
と、批評してくれた。
しかし、横にいたもう一人の、元クラスメイトがチャチャを入れる。
「どんなけええ歌詞でも、メロディでも、書いた人間の実像を知ってるだけになあ……」
その気持ちも、わからないではない。
しかして、その二人の考え方の違いが、
かたや大学教授になるか、もしくはその逆を行くか?
人生の分岐点で、大きくモノを言うにちがいない。
そしてそのたびごとに、運命の判決が下る。
その無限の繰り返しが、おそらく人生なのだと、ようやく気付いた。
逆瀬川から、宝塚南口の打ち上げの店まで、魔太郎に案内されて、肩を並べて歩きながら話したことは、
「学問とは何か?」
「教養とは何か?」
高校の時の2人の全科目の平均点を足して、2で割れば、だいたい75点くらいになるはずだ。
私でも50点くらいは獲れたのだから……。
「世の中、歳をとって棺桶が近づいてくると、開いていた差がまた、どんどん縮んでくるねんなあ……」と、妙に感心した。
魔太郎とは別の友人が、すかさず言った。
「全然縮んでないって」。