エッセイ 杉中洋成のこと
【杉中洋成のこと】 中編
久保研二 著
夢と現実の交錯
【一】
その男からの電話は必ず、
「オマエか?俺や」
というふうにかかってくる。
この、第三者が聞けばとんでもなく無意味で曖昧なやりとりが、やたらと本人のお気に入りだった。
私にそんなふうに電話をかけるのが余程嬉しかったのであろう。時折そう言いながら、こらえきれない笑みが漏れて受話器の穴から染みだしてくることがあった。
杉中洋成、"ヒロナリ"と読むはずだが、本人は生涯、"ヨウセイ"と名乗ってそれを貫いた。
1960年、兵庫県姫路市出身。早くに父親を亡くしたがその父親は、お経を書いて生業にしていたというから極めて素性が怪しい。
19歳からおよそ20年間(※ 執筆当時)私に多大な影響を与えた悪友である。
高校生の頃の口癖は、
「40歳の俺は存在しない」
という、不吉なものだった。
その理由を尋ねても、納得のいく答えが返ってこない。
とにかく「そう決まっている」の一本槍で、のたれ死ぬのが自分の運命であり、それこそが理想だとも言った。
「変な占いで言われたのか?」
「四柱推命か?」などと問われてもことこどくすべてを否定した。
同級生にしては極めて珍しいのだが、奴は学校のすぐ近くに下宿していた。
とにかく日本酒が好きで、高校1年の時から隙あらば授業を抜け出し、たった一人で中学部軟式テニスコートの近所の立ち飲みに浸っていた。選ぶ肴は、なぜか"もろきゅう"が多かった。
当初ブラスバンド部にはいり、ソニー•ロリンズに憧れてテナーサックスを吹いていたが、夜の世界でバイトをしだすと、音楽をやりながら酒がのめるナイトクラブの楽団こそが自分の天職だと悟り、ほとんど学校に顔を出さないようになった。
出席日数が足りず、エスカレーターであがれるはずの大学推薦は当然取り消されたが、担任から実家の母親に、卒業式には来てもよいとの連絡が入った。
中産階級の真面目でよい子ばかりの男子校の卒業式。自由な校風で制服が義務づけられていなかったこともあり、紋付袴や、あつらえた高級スーツで出席する者が多い中、奴ひとりが上下純白のタキシードにサングラスといういでたちで卒業証書を受け取り、会場を大いに湧かせた。
高校卒業後、そのままズルズルと夜の街の商売楽団で、練習と労働と飲酒と姦淫を同時にこなしながら成人した。恐ろしく口がうまいうえに押しが強いので、特に異性関係は頻繁だった。
大学進学を捨て、普通の就職を捨て、堅気の暮らしを捨てたのは、酒や女だけが理由ではない。
何だかんだと言っても、テナーサックスの為だったことは、おそらく間違いない。
すべてがちゃらんぽらんでいいかげんな男の、わずかな……首の皮一枚の聖域であったはずである。
けれども10 年ほどして、神は奴からその音楽を奪い取る。
もともと強くはなかった歯茎が、楽器を噛み締める長年の酷使に悲鳴をあげたのだった。
同時に体調だけでなく、今までやってきた仕事についても大きな壁にぶつかっていた。
自分が夢見た理想と現実があまりにかけ離れていたからだ。奴の心はその頃、大きく揺れ動いていたのだった。
そんなある日のこと、キャバレーのビッグ•ショーがあった。
昔名を馳せた演歌歌手が「♪ 包丁一本、さらしに巻いて〜」と歌う後ろで「♪ パッパラパッパッパ〜」とテナーを吹いているうちに、本番中なのに涙が止まらなくなった。
「ロリンズに憧れ、スイングジャズに焦がれてこの世界に入って10年、俺は一体今、何をしているのだろう〜♪ パッパラパッパッパ〜」
