
2種類の日本人
残酷な話かもしれませんが、今の日本人は、大きく2種類に分けられると思うんです。
それは「エキスポ70」、大阪万博をリアルに体験した人かどうか? です。
私は小学4年生で体験しました。関西在住でしたから、もちろん、複数回万博には足を運びました。
アメリカ館も、ソ連館も、日本館も、みどり館も、三菱未来館も、ガスパビリオンも、富士パンロボット館も、みんなみんな見ました。
欲を言えば、もう少し前に生まれたかったのですが……心の底から、生まれた時代に感謝をしています。
けれども、あれを知ってるがために厄介なことも多々あります。
その後の、75年沖縄海洋博。81年神戸ポートピア博。90年大阪花博。
それらを観ても、全部二番煎じ以下で、なんか拍子抜けして、身震いする感動には二度と浸れませんでした。
たとえるなら、甲子園で阪神巨人戦を観戦したあとに中学生の軟式野球を応援するようなものです。
後々の博覧会を見て思うのは、1970年から半世紀経っても、人類はたいして成長しとらんやないかい! と、言うことです。
映像技術がやたらと派手になっただけで、大人の本気度は、確実に劣化してるというか、良い意味でのアホが絶滅した感があります。
では、他に何が今と違ったのか?
それはおそらく、理屈では説明出来ない、本質的な何か? 時代の風や空気だったのだと思います。
仕事ができひん山口の行政が主導した山口ゆめ花博で、現実的に妥協せざるを得ない状況で喜ばないかん今の人が、ホンマに哀れでかわいそうです。もちろん市民の責任ではありません。
すべては、まあ……地域、地方と言う前に、時代なんです。
こればっかりは、どうしようもありません。
20世紀の音楽シーンも、風雲急を告げた幕末維新も、理屈を超えた時代の空気が独特だったはずなのです。
エキスポ70 人類の進歩と調和。
ゴキブリホイホイの粘着シートのような強烈な時代に、足の裏を捕らえられたまま、私のまわりの世界はそれからはや48年も、上空を過ぎ去っていきました。
良い意味か悪い意味かはわかりませんが、エキスポ70 は、確実に私の一生の価値観を誘導して全身に刻み込みました。
山口ゆめ花博は論外として、次の大阪万博が、果たしてそれだけ今の子供たちを脳天から串刺しに出来るか否か?
それが課題でしょうね。
知らんけど。