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エッセイ 職業歌手

 狭い録音ブースの中で、椅子に腰掛けたジェリー藤尾さんが歌い続ける。

 納得できるまで、何度も何度もやり直す。
 すぐ後ろに座っていた私は、自分の椅子のきしみ音をマイクが拾わないかと気にしながら、息をひそめてその偉大な背中を見つめる。

 私が生きてきたすべての歳月よりも永い歴史を築いてきた職業歌手の背中は、レコーディングが進むとともにさらに大きくふくらんでいった。

 何度目のテイクだったか……歌い終わると同時にジェリーさんが、自分と私に同時に放った。

「どうだ、いまので?」

 急に振り向いたので、ガツンとふたりのヘッドフォンがあたって硬い音をたてた。
 椅子ごとくるりと振り向いた大スターに、私は思わず抱きついていた。さっきまであんなに大きかった身体は、びっくりするほど細かった。
 
 ジェリー藤尾さんは1940年生まれで73歳。(※執筆当時)、歌手としても俳優としても、昭和の一世を風靡した大スターである。

 昨年の秋にデビュー55周年を記念してつくられたアルバム『マイロード』の発売を通じ、今年になって初めてジェリー藤尾事務所とご縁が出来たのだった。

 実は私にはひとつの夢があった。
 それは自分が数年前に書いた『この国よ』という歌を、ジェリー藤尾さんに歌ってもらいたいという夢である。
 それはあまりに突拍子もなく、身分不相応で非現実的な夢であった。

 けれども私には、我ながら、この作品が持つ大きなスケール感を歌える歌手は、世界広しといえども、激動の時代に骨太な自分を貫き通したジェリー藤尾さん以外にはありえないという確固たるこだわりと、憧れをも巻き込んだ確信があった。

「山口の地域おこしのために、山口在住の作家が毎月歌をつくって地元のテレビで放送しているのですが、どうしてもジェリーさんに歌って欲しい歌があるという作家の勝手な願いがあって無理を承知でお願いするのですが……」

 レコード会社の社長が事務所にそう言って、歌詞とサンプル音源を無理矢理手渡した。

 ところがそこで奇跡が起こった。
 それをご本人が気に入って承諾してくれたのである。

 一番驚いたのは私ではなくレコード会社の社長だった。何しろ予算はまさしく雀の涙。業界的にはあまりに非常識極まりない依頼であったからだ。 

 ジェリー藤尾さんは、自分が日本国籍を持った日本人エンターテイナーであることに非常に高いプライドを持っていて、日本語を大切にしない昨今のJ-POPに対して極めて否定的だと聞いていた。
 だから私には、それなりの自信があったのだが、実際のところそれは作家の独りよがりの妄想でしかない。
 
 そんなに甘い話が、世の中に転がっているはずがないのだから……。

 それが何とイメージどおりに夢がかない、私は鼻の先を伸ばしながら全身で天まで舞い上がったのだった。
 
 まずは録音前にスタジオの控え室で軽い打ち合わせをした。

 老眼のジェリーさんのためにわざわざマネージャーが文字を拡大して印刷した私の歌詞を、"本物"のジェリー藤尾さんがじっと見つめている。

 左手の指先で招かれ、すぐ横に私が座らされた。

「この歌は、とにかく歌詞がいいんだよ……」

 私はゴクンと唾をのみこむ。

「歌詞もいいんだけど……曲がまたいい……」
 
 私は照れると同時に恐縮してややうつむく。

「だけどひとつだけ、悪いとこがあるんだよなぁ」

 ここでようやく逆に少し安堵した。

「難しいんだよ、歌うのが……」

 居合わせたスタッフが一斉に笑った。

 そこからジェリーさんの言葉が続く。

「この歌詞の中に『手放した』というののあとに、さらに『捨てる』という言葉が出てくるだろ? この二つの言葉は、それぞれが繋がっていてものすごくキツいし悲しいんだよ。だからこの歌は『この町よ この国よ』という、呼びかけで終わっちゃ駄目なんだ。
 そのあとに間髪入れず一番を、今度はアップテンポにして繰り返して『この町に抱かれた』で終わらないと……」