それが決定的な後押しをした。
音楽という最大にして唯一の自分の生き甲斐をなくした男は、何にもなくなった自分の空虚感に四六時中脅迫され、精神を病みかけ、必死にもがき苦しんで、自分の全てをかけるに値する新たな「何か」を探し求めた。
バイク、車、写真……すべては空振りだったが、かろうじて最後にマリンスポーツがひっかかった。
少しでも可能性を見いだすと、この男の行動力は尋常ではない。
趣味と実益を兼ねるもっとも効率がいい職場を探し、当時リゾート観光の大手であった"地中海クラブ"のインストラクターに、得意の驚異的なハッタリとゴリ押しで見事にもぐりこみ、片言の英語しかはなせないのに、そのまま家を引き払ってバリ島に旅立った。
それまで住んでいた新大阪のワンルームマンションのあとかたづけを手伝った私に、生まれて初めて、 しかも最後……。
「おまえがおらんかったら、片付けが終わらんかった」と、私に本音で感謝のことばを述べた。
当時の"地中海クラブ"のパンフレットに、青すぎるバリの海をバックにウインドサーフィンをしている焦げ茶色の奴の姿が写っていた。
ちょっと見ただけでは気付かないが、言われてじっくり見ると、間違いなく本人だと判別できた。
興味はウインドサーフィンやダイビングからヨットに移り、しだいに扱う船が大きくなった。
映画007で使われたという派手な観光船の操縦士として、沖縄で働いていた時期もある。
やがてそれにも飽き足らず、さらに大きなタンカーの船長……キャプテンの資格を目指し、独学猛勉強の末、上級資格を得て、世界を股に船舶運航の仕事をし始めた。
「商船大学を出ずにこの資格を持っているのは俺だけだ」というのが自慢だった。
けれども、さらにその上の資格をとるのだと意気込んだ。
そしてもしもそれをとれば、持っているのは日本人では俺一人だと、めいっぱい私に豪語した。
とにかく奴はまず英語の勉強に没頭した。
国際的な海のルールはイギリスがにぎっていて、何でもイギリス海軍風にとり扱われるから、当然試験はすべて英語、しかもブリティッシュ•イングリッシである。大航海時代のなごりに違いない。
余談だが、空の国際ルールはアメリカが一手に支配する。
徹底して勉強したために、英語には相当自信がついたが、ある試験で、英語を母国語とする者との条件の違いを痛感したことがある。
テストで自分がまったく知らない単語に遭遇したとき、何の種類の言葉なのかが、どうしても想像がつかないことがあったらしい。
英語圏の人間なら、その単語じたいを知らなくても、およそ何の分野の言葉かが推測できるであろう"とある単語"の意味が、どうしてもわからなかったという。
あとでそれが、"十二指腸"のことだと知った。
せめて医学用語だということでもわかれば、適当に答えを書けたのに、と悔しがった。
【二】
私はそれまでずっと、黙って大人しく話を聞いていた。
けれどもそのうち、段々悲しみと怒りで頭が破裂しそうになってきた。
やがて我慢の限界を超え、奴の胸ぐらを両手で乱暴につかんだ。
「オマエらしくないやないか! いつからそんな腐った男になった? 俺が知ってるオマエは、そんな弱音を一回も吐いたことがない。ハッタリかまして生きのびてきた、仮に弱音を吐いても、絶対そんなふうには言わなんだぞ!」
そう叫びながら私は泣きじゃくった。
