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エッセイ 大人の本気
山口の、とある文学系記念館の館長と話す機会があった。
その場に同伴していた者にあとで、館長の容姿を評して私が言った。
今更言うまでもないが、そもそも私はあまり口が良い方ではない。
「あの館長は"サンダーバード"だな」
連れは、当初まったくその意味が理解できないでいた。
"サンダーバード"とは、JRの特急列車の名前ではなく、私が子供の頃テレビで放送されていた海外の人形劇番組のことである。
人形劇といっても決してメルヘンタッチではなく、男の子の夢と憧れを大いに煽るSFアドベンチャーだ。
"サンダーバード"と名乗る、どの国家にも属さない国際救助隊が、世界中で起こる事故や事件で、絶体絶命のピンチに陥った人命を超科学的で多彩な乗り物や道具を駆使して救出するのだ。
この映像を見て心が躍らない男の子が居れば、よほどの変人であると思えるほどに、魅力的だった。
登場人物はあやつり人形なので、独特の動き方をする。それでも目や口は腹話術人形のように、案外リアルに動くのだ。
記念館の館長は、全身から生真面目オーラを発散していた。そして、顔の表情や身体の動かし方が、"サンダーバード"の人形にそっくりだったのである。
プラモデルといえば、今は"ガンダム"が主流らしい。機動戦士ガンダムというテレビアニメのロボットである。
私はそのアニメをちゃんと見たことがないので詳しくは知らないが、若者に絶対的な人気があり"ガンプラ"という商品ジャンルが成立しているということくらいは知っている。
けれども私の頃のプラモデルは、なんと言っても"サンダーバード"だったのだ。
サンダーバード1号は高速ロケット、事故現場にいち早く駆けつけて情報を整理し、瞬時に最善の対策を練る。
2号は超大型輸送機、現着した1号や本部からの指示を受けて必要な重機を格納したコンテナを搭載し現場に向かう。
3号は宇宙ロケット、4号は深海艇。
5号は宇宙ステーションで、地球上の全ての電波を情報収集し、チェックして必要あらばすぐに本部に連絡する。
そのほかに、2号のお腹のコンテナに入っている"ジェットモグラ"という地中を掘り進むドリル型の乗り物もある。
一番人気は2号で、その愛嬌があるでっぷりとした容姿は甲虫をイメージさせる。
この"サンダーバード•シリーズ"のプラモデルを、幼い頃いったいいくつ買って、つくって、壊したか、見当がつかない。
もちろん男の子なので戦闘機や戦艦なども好んだが、数でいえば"サンダーバードシリーズ"の比ではない。
設計図とにらめっこをしながら、セメダインが付着した指を気づかいつつ、やっとのことで組み立てたジェットモグラを、実際に砂場でもぐらせると、ドリルの先の小さな羽根がすぐに壊れ、激しい後悔の念にかられた。
ロケット系のもの、特に3号は外部構造が複雑なので、見た目はよくても、いじっているとすぐにポロリと部品がはずれてしまう。
そこで、外観がもっともシンプルで細かいパーツが少ない2号が、プラモデルでも大人気だった。
大きなものになるとお腹のコンテナが取り替えられたり、実際にその中にジェットモグラが入っていたりと、すこぶる本格的だが、そういうものは、とうてい手が届かないほど高額だった。
国際救助隊が出動する秘密基地は、どこかの離島にあるのだが、普段はリゾート施設として島全体がカムフラージュされている。
いざ出動となると、水を張ったプールの底が開いて1号が飛び立ち、山肌が開き、樹木が左右に倒れて滑走路ができ2号が出てくる。
その秘密基地全体のジオラマも発売されたが、そんなものを買ってくれる親は、億万長者以外には存在しないと、私だけでなく、少々豊かな家庭の子供を含めた誰もが信じて疑わなかった。
幼い頃は、ものすごく想像力や感受性が豊かで、些細なことにも感動できる。
大人が興ざめするようなことでも、子供には少しも気にならない。これは成長するにつれ、人がいかに具象に捕われるようになるか、ということにもつながる。
