大数の法則
人生で最初に読んだ「伝記」は、「エジソン」でした。
エジソンは子供の時、いろんなものに対して「なぜ?」「どうして?」と、執拗にこだわり、教師から厄介者扱いされました。
伝記を読んだ私はそれに影響され、その頃……小学校の低学年から、身の回りの些細な疑問に対して、自分自身が納得する答えを見出そうとする習慣がつきました。
その癖は大人になっても変わりませんでしたが、もちろん頭が文系なので、ノーベル賞がもらえるような系統や派閥とは無縁でした。
それでも私は考えます。
たとえば、子どもや若い人たちに、
「なぜ歴史を勉強することを推奨するか?」という裏付け。
表向きは、
「歴史には人類の無知と英知が詰まっているから」と、言いたいのですが、私の本音は、
「いつか人類はタイムマシンを発明するだろうし、その前に、なんらかのはずみで、自分がタイムスリップするかもしれない。
その時、もしも過去に飛んでしまった時、歴史の知識は非常に役立つにちがいない。
だから、歴史は勉強しておきなさい。」
と、なるわけです。
さて、次は、命の問題です。
なぜ自分の命を大切にして、長生きする必要があるのか?
もしも人生がレースなら、より速い速度で駆け抜けた者が勝者なのではないか?
その仮説に対する反論。
それはまさに「大数の法則」によります。サイコロの目の話です。
人生が長ければ長いほど、おそらく、人間の運や運命は万人均等に振り分けられる可能性が高いからです。
つまり、苦しい目をした、つらい人生を送ってきた人ほど、長生きする意味があるように思えるのです。最後にどんでん返しがあるかもしれませんから、昔のPLや報徳みたいな大逆転が。
ただし、たかだか100年弱の人間の人生が、人類のサンプルとしての「大数」になるかどうかはわかりません。
もしかしたら一回の人生ではなく、輪廻転生の何十回、何百回の人生の総量に対して、「大数の法則」がはたらくのかもしれませんし、または先祖からDNAといっしょに、サンプルを引き継ぐのかもしれません。
ジョン・レノンはたしか、40ちょいで亡くなりましたが、これも考えようで、普通の人の半分の生涯で、クリエイターとして、美味しいもの全部を一人占めして勝ち逃げした可能性もぬぐいきれません。もちろん本人の意思ではないでしょうが。
その「大数の法則」を自らの人生にあてはめて、ウイルスが飛び交う昨今を生き、あまりにあさましい人類や政治家や社会を目の当たりにして、山口の田舎のベッドの上でしみじみ考えるのは、
「俺は、今死んだら、勝ち逃げや」という、確信です。
大数の法則を知ってるだけに、困ったもんです。なんとなく、長生きしそうです。知らんけど。