すぐそばに数名の友人が居る。後輩も見ている。そんな前で大人気なく安物の青春ドラマのように大げさに涙を流すことが、いかに格好悪いことかは重々理解していた。
それでもよほど感極まったのであろう、涙がまったく止まらない。
私は鼻水をすすりながら、
「オマエは変わった」と言った。
そう言ったあと、まだ泣いてはいたが、少し冷静に頭を動かした。
「そうだ、オマエは最近になって変わった。最初のうちは昔のように、好き勝手に俺をからかったやないか? その後オマエに何があったか知らんが、とにかく今のオマエは、オマエやない」
悲しくて、悔しくて、腹立たしくて、私はなおも奴の胸に自分の顔を押し付け、ぐちゃぐちゃに泣いた。
傍らに本が2冊ころがっていた。1冊はどこかで聞いたことがあるタイトルで、少しかたい内容の恋愛本。
もう一冊は女子学生向けの、いかにも軽い感じがする装丁で、タイトルは「チュッチュ恋愛論」とあった。
「今さらなんでオマエがこんな本を読むんや?」と聞きかけて、途中でなぜかことばを止めた。理由はわからない。
そうだ。今、私は小説を書いているのではない。これはエッセイでも日記でもない。
私は、杉中洋成という男を……私の中の杉中を、私の夢から引きずりだして記録しているのだ。
39年を疾走したあと激しく天空に舞って消滅した男の肉体が、それでも眼前にありありと存在したからだ。
【三】
「今さらオマエは何を病んでいるんや?」
少しはトーンを下げたが、まだ泣きやまずに詰問する私に、ついに杉中はとまどいを見せた。そのような顔をした。
何しろ、いったいこの身体のどこにこれほど大量の涙が蓄えられていたのかと不思議に思うほどの涙が溢れ出たのだ。
記録的な大雨のように、わずか数分のうちに一年分以上流れ出したのかもしれない。
「もう泣くな。泣かんでくれ」
と、半泣きの声で私にうったえる声がするが、それは私の幻聴に違いない。
実際の杉中は黙って私に襟首をつかまれたまま、顔を前後に激しく揺さぶられている。
突然、右側の景色に変化があった。窓の外側、後方から汽笛を鳴らしてSL山口号が近づきそのまま通過したのだ。とっさに
「あっ、SLや! 杉中、早く見ろ!」と私は叫んだ。
杉中はこちらに身を乗り出して見ようとしたが、先頭の機関車両は見逃したようだ。
それでも、そのあとに続く焦げ茶色の客車の上空に漂う黒煙は、しっかり細めた目で追っていた。
SLの走る姿を杉中に見てほしかった。残念だった。鬱から抜け出すきっかけになると思ったからだ。
それにしても、やはりどうも何かがおかしい。杉中がこんなふうなわけがない。
私は頭をフル回転させて、とにかく実態をつかもうと躍起になった。
そうだ、誰かが杉中を惑わしているに違いない。そうに決まっている……。
何者か良からぬ者、邪悪な者が必ず近くに居るはずだ。すると誰かが叫んだ。
「出た!化け猫だ」
私のすぐ右後ろに菱形の黄色い異様な目つきをした、男とも女とも区別がつかない人間のような黒猫が、狡そうにしゃがんで私を見ていた。
一瞬背筋がゾクッとした。たしかに気味が悪い。
「呑まれる!」という危機感が走ったが、とっさに、
「妖怪ごときに呑まれてなるものか!」と気合いを入れ、奥歯を噛んで睨みつけると、即在に恐怖は怒りが吹き飛ばした。
「やめとけ!」という友人らの恐怖でひきつった声を聞き流し、
「オノレか!」と怒鳴りながら、化け猫の横面を力一杯殴りつけた。
右の拳に手応えがあった。
