おおらか
私はずっと模索していたのですが、最近になってようやく【 おおらか】を正確な関西弁に翻訳すれば、【ええかげん】というのが一番近いという考えに行き着きました。
この【ええかげん】は、あの【知らんけど】に匹敵するほど、深い関西弁だということが重要です。
【ええかげん】というのは、たしかに「チャランポラン」という「だらしなさ」の意味もありますが、元は「良い加減」「絶妙のさじ加減」だということを忘れてはいけません。そうです。温泉に浸かった時に味わう、あの感覚です。
【ええかげん】には、ゆるさ故に生じる前向きな味わいが秘められているのです。
私の60年間の人生の中でも、初期にさかのぼるほど、この国、この社会のいろんな場所に、まだまだ【おおらかさ】が残っていたように思います。笑顔で「まあええやん」「結果オーライやな」……そんな、イレギュラーを容認する達観したかのような社会観……。
高度成長期のまっただ中でも、それがちゃんとあったことを、私は自らの五体で体感しています。今になって、それがとても大切なことだったように思えてしかたがないのです。
私が愛する【おおらか】を、ひとつ紹介しましょう。
昔、今の「千葉ロッテマリーンズ」は、「ロッテオリオンズ」で、さらにその前は「東京オリオンズ」と名乗っていました。
1968年、その「東京オリオンズ」は、打撃を大幅に補強しようとして、米国大リーグ、「ニューヨーク・ヤンキース」のスター選手で、ほんの2年前に引退した、右打ちのロペスと契約しました。
ところが春期キャンプに現れたロペスは、左打ち……アレっ? と、そこで球団関係者一同、初めて、ロペス違いだったことに気づいたのでした。
ここで、思わず口をつくのが、
「ホンマに、ええかげんやなあ〜……」
東京オリオンズが契約したつもりだったのは、ベクター・ロペス。でも実際に来たのは、まったく別人の、アルト・ロペスだったのです。
彼はたしかにヤンキースに所属していましたが、鳴かず飛ばずで、その頃は故郷であるプエルトリコに帰国して、百貨店の売り子をしていたのでした。
さて、
「いったいこれは誰のせいや?」
「そやけど、間違いとは言え、ここまで来たアルト・ロペスには罪がないわなぁ…」
首脳陣…球団の高給とりたちは考えました。
「どおりで…おかしいと思うたわ、だいたい、なんぼ引退したとはいえスター選手にしては値段が安すぎたもん」
…これはまあ…「ええかげん」を通り越して「スカタン」のレベルではありますが……。
実は東京オリオンズがヤンキースに支払った移籍金は、たったの1000ドル。当時のレートで36万円だったのです。…今なら、11万ちょいです。
そこで、偉いさんの一言。
「まあええやん、こないなったんも何かの縁やがな、アカンかったらすぐにアメリカに帰したらええがな」
と、ロペスをそのまま入団させてしまったのです。
これが、私が強調したい今日のテーマ、実社会における【おおらか】なのです。
さて、実に気になる、百貨店の売り子のその後の成績。
アルト・ロペスは開幕戦でいきなり決勝打となるタイムリー三塁打を放ちヒーローになりました。
さらにその後も快進撃を続け、オールスターにも選出されます。
おまけにそのオールスターゲーム第1戦で、なんと、オールスターゲーム史上初となる【 初回先頭打者初球本塁打】を記録してしまったのです。
結局この年の成績は、打率.289、本塁打23本。狭い東京スタジアムの外野スタンドフェンスぎりぎりに打つ独自のセコい技を磨き、入団から4年連続で本塁打20本以上を記録。
さらに2年目からは、3年連続で打率3割を達成。
中でも、大阪万博の年、1970年には、打率.313、本塁打21本の堂々たる成績を残してリーグ優勝に貢献したのだから驚きです。
東京オリオンズの首脳陣は、ホンマにおおらかで、ええかげんでしたが、ハッキリ言って……この世の中やすべての人の人生を仕切ってるのが、どこの神さんか仏さんか知らんけど……
「ホンマにええかげん」 ですな。
でも、それこそが、相当、大切なんとちゃいますやろか? 今の世の中。今の時代に。