また《マンガ》という言い方は大人にとって、単にアニメーションやコミックを意味するのではなく、子供騙しの、ちゃちなつくり話を総じて使われた。
だから人形劇も実写も、対象が子供向けであれば大人にとってはすべてが《マンガ》なのであった。
当然、"サンダーバード"も、当時の大人からは、普通に《マンガ》として扱われたはずである。
つくり手も、子供の想像力の大きさが十分わかっているから、当然そこに甘える。
少々手を抜いても問題にならない。そうすることで手間も予算も大幅に縮小できるのだ。
経済的な観点からいえば、たしかにその方が効率的ではある。
こうして子供騙しが世に横行するのである。
幼い頃、血沸き肉躍らされた"サンダーバード"も、今ならとてもじゃないがまともに見れたシロモノではないだろうと思い込んでいた。
特撮技術やCGの昨今の技術進化が驚異的であることに否定の余地はない。
けれども、先の館長との出会いがきっかけで、何十年ぶりかに"サンダーバード "を、観直してみようと考えた。
懐かしさと記憶の確認が主な理由だった。
いったん心が動けば、私の行動は普段とは別人になって機敏だ。すぐにDVDが自宅に届いた。
クレジットによると、1964年。私が4歳。なんと制作国はイギリスだった。非常に珍しい。それだけでも大発見である。
アメリカとはいろんなところでセンスが異なるから、今見て面白いと思う箇所が多々あるはずだ。
いよいよ本編、オープニングが始まった。
懐かしい英語のカウントダウンが始まる。当時の記憶が一瞬でよみがえる。
子供の頃の記憶は実に深く刻まれているのだとあらためて実感した。
記念すべき第1回のタイトルは、原題を直訳すると「空の虜」となるが、邦題は《SOS原子旅客機》と意訳されていた。
音速の6倍で飛ぶ原子力を使った超高速ジェット機に何者かが爆弾を仕掛けた。そのジェット機はロンドンを飛び立って東京に向かっていたから驚きである。そう、テロなのだ。
犯行声明が伝わり、すぐさまコースを変更してロンドンに引き返すが、爆弾は車輪の近くにあったので、車輪を出して着陸することができない。
おまけにジェット機の中の原子炉が一定時間以上飛び続けると放射能漏れをおこし、乗客全員が被爆してしまうことになる。
このあたりも最近やけに心当たりがあるから複雑だ。
結局、車輪を出さずに同体着陸させようとして、2号が運んだマシーンが活躍し、乗客乗員は九死に一生を得る。
さて何よりも驚いたのは、映像のつくり込みの細かさと、徹底したリアリズムである。
人形を使った人物描写は決してリアルではないのに、そのほかは、時には実写を交え、時には複雑で微妙なカメラワークを駆使して、とにかく本格的なのである。
耳かき一杯も、子供だましの粒子が見当たらない。
"大人の本気"がそこにみなぎって溢れていた。金に糸目をつけずに制作に没頭したことが、ありありと実感できる。
同時に、二度とこういう番組はつくれないだろうと思った。
こんなものを幼い頃に見せられた私は、たまったもんじゃない。
本物は決して妙な副作用を及ぼさず、私の脳みそのひだを、気付かぬうちに押し開いて引き伸ばしてくれたに違いない。
今の時代、大人が本気で子供に提供できるものがほとんどない。
個人がいくらその気になっても、社会に呑み込まれた組織が同調しない。
それは単に経済的に割りが合わないからだ。
これらをまとめて効率性に欠けるといい、根底には、費用対効果などというもっともらしい思想がある。
黒澤明は、ほんのワンシーンにこだわり莫大な制作費を使ったという。私は決してそれを両手離しでは肯定しない。むしろ冷めた目で彼の限界を見下す嫌らしい自分も居る。
いくら贅沢でも、大人の贅沢はたいして意味をなさない。
本当の贅沢とは、子供に与えてこそ意味があると思うのだが、この先まだきちんと頭の整理がついていない。
とりあえず、もう何本か"サンダーバード"の大人の本気を観てみることにする。
世の中まだまだ、本気で味わう楽しみが残っている。 了