化け猫は「ウギャー」というわけのわからない悲鳴をあげて飛び跳ね、少し離れた場所から恨めしそうにこちらを眺め、しばらくすると操り人形のような気味悪い動きで狂ったようにバク転を繰り返した。
やはり正体は、化け猫だった。
杉中はずっと無言で成り行きを見守っている。
私はそれも気に入らなかったので、まだ回転している化け猫になおも躍りかかり、強引に投げ飛ばした。
化け猫は、わけのわからない捨て台詞を吐いて、とうとう私らが見えないところまで逃げていった。
【四】
杉中と一緒に田舎道を歩く。
心が安らぎ、懐かしいにおいがする。
もしかすれば、天国とはこんな場所かもしれない。
それでも「なんか、変な道やなあ」と私がつぶやく。景色がどこかおかしい。草や花が造花っぽいのだ。
少しばかり坂をのぼって、私たちは阪急電車に乗り込んだ。
古いタイプの車両で、小豆色の表面のクリアが剥げて、すすけた焦げ茶色になっていた。
シートの下から暖房が効いている車内には、私たち二人しか居ない。
おもむろに、杉中が口を開いた。
「オマエ、昔俺に言ったことがあるよな」
「何をや?」
「オマエが女と別れた時や」
「いつの話や?」
「その時、オマエが俺に言うたんや、胸が痛いというのはレトリックやなくて、実際に痛いからそう言うんやと」
そのことを私はちゃんと覚えていたが、あまりに格好が悪い話なので、
「忘れた。そんなこと言うたか言うてへんかも、見当つかん」と答えた。
杉中はこれがどうしても気に食わないらしく、
「忘れたとは言わさん、たしかにオマエは俺にそう言うたやないか」と、くってかかった。
仕方なく、
「言うたような気がする」と、少し譲ってやった。
「それで、それがいったいどないしたんや?」
「俺はオマエからそれを聞いた時、"アホちゃうか"と思った。そやけど今になって、それが身にしみてようわかってしもた」
「わかってしもた、ゆうことは、わかりたくなかったんか?」
「わかりたくなかったけど、わからなあかんかったことや、それだけは間違いない」
「人としてか?」
「いや、そんなことはどうでもええ。とにかく、わかる前とわかったあとでは、俺は別人や、別世界や、俺はずっと今までガキやった」
私は極端に冷めた口調で、杉中の瞳を凝視しながらつぶやいた。
「オマエ、わかってるか? その話、それとまったく同じこと、30年ほど前にオマエは俺に言うたんやぞ。オマエがタツヨと別れたあとや……そう言えば、俺の車の後部座席に積んであった3匹の猫の顔がついたティッシュカバーを、どうしてもタツヨが欲しいと言うて、オマエも調子にのって"くれくれ"と言うから、仕方なくそれをタツヨにあげたんや。そうや、あの時の白猫がさっきの黒猫に化けたんやないか?」
「それは、なんぼなんでも考えすぎやろ?」と、今度は杉中が静かにつぶやいた。
一呼吸おいてから私はとうとう大事なことを言った。言わねばならなかった。ずっとそうしようと考え続けてきたのだから。
「それから」と、前置きをして、
「オマエ、ちゃんとわかってるんやろな、オマエは、もうだいぶ前に死んだ人間なんやぞ」
電車の中の色彩が蒸発し、ヌルリっとモノクローム化した。
それと同時に杉中の顔が写真になった。
私は舌うちをして吐き捨てた。
「逃げたな、とっさの対処ができずに、俺の脳みそめ……」
【五】
夢の中の杉中は本当の杉中なのか? それともそれは、私の願望、深層心理の現れなのか。
オマエはオマエの意思で私に会いに来るのか? それとも私の脳みそが勝手にオマエを映しだすのか?
