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エッセイ 黒澤明とコッポラ

 歌を書く、創る……ということに関して、
逆立ちしても自分には書けない……という歌を書く人を。
 たとえ相手が故人であっても、若い子でも、私は無条件で尊敬してしまう。

 さらに自分が、作品力で「完敗」を味わい、打ちのめされるようなことがあれば、それはそれは嬉しくて嬉しくて、ダウンしてにやけながら、テンカウントを聞いてしまう。

 一般社会とは異なる、特殊な価値観や水準が、水平な空間に無限に広がっている。

「完敗」……と同時に、涙が出るほど、「感動」する歌は、ほとんどが、昭和45年以前の歌だが、ごく稀に、今の時代にも存在するから、世の中捨てたもんじゃない。

 もちろん、そこまで優れた作品はリアルタイムにはヒットしないと相場は決まっているのだが、そんなことは気にしない。

 珍しく上京したさいに、とある類いまれな天才的女性シンガー・ソング・ライターを、帝国ホテルのロビーに呼びだし、しっとり、みっちり、深夜まで一緒に食事をしたのは、いったい何年前だったろうか?
 指折り数えて、途中であきらめた。50歳からの10年の記憶が、象徴的な事柄以外、実に曖昧である。

 とにかく、あの日……黒澤明がコッポラと飯を食ってるのと同じ感覚に浸ったという記憶が、突然よみがえった。

「そんなアホな?」と、思われるだろうが、今現在の主観を電子顕微鏡でクローズアップすれば、まったくそのとおりとしか思えない。まさに至上の自己満足である…いや…でしかない。

 今さらだが、そういう意味では、私は、めちゃくちゃ幸せな人間だということに尽きるのだ。

 そしてそれは、武漢ウイルスが流行ってからも、まわりは劇的に変わったが、なぜか本質的には、さほどかわらない。

※ 写真は、あくまでイメージ。

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