三木聡ファンからみた映画『大怪獣のあとしまつ』

映画『大怪獣のあとしまつ』

2022/日本 

監督 三木聡


まず最初に言っておきたいのは、酷評の意見の中で、実写映画『デビルマン』と比較している人がいますが、はっきりいって『デビルマン』と『大怪獣のあとしまつ』は全然違うものです。『デビルマン』は2004年に公開されてから20年近く経っているにも関わらず、いまだにダメな映画のトップとして君臨しています。そして今回『大怪獣のあとしまつ』がダメな映画ということで2つを比較する人が現れているのですが、今から20年後につまらない映画が公開された時に『大怪獣のあとしまつ』のようだ、という意見が出てくるでしょうか? おそらく現れないと思います。私には20年もの時を超えうるような衝撃的な酷さを『大怪獣のあとしまつ』が持っているとは思えないのです(これ良いのか悪いのかわかりませんが……)。しかし『デビルマン』ほどではないと言いつつも、そんな意見が出てくるほど『大怪獣のあとしまつ』が酷評されているのもまた事実です。一体なぜここまで酷評されてしまったのかを考えてみます。


まず原因のひとつは映画『シン・ゴジラ』のせいです。

『シン・ゴジラ』は日本に怪獣が本当にやってきたらどう政府は対応するのか? という状況をリアリティーを持って描いて、2016年大ヒットした映画です。そして『大怪獣のあとしまつ』は怪獣が死んだ後に政府はどのようにその死体処理をするのか、という映画です。どちらの映画も描かれているのは政府の対応の仕方です。

『シン・ゴジラ』では政府という巨大な組織の動きの過程を見せるために、大量の登場人物が必要となりました(たった1シーンのためだけに古田新太とモロ師岡が出演したりするシーンもありました)。必要性を持ったうえで大量の豪華キャストが『シン・ゴジラ』は揃えています。そしてその『シン・ゴジラ』があったうえで『大怪獣のあとしまつ』は創られた映画です(推測ですが、主人公の名前がアラタなのもシン・ゴジラのシンの部分をシン→新→アラタという言い換えではないでしょうか)。そのため『大怪獣のあとしまつ』にも政府の対応について描くため、当然のように多くの登場人物が出てきます。しかし登場人物というのは多すぎるとドラマの邪魔になってしまっているのです。

『シン・ゴジラ』の監督は、映画という限られた時間で描ける人数は「1、5人がいいところですね」と答えたことがあります。15人ではありません。主人公プラスアルファで1、5人です。じゃあなぜ『シン・ゴジラ』は登場人物は多いのに成功したのかというと、プライベートな部分は主人公も含めて描いていないからです。大量の登場人物で描いているのは政府の対応という1つだけで、それ以外は一切削ぎ落としているのです。『シン・ゴジラ』では公私でいうと公の部分だけで登場人物たちは繋がっています。

一方『大怪獣のあとしまつ』の方なのですが、この映画のポスターにはこちらを向いた5人の人間が描かれています。5人とも怪獣の死体処理を行う行政側の人間です。『大怪獣のあとしまつ』の登場人物たちは公だけでなく私の部分でも関係があります。ポスターに登場しているのはまず主人公のアラタ、そしてアラタの元恋人、その元恋人の夫、元恋人の兄、とポスターに出ている5人のうち4人が(元々は同じ職場にいて)プライベート的にも関係を持っています。映画の登場人物たちが、公私どちらとも関係があるというのは普通のことです。ただしそれをしっかりと描くには、映画に出てくる登場人物が多すぎたのだと思います。『大怪獣のあとしまつ』には複雑な恋愛関係は出てきますが、肝心の恋愛感情はそれほど描かれていません。この人がこの人を好きというのは分かるのですが(主にキスシーンで表現)、それがなぜ好きなのか、具体的ななれそめなどは映画の中で表現されることはないのです。登場人物の公私ともに描かれる(普通の)映画を創ろうとしているのに、私の部分で描きこみ不足が起きています。これが『シン・ゴジラ』の悪影響です。

ここまで読んでいただいてありがとうございます。でも実は三木聡監督のファンとしては、そんなことはどうでもいいのです!

もともと三木聡監督は、ナンセンスなギャグをつるべ打ちしていくスタイルの、プロです。それなのになぜ今回ギャグがスベっているなどと酷評されてしまったのでしょうか?

(続きます!)

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