たかだか、あれから十年(※ 執筆当時)余分に生きただけで、歴史としてとらえればほとんど差がない。
遅かれ早かれ、いずれ私もそこへ行く。その時には、どこまでがオマエで、どこからが私だったか、それをはっきり教えてもらえるのだろうか。
もしもオマエがそこに居れば、どうせ20歳の頃の財布の中身のように、
「どっちでもええやないか、細かいことをごちゃごちゃ言うな」と、うっちゃるに決まっている。
けれども、本当はそれが一番杉中らしいのだ。
「ところでオマエはいつまで俺に関わってくる?」
「嫌か?」
「別に……」
「関わってるのは、オマエの方やろ?」
「そうかもしれん」
「そういうことや、胸に手をあてて、よう考えろ」
「そんなんせんでも、はなからわかっとるよ……」
【六】
「俺は人に自慢することなんか、なんもない」
「そうかな?」
「ああ、そうや。そやけど俺は今まで、とにかく自分の好きなようにだけ生きて来た。どんな誘惑に邪魔されても、徹底的に自分に正直に楽しんだ。そのことだけは、誰にも負けんという自信がある。これは、絶対にや」
「そう言われると、たしかにそうかもしれんな」
「"そうかもしれん"とちゃうわい! 絶対にそうなんや。俺みたいな生き方をした奴、他に見たことがない。ないやろ? どうや、ないやろ?」
「たしかに、オマエのようなええかげんな奴、他におらんわな」
「たいがいにせえ……とにかく、俺の生きた証しは、ただそれだけや。俺はそれだけで十分なんや」
嫌な予感がして、何となく気になったのでたずねた。
「死後の世界を考えたことがあるか?」
「死んだら、それで終わりや。それ以上、何もない。ジ•エンドや」
「大きなテーマを、えらい自信もって言い切るんやな」
「あたりまえや、死後の世界があるんやったら、生まれる前の世界があったはずや。俺らが生まれる前もちゃんと歴史はあったやろ、俺らが生まれたあとで生まれてきた奴らは、俺らが遊んでるあいだ、いったいどこにおったんや?」
「たしかに……」
「それが無の世界や。誰かてその無の世界をすでに経験してるやないか? 生まれる前に……その永遠の無が怖かったか? 淋しかったか? 何もなかったやろ? それが無なんやから、そんなもん、なんも恐れることはない」
杉中は手の平を顔の前で風鈴のようにくるくるとまわしながら言った。
「そやから、こうして手足が見えてるうちに、好きなことをやって、好きなように生きるんや」
私は、半分ほど納得してうなずいた。
「何か飲むか?」
杉中が立ち上がって聞いた。
「紅茶やったらあったはずや、近藤の家やからようはわからんけど」
「ええよ、俺に気をつかうな」
「オマエに気ぃなんか使うか……ちょっと待て、今とりあえず湯だけわかす」
「水を湧かしたら湯になるけど、湯をわかしたら何になるねん?」
「しょうもない屁理屈いうな」
「ええよ、今なんも要らんて」
「大きな声だすな、今何時やと思ってんねん」
私は調子を抑えて言った。
「オマエ、いつからそんな"よい子"になったんや?」
「あほ、隣にポンちゃん(長尾カルビ こと 中村晋太郎)が寝てるんやぞ、何回も言うようやが、俺には常識はないけど、良識はあるんや」
そう言いながらケトルに水を注いでコンロに置いた。
そしてつまみをまわして火を着けようとしたが、何度やってもうまくいかない。
「おかしいな、ガスの元栓もちゃんと開いてるのにな」
しつこいくらい繰り返したあげくに
「近藤のやつ、なんかセキュリティーでもかけてるのかもしれんな、きょうびのマンションは、ようわからん。悪い、紅茶はあきらめてくれ」
そういうなり、杉中はトイレにはいった。
私は、何の気なしに立ち上がり、キッチンに向かい軽くつまみをまわしてみた。
すると苦もなく一回で着火するではないか。
一瞬背筋が冷やっとした。火が、炎が、生命が杉中を避けているような……。
私は、着いたばかりの青い炎と、今つまみをまわした右手を交互にじっと見つめた。
見てはいけない炎を見て、触れてはいけないつまみに触れたような気がしたのだ。
トイレから出て来た杉中が
「あれっ、どないして着けたんや?」と、驚いた。
私は、
「心のきれいな人間がやれば、すぐに着くんや。オマエはだいぶ汚れてるからな」と、自らの不安を振り切るように言った。
