![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/30891775/rectangle_large_type_2_0ed367bcd369aba33abe2fd29daa0b1b.png?width=1200)
山口線唱歌
2012年7月22日、私は蝉の豪快な鳴き声で、朝5時に目がさめた。右目を患っていたので、さめたのは、左目だけだった。
昨日ようやく来月の歌、「山口線唱歌」の音が、ほぼ出来あがったのだ。
この歌は、新山口駅から津和野までの、すべての駅の名前を、歌詞に織り込んである。
そして昨日は、CDRに仮におとした音源を、何十回も聞き込んだ。
歌というのは、あたりまえだが、作詞、作曲、アレンジ、歌唱、演奏、録音、効果音、トラックダウン、など、多くの過程、そして複数の人間がそこに絡んでいる。
だからひとことで私の歌、といっても、決して自分一人のものではないのだ。
これは謙遜して言っているだけではなく、現実の限界に対する不満でもある。
歌を創るということは、わがままで自分の世界における独占欲が強すぎる、一般的に嫌な奴でなければできないと、常日頃から私は思っている。
それでも、今回は、おおむね納得出来る作品が出来上がった。
話はかわるが、先日、とある会合で、初めてお会いした方に、挨拶したら、
「えっ? あの"ガタンゴトン"を、創られた方ですか?」
「あら? そんな歌をご存知ですか?」
「子供がずっと歌ってて、それ何の歌? と、聞いて教えてもらったんです」
"ガタンゴトン"は、2010年の7月に、1ヶ月間、テレビで放送された歌である。
「山口線唱歌」と同様に、山口線が舞台でありテーマでもある。
その後、何10曲も、同じ番組で、他の曲を流してきたのに、
「まだ "ガタンゴトン" かいな?」
というのが、正直な気持ちだった。
まだまだ、新作にとりくむ私の精進が足りない、ということであろう。
いずれにせよ、今日も、「山口線唱歌」を、何回も聞き込む。
これは、創作の最終段階で、非常に大切なことなのだが、実は、私の癖でもあるのだ。
親の証言によると、私は1歳を過ぎた頃から、当時は珍しかったテープレコーダーで、いろんな歌を飽きずに何時間も聞き込んでいたそうだ。
「みつ子の魂百まで」とは、よく言ったものである。
ませていた私は、ことわざの3歳よりもっと早くからスタートしたが、百歳までは、とうてい生きる自信がない。
いいところ90歳くらいではなかろうか……いや、これは欲張り過ぎであろう。
とりあえずの目標は、まず、60 歳。