 さらにそこに居合わせたスタッフ全員を見渡して話を続けた。

「歌というのは、歌詞があって成り立つものなんだ。歌詞がなければ曲でしかないんだよ。その歌詞を歌うのが歌手だ。だから、いい歌を歌うためには、まずは徹底的に歌詞を理解することが大切なんだ。
 でも歌詞というのは、作品として出来てからは、もう作詞家だけのものじゃなくなるんだ。
 
 それをどう解釈して自分のものとして吸収して歌い込むかが、職業歌手の仕事なんだよ……」

 私の顔が若者のような歓喜に染まった。歌手を見る自分の目に狂いはなかったのだ。

 こうして冒頭のようなレコーディングが終了したのである。
 
 その後しばし、なごやかに珈琲を飲んで語らう。
 レコード会社の社長も最高の音が録れてご機嫌だった。

 そこで私は、ジェリーさんに普通ならありえない要望を、冗談の成分を大量に含ませて振った。

「せっかくですから『この国よ』を、今晩のコライブで歌ってくださいよ」

 ジェリーさんは笑いながらもやや真顔に戻り、

「そりゃあ、ギャラ次第だなあ……だって、今日初めて歌った曲だからなあ……難しいよ、リスク高いよ……」

 普通ならそこでうやむやになるところであったが、私が本能と直感で立ち上がり、ジャケットのポケットをまさぐった。そして、とりあえずつかんだ500円玉を1枚、さっとジェリーさんの手の平にのせた。それを見た社長が焦って叫んだ。

「そんな、失礼なことを……」

 その場が一瞬凍りついた。

 ジェリーさんは私の顔を見ながら、

「俺さあ、なんか昔から、わけがわからねえんだけど、どうもこの500円玉というやつが無性に好きなんだよなあ、昔、なかったもんな」

 そう言いながら、子供にかえった笑顔で自分のジーンズのポケットにコインを押し込んだのだった。

 それから我々は、コンサート会場に揃って移動した。

 体力温存のために、ジェリーさんにはリハーサルも抜きで、本番まで控え室でゆっくり休んでもらうことにした。

 やがて開演を1時間前に控えて、セットリストをマネージャーが私に示した。

 セットリストというのは、その日演奏する曲の一覧を順番に記したメモのことである。

 その真ん中あたりには、ジェリーさん自らの字でちゃんと、『この国よ』と書かれてある。  
 500円玉をポケットにねじこんだ男気に私は泣きそうになった。

 コンサートは、絶妙なトークと年齢を超越した抜群の歌唱力の中、観客と歌い手が一緒になって笑いあり涙ありの感動的な出来だった。

 そして『この国よ』では、ジェリーさんが私をステージに招き、作品を持ち上げ、さらに驚くべきことに、別に失敗をしたわけでもないのに、2回も続けて歌ってくれたのであった。

 この時ジェリーさんがポツンと「ホントにいい歌だね」と言ったあと、ありえない言葉をつぶやいた。

「1度目はなんとかこらえたけど、2度目は歌いながら、もう少しで泣きそうになったよ」

 レコード会社の社長が私の横にすっ飛んで来て、

「ジェリーさん、リップサービスやなく、本気で気に入ってくれているぞ」と、私の脇腹に指をつき刺しながらささやいた。
 
 それでも私は、ジェリーさんがそれなりに気に入ってくれているのは偽りではないだろうが、2度も歌ってくれたり過剰に褒めてくれたりしたのは、私や山口のお客さんに対するサービスだという控えめな解釈にとどめた。

