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エッセイ シルバータイム

 2014年10月から始まった「老後と介護」をテーマにしたラジオ番組のために、日頃から老人問題を研究中する必要に迫られてしまった。

 私の腰は普通の人の数倍重くて我がままだから、迫られるというくらいの圧力があった方が健全なる人生を送るためには好ましい。

 私の研究スタイルの特徴は、テーマを直接にとらえた"そのものズバリ"という文献はなるべく避けるというところにある。

 そうしなければ、ありきたりで世間一般的な平たい視点で終わってしまい、パーソナリティとしての個性が出なくなるからである。

 だから遠まわし、或は変化球で「老」につながる本や映画や音楽などに触れ、それをもとに自分の頭の中で熟成発酵させてから整理して、おせちの重箱に彩り鮮やかに詰めるようにしている。

 たとえば古いモノクロの日本映画を見る。

 強烈な個性の老人が登場する物語を読む。

 経験豊かな年輩者と意見を交わし合う。

 温泉で老人の会話を盗み聞きする。

 植木屋の盆栽を見に行く……。

 アプローチの素材は多種多様で、時にはあとから関連性を都合にあわせてこじつけることもある。 

 そうこうしているうちに、不思議とたいていは何らかのヒントのかけらを見つけ、そこを集中して掘ることによって新たな思考のアイデアに行きつくのである。

 ということで、本日めでたく捕まえて虫かごに入れた一案を紹介する。
 
 歳をとってからは、24時間が1日であるという、長年当たり前とされてきた観点を、変更した方がよいのではないだろうか?

 とり急ぎの用事や仕事がほとんどなく、すべての流れが遅くなり、時間の経過にも無頓着。

 今日が何曜日でも、季節の変わり目も連休も衣替えも、たいして意味がなくなるわけだから、せめて1日を12時間にすべきなのではないだろうか。

 早朝、鳥と一緒に目覚めて、珈琲を飲みながらパンを焼き、父親をディサービスに送り出して、朝風呂に入って軽く原稿を書いて、本を読んで、それから昼寝をする。

 ここまでを1日とする。

 外が明るくても、必ずおやすみなさいとつぶやき、一日の終わりを自己宣言及び自己確認する。

 次に目覚めるのは夕方である。

 父親がディサービスから戻ってくる頃に布団から這い出す。

 それから何かを食し、またまたしばらく知的な活動をして、歌詞の一本でも叩き台くらいまで出きれは良しとし、座る時間が長引いて腰が痛くなった頃に夕食の支度を始める。

 夕食は、父をからかいながらゆっくり食べて、片付けて洗い物をして、映画でも見て、そこからさらに風呂にはいって布団にもぐれば、これで2日目が終了する。

 もちろんここで、きちんと2日が終了したのだと自己宣言及び自己確認する。

 このライフスタイルだと、1年は730日で、とても得をした気分になる。

 そしてこの方がずっと今の自分の身の丈にあってるような気がする。

 そもそも日本にはサマータイムがないのだから、ひとおもいに世界に先がけて、シルバータイムをつくるのはいかがなものか。

 ということで、我が家のカレンダーでは、本日は、2014年12月44日なのであった。

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