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エッセイ 怪しいお出かけ

                     
 来月(*執筆当時)から始まる"シンガー・ソング・ライター講習"の準備のために、九月の連休は書斎に引きこもったままだったが、3日目に仲間が誘いにきたので誘惑に負け、たった一度だけ昼食を食べに萩の市内まで出た。

 片道車で20分の、田舎感覚ではほんの近所に買物という距離だが、私にとってはこれでも精一杯の遠出である。

 何しろ連休中は"デイサービス"がお休みなので、我が愛しき自慢の父親……慢性アルツハイマー型認知症要介護3……を、家に置き去りにせねばならないのだ。

 まあ日中なら隣の倉庫で農家の人が気にしてくれるので、いざとなればなんとかなると高をくくっている。

 それでも置き去りというのはさすがに聞こえが悪いので、本人には「良い子でお留守番を頼む」と告げる。

「出来るか?」と問うと「出来る!」と幼稚園児のように胸を張るから、とりあえずテレビが部屋から逃げないように見張っておいて欲しいと、重要な任務を与えた。 

 父は不思議な顔をして、テレビに足がはえて逃げ出した時に、どのあたりを持って押さえれば噛まれないで済むかと考えながら質問してきたが、それが単なる冗談であって欲しいと心から願った。

 出発してしばらくすると渋滞に出くわした。渋滞という現象が何だか非常に懐かしい。連休と快晴と大河ドラマのおかげか、萩市内のあちらこちらがひどく賑わっている。 

 今回の目的地はすでに決まっていた。

 ずっと前から口コミ情報などをもとに、気になってしかたがなかった店なのだ。

 ちなみに今日のお出かけのテーマは「怪しさ」の追求である。

「あらゆる快楽は怪しさのそばに寄り添う」との仮説をたて、
「その怪しさをより高度な創作活動のために実際に体感しようではないか」というのが、その建前上の主旨であった。

「怪しい」とは「きわどい」ことでもあり、妙に甘美な香りをまとい、時に罪悪感や背徳感を伴い、さらに危険と隣り合わせになってさえ、なお好奇心に押し切られてしまう厄介な状態をいう。

 そして、情けないことに、私はいくつになっても懲りない性格なのであった。

 幼稚園の次の角で細い道にお尻をいれて切り返し、店舗の二軒隣にある有料駐車場に車をいれ、キーをおばさんに預けてから店の前に立った我々を、最高に怪しいパンダのぬいぐるみが睨みつけている。
 とにかくそのパンダの目つきが鋭いので、あまり歓迎されていないようにも思えてしまう。

「これは、予想以上に手強いな」と、思わずつぶやいた。

 そのパンダが持つ手書きのホワイトボードに書かれた店の名前は《明己悟》と書いて《アミーゴ》と、ルビがうたれている。

 ネーミングの段階で相当無理がある、というか、やはり怪しい。

 パンダがいて、明・己・悟と硬い漢字が並べば、真っ先に思いつくのは、かの軍拡暴力国家以外にない。

 大阪万博のころのあの親近感はいったい何だったのだろうか。あの頃はまさかパンダを獲りたいがためにチベット人を虐殺したのではないかという噂など思いつきもしなかった。

 にもかかわらず《アミーゴ》はスペイン語で《お友達》を意味する。
 こういう組合せになると、「食べて応談」と同じくらいにわけがわからなくなる。

 店内に入れば、まずその過激なまでの節電努力に唖然とする。お化け屋敷レベルの暗さに、時節柄、思わず牛歩戦術をとらざるをえなかった。

 気をしっかり持って、落し穴なども疑いながら、そろりそろりと店内を進めば、やがて秋芳洞のような異空間が広がった。
 まさに"小ホール"であった。

 ひと言で言えば場末のキャバレー……いや摘発寸前の昭和のピンサロのようである。

 なんとそこには立派なステージがあり、その上手(かみて)には名が通ったメーカーのドラムセット。下手(しもて)にはひとめで高級そうなコンガ。
 さらに電気がついていないフラミンゴを型どったネオンディスプレイが鎮座していた。

 なるほど、これぞまさしくラテン系ミュージックの名残り、たしかにこれは、アミーゴ!につながる。

 ところが流れるBGMが、有線放送の昭和歌謡なのだ。私たちが入店した時は、もんた&ブラザーズの"ダンシング・オール・ナイト"で、その後、麻生よう子の"逃避行"に変わった。"逃避行"は、ちょっと前にラジオで流したばかりの、今となれば珍しい曲である。

 歌詞の中に出てくる、
「♪ またすいた、汽車をすいた、汽車を見送った……」というのを、その時まで私は、「また着いた」と聞き間違えていた。

 なぜ「着いた」ではなく「すいた」である必要があったのかを、私は歌手の麻生よう子が大阪の吹田市出身であることが理由だと、番組内で勝手に決めつけた。
 そのことを思い出し、さすがに少しだけ自己嫌悪で心が痛んだ。

 さていよいよ、オーダーを通す時が来た。水はセルフサービスである。メニュー表も、パンダが表で持っていたのと同じ造りのホワイトボード。それが三枚で構成されているのだが、メニュー表はこのワンセットしか店に存在しない。

 そこにものすごく下手な字で大雑把に書いてある。
 五感がかなり"ラテン"に導かれたにもかかわらず、メニューの内容はほとんど離島の漁師町の組合食堂を思わせた。とにかく圧倒的な安さなのである。

 都市伝説ならぬ田舎伝説での様々な噂は真実だったのだ。思わず出たセリフが「脅威の世界」だった。

 我々が頼んだ"海鮮ちらし"にはウニも乗っていて、吸物と漬物の小鉢がついて300円。それに追加で単品の刺身、ふぐ、いか、たこ、が、それぞれ100円。 総額600円で竜宮城の乙姫様のご馳走が食卓狭しと並べられた。

 問題は味……半信半疑で恐る恐る口に運ぶと、これが大方の予想に反してかなり美味い。特に魚介類は新鮮そのものだった。

 食べ終えた頃にはすっかり暗さにも目が慣れ、あとから入ってくる新しい客たちの不安気に進む姿を笑顔で見つめる余裕も生じ、最高に満たされた気分になった。
 
 さて、今回得た数々の教訓。
 
 ① 人間は、先入観にこだわってはいけない。

 ② オーディエンスの満足度は、決して料金と比例しない。

 ③ すべての道はシルクロードでつながっている。

 ④ 真の快楽は怪しいものに寄り添う。
 
 最後に、表のパンダが持っていたホワイトボードには、この店の二階で宴会が出来ると書いてあった。要予約・価格応談らしい。

「オー アミーゴ!」 

 まだまだこの世界は驚きに満ちている。早死にするのは、もったいない。
 
 

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