 何しろ今回の一連の流れはあまりにも話がうまく出来過ぎているからである。

 作家としてのここまで感動的な幸せが、自分の人生に訪れるはずがないという冷静で貧乏性な判断基準の力学が自然とはたらいたのであった。

 コンサートが終わり、スタッフ一同を湯田温泉のホテルに案内した。
 チェックインの時刻はすでに23時を回っていた。

 ジェリーさんは部屋にはいるなり、フロントに銘柄を指定してビールを頼んだ。

 せっかく温泉に来たのに飲んだあとは、万一の事故を考えて、入浴をしない主義だという。

 それから私とレコード会社の社長の2人は、隣のマネージャーの部屋で小一時間ほど事務的な打ち合わせを済ませてから部屋を出た。
 
 それから、もしもジェリーさんがまだ起きておられたら。挨拶だけして退散しようと考え、ジェリーさんの部屋の前を通ったら、なんとドアが開いたままになっていた。

「あれっ、まだ起きておられるようだわ」と、社長が言った。

 そっと中をのぞくと、奥の和室の小テーブルの上にビール瓶が三本立っていた。
 その横の椅子に腰掛けているジェリーさんは、あれから一時間は経つというのに浴衣にも着替えず、まだ派手なステージ衣装のままだった。

 我々に気付いたジェリーさんが太い声で言った。

「おうっ、どうだ、一杯やっていくか?」

 なんとその手には『この国よ』の歌詞を書いた紙が握られていたのである。

 その瞬間、私は本当にジェリー藤尾さんが自分の歌を気に入ってくれていたのだということを実感できた。同時に、音もなく大量の涙が塊のまま両目から飛び出した。

「世の中は、まだまだ捨てたものではない」

 この歳になっても、心臓が煮えたぎって破裂するほどの感動が、実際に我身に起こったのである。

 帰りの車の中で社長が何度もしつこいくらいに私に問うた。

「作家冥利に尽きるとは、こんなことを言うのだろうな、俺にはわからんけど……」

 音楽作品における著作権は、作詞家と作曲家に対して、印税の報酬という面で非常に有利にできている。
 かたやそれを歌ったり演奏したりする歌手には、アーティスト印税といって報酬の度合いが極めて少ない。
 
 これは作品を歌うという行為よりも創りだす行為の方がはるかに崇高であるという考えが元にあるのだと推測出来る。

 けれども歌は歌い手によって無限に飛躍するケースが多々ある。

 作詞者と作曲者と歌い手の本来の関係は正三角形のはずなのだ。

 こうして私は、今の今までわかっているつもりで少しも理解ができていなかった真実に真正面からぶつかって脳天で気付かされた。

 それは、本物の職業歌手の人間的な迫力だった。

 ちっぽけな作家などは、決して足下にも及ばない気がした。

 ジェリー藤尾さんの代表曲は言うまでもなく『遠くへ行きたい』である。

 この歌は坂本九さんの『上を向いて歩こう』と同じ、永六輔と中村八大の名コンビによる作品である。

 余談だが、坂本九さんの長女である大島花子さんとも実は昨年一緒に仕事をさせてもらった。
 同じ作家コンビの大ヒット曲を介して、近年不思議な縁で繋がっている気がしてならない。

 そして、そんな私の幸運を見透したかのように、ジェリー藤尾さんは、別のインタビューで次のような言葉を残している。

『運をあなどらないで、
 それはあなたの夢です』と。

  《この国よ》  作詞作曲 久保研二
          歌唱   ジェリー藤尾

一 この国にうまれて
  この国に育った
  この町をながめて
  この町に抱かれた

二 友達と出会った
  友達を見つけた
  友達と駆け抜けた
  友達と笑った

三 この国は栄えた
  平和を守った
  豊かさのかわりに
  何かを手放した

四 この国で生きること
  この町で暮すこと
  何かを選ぶこと
  何かを捨てること

 「父母よ  祖父母よ
  兄弟よ  恋人よ
  妻よ子よ 友達よ
  この町よ この国よ」

一R この国にうまれて
   この国に育った
   この町をながめて
   この町に抱かれた               

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