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すきな作品のポストでややバズりしたら「見たくない」と空リプされていた話


 考えをむりやりにまとめた感じがモロバレの内容だが、これを書いて、今回のことを自分なりに咀嚼できたような気分。
 理解しているし、そうでなくてはならないのに、自分だけが悲観している。
 そんなnote。

バズらせていただいたものの後悔することになってしまったわけ

 見なくていいものを見てしまい、モヤモヤしてしまったので、吐き出すことにした。

 人生において、自分のなかで大切な作品は、両手で数えられるほどだった。
 思春期に自分の人格を形成してくれた作品は、ひな鳥が生まれて最初に見たものを親だと思ってしまう刷りこみのような感覚で、生涯忘れられない作品になってしまう。

 学生のさなか、あの『運命の作品』に出会った。

(該当作品がすきな人に、この記事を読んでほしくないので、あえてnote内では言及しないようにするけれど、Xのポストは貼るので、作品名については、察してほしい。
 いや、これを貼ってしまったら、検索で引っかかってしまうのか?
 万が一なことが起きたら、ポストの引用を削除するか、この記事自体を削除しようと思うので、今はこのままにしておく)

 以上が、ややバズりし、自分の人生で一番すきなアニメ作品についての一連ポストだ。
 少しずつ伸びていき、作品を愛する方たちと交流もできた。本当に楽しい時間を過ごさせてもらった。
 おそらく、リプライはすべて返したし、引用リポストも、いいねをすべて押してあるはず。
 今回は両手で抱えられるていどの、ややバズですんだので、「見させていただきました」の気持ちで、なるべく反応させていただいた。

エゴサーチなんてしないにつきる


 そんなこんなで、うれしい気持ちにさせていただいたのだけれど、けっきょく最後は「モヤモヤ」した気持ちで収束を迎えてしまいそうだったので、あわててnoteを書いているしだい。

 なぜ、自分がこんなにモヤモヤしてしまっているのかは、インターネットやSNSにくわしいかたなら、おおかた予想はつくと思う。

 そう。作品名でエゴサをしてしまったのだ。
 当然、時期的に自分のツイートの空リプ、いわゆる空中リプライが多くポストされている。
 自分にも、一般的な人間の欲というものがある。気づいたら、勝手に食指が動いてしまっていた。
 結果モヤモヤを抱えることになってしまったのだから、笑えない。

 空リプには、こう書いてあった。(該当ポストとは極力、いいかたを変えているが、内容はほぼ同じに表現している)

 このご時世、性別のことについて、強い言葉で言及している作品は、自分だったら子どもに見せない。

 ハッとした。
 あの作品の放送されたのは、2001年。まだ21世紀になりたてほやほやの時代だった。
 今のご時世とは、考え方も、物の見方もなにもかも、違う。

 そういえば、引用リポストでも「見せない」と書いているアカウントがあった。
 少なくとも、自分のしたポストでこれだけの人が、あの作品について、首を傾げている事実に、息をのんだ。

ここ十数年で「ジェンダー」という言葉を耳にすることが多くなりました。ジェンダーとは、日本語では「社会的性差」ともいわれます。つまり、「男らしい」「女らしい」という社会的なイメージや、「家事は女性がやるもの」といった社会的な役割分担のことをさします。

SDGs目標5.ジェンダー平等とは?男女差別をなくしていこう 

 自分なりに、知っていたはずのジェンダーを、あらためて考えてなおす。
 もちろん空リプの内容は、至極まっとうで、当然の意見。
 それでも、背筋は勝手に、ひんやりと冷えてしまう。じょじょに、悲しみがこみあげてくる。
 ジェンダー。あの作品に対して、こんな意見がでる日がきたのだ。
 それも「自分がしたポストのせい」だと思えてしまう時系列だったため、よけいにモヤモヤが激しくわき起こった。

