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大人の童話 最終列車

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【 最終列車 】  大人の童話シリーズ
             久保研二 著

 新幹線を降りたあといくつかの階段を昇って降りて在来線に乗り換えると、プラットホームに流れるアナウンスが、下りの最終列車だと何度も念を押しました。
 やがてドアがしゃっくりをするように閉まり、わずか3両編成の列車が両側を真っ黒な雑木林にはさまれたままその隙間を縫って走っていきます。
 そのうち、一人降り、二人降り……しばらくすると、私の向かい側の席に座っている若者と私の、たった二人だけが青白っぽい車内にとり残されました。

 その若者は年の頃20代半ばで、足を組んで首だけを少し前にちょこんとつき出して、ニヤニヤとした含み笑いをしながら私の顔をずっと眺めています。それでも決して悪意はなさそうです。
 私は頭をフル回転させて、自分の記憶をたどりました。その顔が、なぜだか無性に懐かしいのです。とにかく必ず知っている顔なのです。もちろんそうでなければ若者の含み笑いの辻褄があいません。
 私は懸命に考えました。けれども、いったいいつ、どこで会った人なのか……それがどうしても思い出せないのです。
 若者は、首をちょこんと前につき出した最初と同じ少し変な格好で、相変わらず私を見ています。

 やがて私は過去を思い出すことをあきらめ、若者に見えるように、ちょっと大袈裟なゼスチャーで、わざと首を左右に大きく振ってから目をそらしました。
 するとその若者が、向かいの席を立ってこちらへ歩み寄り、私の隣に深く腰掛け直したのです。

「お久しぶりです」と、彼は私にささやきました。
 私は、
「たいへん失礼なのですが、たしかに私もあなたの顔に見覚えがあるにもかかわらず、どうしても、いつどこであなたにお会いしたのか、それがさっぱり思い出せないのですよ」と、正直にこたえました。

 若者はそれを聞いても、相変わらず含み笑いをしながら、
「わからないのは当然ですよ、もう相当前のことですから……」
「相当前って、およそ何年くらい前のことですか?」
「そうですね、かれこれ40年ほど前でしょうか」

 私はとっさにこの話はおかしいと思いました。何しろその若者はさっきも言ったように、25か6歳に見えます。仮に極端に童顔だとして百歩譲っても、30代前半が限度でしょう。いえ、やっぱりどう見ても20代です。それが40年前だというなら、まるで計算が合いません。生まれているわけがないのですから。

「40年前というと、私が20歳前後です。もしかすると、私もあなたも、互いに他の誰かと思い違いをしているのではないでしょうか」

「いいえ、そんなことはありません。私の顔を、もう一度じっくり見てください。どうですか、まだ思い出しませんか」
 私はそう言われて、もう一度、今度は遠慮なく、若者の顔……特に焦げ茶色の瞳を見つめました。たしかにものすごく懐かしいのです。けれどもこの、忘れようにも忘れられない懐かしさが、いったいどこから来ているのかが、どうしてもつかめないのです。

 もどかしさとの格闘に疲れ果てた私はついに戦いを放棄しました。

「だめです。どうしても思いだせません。やっぱり何かの間違いでしょう。そもそも40年前というのはどう考えても変です」

「本当にそうですか? 私はあなたに、よく頭を撫でられましたよ。私が初めてあなたにお会いした夜、私はひとりぼっちになるのがとても怖くて、クウクウと鼻を鳴らして泣いていたんです。するとあなたが、一人っきりだと淋しいだろうと言ってラジオを鳴らしてくれましたよ、玄関でね」

「ラジオだって……それはどんな形をしたラジオでしたか」

「煙草の箱を二つ重ねたような、小さな黄色いラジオです。白い紐がついていました。それをあなたは下駄箱の上に置いてくれたのです。一度傘立てに引っ掛けようとしてあきらめてから……そのラジオからいろんな人の声や歌が流れてきました」

「黄色いラジオ……ポータブルの……はい、たしかに持っていました。するとあなたはその夜、私の家に泊まったのですか、しかも、部屋の中ではなく玄関に……」

「はい、そのあともずっと……大きくなってからは、裏庭に……」

「アッ!」と叫んで、私は思わず若者の身体を引き寄せて、強く強く抱きしめました。涙が塊になってゴボッと音をたてて飛び出し、目が少しも見えなくなりました。私は抱きしめた手の感覚だけをたよりに、そのまま子供のように泣きじゃくりました。

 それからいったいどのくらいの時間、泣いたでしょうか……。
 ひとしきり泣き終わった頃、若者が穏やかに、諭すような口調で言いました。

「お客様、終点ですよ、このあとこの列車は車庫にはいりますので……」

 もうそこにあの若者の姿はありませんでした。
 私はハンカチで涙をふきながら、車掌に詫びと礼を言ってから電車を降りました。

 懐かしさを感じながらも、どうしても思い出せなかったはずです。あの若者は人間ではなく、私が20歳の頃に飼っていた"ラン"という名の犬だったのです。

 たとえペットであってもこんな再会ができるわけですから、人間にそれができないはずがありません。

 ですから私達は、先に逝った者たちのことをずっと忘れず、そして時々、思い出すことが大切なのです。       
             おしまい。

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