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エッセイ 諸行無常
私を含めた世代より若い人達は、ほとんど使わないが、一部の年配者だけが使用する言葉がいくつかある。
それらがやがてこの世から姿を消していくと思えば、それはそれで淋しい思いがするが、それもこの世に存在する諸行無常のひとつに過ぎないのであろう。
たとえば、"不動産屋"のことを、"周旋屋"と、呼んだりする。
"周旋"とは、あいだに入って取り持ちをする、所謂 "仲介" を意味するわけで、"斡旋"とも近い。
ボンヤリと過ごしているうちに、いつのまにか私の周りに、"不動産屋"のことを、"周旋屋"と呼ぶ人が、ほとんど居なくなった。
また、言葉そのものでなく、使用の仕方にも、同様のケースがある。
たとえば私の祖母は、大分は佐伯の出身だったが、今で言う"ハンサム"、つまり"男前"の使い方が少し変わっていた。
私なんかが、「あの歌手は、男前だ」というかわりに、「あの歌手は、男前が良い」と言った。"良い"は、"よい"でも"いい"でもかまわない。
"男前"が、"ハンサムな人間"として独立しておらず、あくまで、"顔"だけを意味している。
けれども、"男前"とはそもそも、英語にすれば、A part in front of the man となり、あえて言うなら、"後ろ姿"に相対する。よって、"男前が良い"というのが本来であり、時の流れの中で短縮化されたに違いない。
そういうことが気になりだすと、なかなか面白い。
とある古い歌の歌詞を眺めていて、ふと気づいた。
そう言えば、昔の人は、"死ぬ" を "死ぬる" と言った。
今も、"ごねる" とか、"もめる" などとは言うが、"死ぬる" とは言わない。
明治時代に書かれた軍歌、"雪の進軍"の、4番の歌詞。
♪ 「命 捧げて 出てきた身ゆえ
"死ぬる" 覚悟で 突喊すれど…」
さて、ここでまた新たなことが気になる。
"突喊"である。これは、"とっかん"と読むのだが、歌本なんかで時々、"突貫"と誤って表記されている場合がある。
"突貫" とは、まさに"突いて貫く"ことで、転じて、"無理をしてでも、一気に成し遂げる"ことを言うので、"突貫工事"のような四文字の言葉が生まれた。
もちろん、戦場でも、敵を突き破る猛攻撃、すなわち"突撃"という使われ方がされたのは、想像に難くない。
しかし、"突喊"とは、突撃する行為そのものではなく、突撃の号令に応じて、一斉に叫び声をあげる、いわゆる"トキの声"のことをさす。余談だが、"トキの声"の"トキ"は、漢字では "鬨"と書く。だから、"勝鬨"は、"かちどき"となる。
さてこの"突喊"、さらにややこしいのは、同じ読みで、"吶喊"という言葉が存在することである。
こちらの"とっかん"は、"雪の進軍"と同じく、明治時代の軍歌、"戦友"の、5番に登場する。
♪「折から起こる "吶喊"に
友はようよう顔あげて…」
この"吶喊"とは、突撃に移る前の段階で、士気を高める為に指揮者の合図に応じて大きく声を張り上げる"叫び声"のことを意味する。
よってこちらも"鬨の声"であるから、先の "突喊"と大差ないように思えるが、どうやら、"突喊"は、同じ号令でも、"突撃の号令"の場合のみに限定されるらしい。
なるほど、それならば、"戦友"の重要な場面の描写である、先の歌詞の続き。
♪「折から起こる "吶喊"に
友は ようよう顔あげて
お国のためだ かまわずに
遅れてくれなと 目に涙…」
の、"吶喊"が、"突喊"、さらに"突貫"であれば、すでに実行されている遅れの幅が大きく、いくら前の歌詞で、
♪「軍律厳しき中なれど
これが見捨てておかりょうか
しっかりせよと抱き起こし
仮包帯も弾丸(たま)の中」
と、前置きがされても、軍律違反の観点から、明らかに、公序良俗に反する。
まあ、軍歌を持ち出すだけで、偏った民族主義者だという色眼鏡で見られかねない今の時代において、"吶喊"であれ"突喊"であれ"突貫"であれ、どうでもいいと言えばそれまでなのだが、世間一般の人よりも、ほんの少し、歌詞に寄り添った生業をしている私としては、それこそ "なまじ命のあるそのうち"は、気になって仕方がなく、ほったらかしにしておくと気色が悪い。
とは言いながら、私が生きた、たかだか60年ほどにも、諸行無常が溢れかえっているという事であろう。
祇園精舎の鐘の声は、平家物語が書かれたとする鎌倉時代から、およそ700年を経た今も「諸行無常」と、人々の耳に届けられている。
私の一生なんてものは「周旋屋」という言葉一つの質量よりも、はるかに軽いに違いない。