見出し画像

栄枯盛衰 諸行無常

 なんやかんやゆうても…とりあえず作詞の印税で糊口をしのいでいる私としては、(※ 糊口をしのぐ とは、やりくりしながらギリギリ生計を立てて暮らしていくという意味。「糊口」とはお粥のような粗末な食事を食べるということで、要は粗末な食い物を表す)。

 本職に対する研究や学習や基礎トレーニングは、いわば現役だった頃のイチローが自宅でトレーニングマシーンを扱うのと同じようなもので…そのあたりは、自分の気分や趣味で音楽を聴く人々と、実は大きな差があります。

 たとえば、本来の自分の趣味・趣向としてはまったくかけ離れていても、何か新たな発見があるかもしれない? という考えで、冷静に音楽を聴いたりします。

 誰もが名前を知っている…そんな歌手の歌を…たとえばシングルレコードのA面のベストとかを振り返って聞いてみると、ほとんどのケースで、ピークから下ってきて、やがてフェイドアウトしていく、いわゆる諸行無常のグラフが手にとるようにイメージできて、まさにこの世の栄枯盛衰、もののあはれを痛感します。

 今朝は自分で焼いた紅茶パンのモーニングを食いながら、天地真理のコンプリート シングル A面集 を、聴きました。

 天地真理のデビューは大阪万博の翌年である、1971年の秋です。

 世の中が右肩上がりだった70年代前半、天真爛漫な笑顔で国民的アイドルとなり、その後に続くアイドル歌手の基本スタイルを確立したのが彼女でした。
 
 キャッチフレーズは、
「あなたの心の隣にいるソニーの白雪姫」

 デビュー曲の冒頭に「白雪姫」という言葉が織り込まれています。ソニーのヤル気が見てとれます。

 私と同じ年代の人なら、仮に私のように天地真理のファンでなくても、ちょっと聞けば"聞いたことがある"歌だと気づくような作品が続きます。

デビュー曲①
【水色の恋】 

♬ さよならの言葉さえ 
 言えなかったの 
 白雪姫みたいな 
 心しかない私

②【ちいさな恋】 

♬ たまに会えない 
  日もあるけれど 
  それでも私は
  待っている

③【ひとりじゃないの】 

♬ 1人じゃないって 
  素敵なことね

④【虹をわたって】 

※ 1973年3月、甲子園春の選抜で入場行進曲に選ばれ、本人も開会式にゲスト出演した。

♬ 虹の向こうは 
  晴れなのかしら
  あなたの町の
  あのあたり

⑤【ふたりの日曜日】 

♬ バスは朝日の中を 
  どこへ走るの

⑥【若葉のささやき】 

♬ 若葉が町に 
  急に萌えだした 
  ある日私が 
  知らないうちに

⑦【恋する夏の日】

♬ あなたを待つの 
  テニスコート 
  木立の中のこる
  白い朝もや

 ここまでで、デビューからわずか1年5ヶ月。つまり17ヶ月で7曲ですから、だいたい2ヵ月半ごとに新曲をリリースしたことになります。その間のテレビやラジオやイベントや雑誌などの露出を考えれば、国民に対する認知度は、もう100%近くを達成していて当然でしょう。

 まさにヒット曲が数珠つなぎですが……でも、デビューから2年弱……8曲めあたりから、少しかげりが見えてきます。

⑧【空いっぱいの幸せ】 

 空 今 憧れ色に 
 輝き ふたりを呼ぶわ

 そして、1974年の春先に出たのが↓この曲。まったく私の記憶に残っていませんでした。
 天地真理の人気が、時代のせいか、飽きられたのか、それはわかりませんが、明らかに下降したのでしょう。

 ただし作品を見れば、「そらあかんわ」と、私は思わず口に出してしまいました。

 山上路夫は作詞家としては十分に売れっ子に属しますが、センスも技術も決してずば抜けた作詞家ではなく、時々エッ? と素人を疑うような表現…特定の箇所や作品全体…が見受けられます。

 とりあえず、この歌詞。素人感丸出しのツッコミどころが満載、煮ても焼いても食えないどうしようもない作詞です。

⑨【恋人たちの港】

作詞 山上路夫 作曲 森田公一

♬ はじめてよ二人して
 港へと来てみたの
 キラキラと船灯り
 夢見ているみたいにきれい
 白いあの船に乗り
 どこか遠くの国へ
 あなたと今二人
 行ってみたい知らないとこ
 港の通り歩いてゆけば
 遠く汽笛が鳴るわ

 海ぞいのこのお店
 窓ぎわへすわったの
 美しいことばかり
 なぜ私とあなたにあるの
 あれはギリシャの船と
 指で教えるあなた
 目と目が合い二人
 何も言えず黙ってるの
 お店の窓をふるわせながら
 遠く汽笛が鳴るわ

 白いあの船は
 また海に出てゆくのでしょう
 明日もこの愛は
 きっと何か見つけるでしょう

 港の街と別れてゆけば
 遠く汽笛が鳴るわ
…………

 なんとなく、落ち目のアイドルに、"やっつけ作業"で、5分で作詞したように思え、天地真理に対し、初めて気の毒に思いました。

 それでも彼女は紅白に、
第23回、1972年「ひとりじゃないの」。
第24回、「恋する夏の日」。
第25回、「想い出のセレナーデ」
 の、結局、3回出場しています。

 全盛期から人気が下降したあと、1977年1月、精神を病んで緊急入院。

 それからおよそ10年後、金に困ったのでしょうね、アダルトへ路線変更し、セミヌード写真集に踏み切り、
 さらに1986年には、もう一歩踏み込んだ…いや、脱いだ…ヌード写真集を発売後、マジにふっきれたのか、にっかつロマンポルノ「魔性の香り」に主演。

 さらにさらに、アダルトビデオ『危険なレッスン』にも出てしまいました。

 アイドルって……若い時にバカ売れするって……バブルのプールを泳いだ経験があるって……

 いろんなことを複雑に考えてしまい、バックで「荒城の月」が流れます。
 ♬ 昔の光〜今いずこ

 そんなふうに、こころを乱され、突然ブルーな気分に襲われるのが、私の生業…(暮らしを立てるための仕事)…の、サガ…定めでもあるのです。知らんけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?