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エッセイ 絹の靴下
しょっちゅう、講演やセミナーなどで私が使うネタだが、これは、トルストイのアンナカレーニナ の冒頭である。
「幸せな家族はいずれも似通っているが、不幸な家族にはそれぞれ異なる形がある」。
ここから逆算すれば、幸せな家庭は安泰だが個性的でない。つまり平凡だということになる。
昔こんな流行歌があった。
「♪ も〜イヤ! 絹の靴下は〜 私をダメにする〜」
この歌の冒頭は、
「♪
マチガイはあの時生まれた
私は我慢出来ない
上流の気取った生活
退屈すぎる毎日〜 」
それでも、実際に私の人生で、これまでに何度も、平凡な家庭や暮らしが、よだれが出るほど羨ましくて仕方がなかった次期があった。
もしも幸せが、不幸でない状態を言うのなら……人間は常に不幸な理由を生み出す生物なわけだから、幸福な時間は論理的には長続きせず……
これまた人間は悩みを乗り越えようとする動物でもあるので、前向きな人はその理由をみつけ、対処し、やがて一つずつ不幸が解決されていくわけで……
そうすると、最後はどんどん均質化されていくことになる。
たぶんそれは、現代社会では、ほとんどがお金…地位や名声などと密接につながっていると思われるが、その結果、個性が蒸発していくのであろう。
人間としての根本的な個性が……。
まあ、金や地位や名声が満たされると、次の落とし穴は、身内……特に子供の問題であろう。芸能界のスキャンダルが、それを顕著に表している。
バカ息子がシャブに染まったり、女性に溺れて無茶をしたり……。
モノ書きや、なんらかの創作に身を捧げる者であれば、自身の内面との果てしなき葛藤が、悩みの主体かもしれない。
だがら、比較的、昔のモノ書きはよく自死した。しかも他者には理解しにくい理由で。
ちなみに、この世のほとんどの悩みは、お金で解決できるし、少なくとも、お金は生きていくうえで、相当有利に働く。
たとえ恋愛においても。
まあ、「Can't Buy Me Love」という歌もあるが……。
けれども、金持ちがその先に生み出す悩みは確実にお金で解決でき"ない"悩みなわけである。
つまり、それは究極に強烈で強力な悩みということになる。少なくとも貧乏人には味わえない。
そういうモンスターな悩みを持ちたくなければ、最初から金持ちにならなければよい、という論理も一理あると思う。
私などは、どちらかといえばその口で、自分にお金儲けのスイッチが入りそうになる環境からは、なるべく意図的に離れるようにしている。
150万円の月給より、15万円の収入の方がずっと幸せになれることを、我が身をもって確信しているからである。
もちろん、都会は無理。山口でなければならない。
聖書に出てくる、「金持ちが天国にはいるのはラクダが針の穴を通るより難しい」という話は、じつに見事である。
クリスチャンであろうがなかろうが、この言葉の持つ真理を、もっと大切に人生の核にすえなければならない。
もちろん「天国」の解釈が、私とクリスチャンとは違うかもしれないのだが……。
また、見方を変えれば、意外に、
「テキトーな悩みと、ずっとひっきりなしに付き合っていく」のが、人生の秘訣かもしれない。
適度の不幸を長期間維持する……。
「不幸貯金」という考え方もある。これは、色川武大氏の発案なのだが。
さて、いろいろと考えていくと、本物の個性とは、スタートの時点で不幸なところに芽生えるのではないかと思ってしまうわけである。
たとえすべてのケースではなくとも、その確率が高のではと……。
トルストイは、もちろん偉大な小説家だったが、同時に思想家でもあった。
そして、「逆境が人格を作る。」といったふうに考えるのが好きなタイプの人だったようである。
もしも長生きしていれば、「明日のジョー」を高く評価しただろうと、私は想像している。
さて、私がこの歳までけなげに考え尽くして、そして見つけた答えのひとつが、
「本当の勇気とは、逆境に立たされた時に、自分の立場を楽しめて、笑うことだ」ということである。
実は今、えらいめにあっているのだが、とりあえず、このポリシーを実践している。
むちゃくちゃアバンギャルドなのだが、仕方がない。
この、逆境から作られる「人格」は、それこそ、貴重な「個性」であるに違いない。
なんとなく、世の中は、うまくバランスがとれているように思える。
問題は、自分がそのバランスのどのあたりにしがみついているかであろう。
やじろべえか地球ゴマの、いったいどのあたりに……。