ティーパックのオレンジペコを飲み干したあと「そろそろ」と言って私は立ち上がって玄関に向った。
「ええで、ここで」
靴をはきながら背中で言った。
「いや、おもてまで見送る」
マンションのドアを開けると、ほんのり外が明るかった。来る時に激しく降っていた雨はもうあがったようだ。高層だからやたらと風が強い。
私は軽く右手を振り背を向け、エレベータに向かって数歩歩いた。
「おいっ」と声がかかった。
振り向くと、杉中は歩み寄ってきて右手をさしだした。
「なんや、気色悪い」
「シェイク•ハンドや」
「わざわざこんな、普段絶対せんようなことをすな、縁起が悪いやないか」
「あほ、これは万国共通の挨拶や」
そのあと、杉中は言ってはならないことばを、流暢な発言でつぶやいた。
「シーユー アゲイン」
私はイヤイヤ、その手を握りながら、最後の質問をした。
「次、いつ日本に帰って来るんや?」
しばらく困惑したあと、小さく答えた。
「すぐ帰ってくるよ……それで、またいつか必ず会える」
かすかな予感があった。これが今生の……。
【七】
それから3日後の朝、同じく同級生の北田からの電話でたたき起こされた。
「落ち着いて聞けよ、久保……今近藤から電話があった。どうやら杉中が死んだらしいんや。事故か何か、詳しいことはまだわかってない」
「死んだんは、どうなんや?」
「それは、間違いないみたいや」
その後、知人友人らのコネクションも活用して情報を集めた。
最後は外務省の係員から、緊急ビザを発行してすでに母親が現地に向かっていることが確認できた。
フロリダで、自分が操縦するセスナ機が、沼地に墜落したらしい。現地の新聞記事も届いた。
なかなかショックから立ち直れない私の夢枕に、7日目になってようやく杉中が現れた。
しばらくは普段どおりのやりとりをしていたが、とうとう私は重要なことに気付いて、
「ちょっと待て、おまえ、たしか死んだはずや」
と、問いただした。すると、
「たいがいにせえよ! オマエがあんまり"ミャアミャア"と泣くから、それでわざわざこうしてわざわざ出てきたったんやないか、礼のひとつでも言わんかい」
「そうか、それは悪かった。それで、どうや、調子は?」
「ボチボチや」
「ボチボチではわからん」
「ボチボチゆうたら、ボチボチや」
「そっちは、オマエ一人か?」
「いや、みんなおるよ」
「みんなって、誰や?」
「みんなゆうたら、みんなや」
「それで、そっちは、しんどいか?」
「いや、そんなことはない。気楽なもんや」
「オマエどこでも気楽やないか、こっちと比べてどないやと、俺は聞いてるんや?」
「そやなあ……そっちで楽してる奴らは、こっち来たらキツいやろな」
「オマエが大丈夫なんやったら、俺は余裕で暮せるな、そっちに行っても」
「そういうことやな」
憎まれ口が返ってくるのを期待していたのに、予想に反して、そこだけは否定しなかった。
目覚めたあと、私は杉中の死から、滑稽なくらいふっきれていた。
【八】
神戸の垂水にある団地に、年老いた母親が居た。
小さな和室に仏壇が座っていた。
遺影はパリッとした船長姿だった。
もちろん、船乗り独特のしっかりした生地の帽子をかぶっている。
生前から、本人が一番気に入って、母親に自慢していた一葉らしい。
仏壇の正面に、渋い光沢を放つ、セルマー社製のテナーサックスがたてかけてある。
死ぬ前の日も、杉中は母親に国際電話をかけ、新しい免許証が届いていないかと聞いたらしい。
船舶最上級の資格の合格通知はすでに手にしていたが、写真入りの本証である免許証がまだだった。イギリスから近日中に郵送されるはずだったのだ。
その免許証を畳の上にすべらせて私に見せ、
「結局、あの子は生涯、これを見ることができずに逝ってしまいました。あんなに欲しがってたのに」
と言いながら、母親は目頭を押さえた。
帰りぎわ、母親は遺影に向かって呼びかけた。
「ヒロナリ、くぼさん、帰られるよ、ちゃんとお礼を言いなさいよ」
やはり"ヨウセイ"ではなく、ヒロナリだったのだ。
「ずっと俺も世間も、騙し続けてやがったな! 次おうたら、真っ先に、"よう、ヒロナリちゃん"と呼んでからこうたる」
私は団地の前の坂を下りながら、含み笑いをして杉中が居る団地の窓を見上げた。
昨日までの冷え込みが嘘のような、ぼんやりした昼下がりだった。 了