 これからも、ずっとずっと、すきな作品だ。
 主人公の数々のセリフに、胸を打たれた。
 初めて聞いた時から、ずっと自分の胸に刻みこまれているし、人生の指針になっている。
 生まれついてのネガティブ志向の自分に、進み続ける力をくれた。
 キャラクターたちがつむぐ言葉は印象的で、力強くて、一度聞いたら耳から離れない。
 どのキャラクターたちにも、自分の生きざまがあった。アニメのキャラクターなのに、人生があった。当然のことだが、そのときは衝撃的だった。
 学生の少ないお小遣いで、ファンブックを買って、何度も読みこんだ。そんなことは初めてだった。
 学生の少ないお小遣いで、ドラマCDを買って、セリフを覚えるくらい聞きこんだ。そんなことは初めてだった。

 自分は小学生のころから、「自分だったら、自分の子どもに対してこういう言葉をかけてあげたい」だとか「こういう方針で育てていく」という意識があった。みんながみんな、そうなのかはいまだにわかっていないけれど、自分はそういう感情を待ち、ずっと自覚していた。
 そんな自分だったから、強く思った。
 自分が結婚して子どもを授かるとき、生まれてくるのはぜったいに男だろう。
 成長したら、この作品をぜったいに見せよう。
 だから、このことをずっと覚えていようと。

人の価値観は移ろいゆく それに歯止めなんて打てないから


 まさか、自分の人生に影響を与えた作品に、こんな意見が届く日が来るとは、思いもしなかった。
 空リプの意見は、もっともな意見だ。
 男だから、こうするべき。女だから、こうするべき。なんて、ぜったいにいっちゃだめな時代になったのだ。
 SNSでも、性別のことに対して、強く主張しているアカウントは、数多く見られる。
 自分も「~するべき」などという価値観の押しつけは誰であっても、誰に対しても、してはならないことだと思う。

 自分が、子どもたちに向けて作品を書いている物書きでいたい人間だから、今回のことはよけい、ひどく戸惑った。

 自分は、間違っていたのか?
 物の見方をアップデートせず、いまだに過去の作品をまつりあげている、時代遅れの価値観の人間なのか?
 仮にも出版させてもらった身で、あの作品を息子と見たと、SNSでどうどうと発表して、令和の時代にジェンダーに対して、遅れた価値観を持った作家だと思われてしまうことが怖いのか?
 それはとても、震えあがるようなことだと、悲観しているのか?

 ずっと愛してきた作品を「もう見ないほうがいい」とお気に入りリストから外すべきなのか。
 息子に「この作品でいっていたことは、これからの時代では通用しないからね」とアドバイスするべきなのか。
 息子の目の前で、時代遅れの作品と、レッテルを貼っておくべきなのか。

 それで、いいのか?

 自分は、この作品からもらったものがたくさんある。
後ろを振り向くなんてことは、とてもダサいこと。
・考えている暇があるのなら、前のめりで行動すること。
・強くなりたいのなら、自分の弱さを知ること。
 他にも数えきれないほどのことを、教えてもらった。
 多少の文句なんて、跳ねのけてしまうほどの力が、あの作品にはある。

 あの作品の威力は、こんなもんじゃない。自分の杞憂であったと、笑えればいい。

 見たくない作品は、見なければいいのだ。

 あらゆる作品は、人間の頭のなかから生まれる。
 しかしこれからは、どこに逃げても、コンプライアンス、ジェンダー平等、人権問題がつきまとう。
 AIならば、それらはかんぺきに回避するのだろう。
 だが、過去の作品は?
 クリエイターたちの血肉から生まれた、作品たちは?
 すでに、淘汰されてしまっている過去の作品もある。 

 現代の価値観から逸脱した作品たちが、いつの日か閲覧禁止となる日が来てしまうのだろうか。
 排除するのではなく、どう付き合うのか。どう受け止めるのかとは、なれないのだろうか。
 こういう時代もあったと、知り、教えあい、割り切り、残していってほしい。
 その作品に救われている人間が、ひとりでもいるのなら。

 そう願って止まない。

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