実写版『進撃の巨人』 感想

一昨日、アニメの実写『「進撃の巨人」完結編 THE LAST ATTCK』を観ました。本当にどう終わるのか全く知らなかったので観てる間ハラハラしましたし、最後の最後にあの作品に繋げるのは「本当に大丈夫なのか? みんな付いていけてる? 暴動とか起こらないのか?」と心配になりました。でも個人的には好きでした。

という話と関係なく、なぜか自分が過去に書いた実写版『進撃の巨人』の感想を読みたいと言われたので、ここに転載しておきます。

2015年『進撃の巨人 ATTCK ON THE TITAN』
(ネタバレあります)
盛り上がるべき所で盛り上がるように、ちゃんと構成されていないんじゃないかと思いました。

例えば、この映画(前編)のヒロインは、物語的にはヒアナ(水崎綾女)であるはずなんです。

まず主人公のエレン(三浦春馬)の目の前で、相思相愛であっただろうミカサ(水原希子)が、赤ん坊を救おうとして亡くなってしまいます。
その事で、エレンはショックを受けます。ですから、壁の外の危険地帯でヒアナが「赤ん坊の声がする」と言って赤ん坊を探しに行った時に、エレンはついていくのです。つまり、ヒアナとミカサを重ねてみているのです。
その後、ミカサが生きているのが分かりますが、彼女は以前の彼女とは変わってしまっていました。
その事で再びエレンがショックを受けていると、ヒアナが「子持ちは嫌?」と迫ってきます。しかし、そのすぐ直後にヒアナはエレンの目の前で巨人に食べられてしまいます。
そしてエレンも巨人に食べられます。その胃の中で、エレンはヒアナを見つけます。慌てて、ヒアナを抱き起こしますが、ヒアナの顔半分はもう酸で溶けており明らかに生きている状態ではありませんでした。
それを見て、エレンは巨人に変身するのです。

つまりミカサというヒロインがいない代わりをヒアナが補っているのですが、実際には、ヒアナのキャラクターは「子持ちは嫌?」というエレンに迫る死ぬ直前しか目立つ所はありません。
それまでは正直、モブキャラの1人にしか見えないのです。

ヒアナが、エレンと観客からヒロインとして愛されてこの映画(全編)は進まなければならなかったと思います。ところが実際はそうなっていないことが問題だと思います。これは私の読解力の問題かもしれませんが、胃の中で半分顔が溶けているのがヒアナだと、私は1回目の鑑賞では気づきませんでした。本当はここでエレンと一緒に観客がショックを受けなければならないのにです。

この映画(前編)のヒロインであるべき人物が、ちゃんとヒロインの扱いを受けていないのが、問題だと思います。

次に、エレンがシキシマ(長谷川博己)に「飛べっ」と言われて飛ぶ、つまり巨人に闘いを挑むシーン。
ここは、盛り上がるべき箇所なんですが、なんというか、普通に観てしまいました。

初めて闘いを挑むというシーンで、盛り上がるために大事な事は、それまで戦っていない人間であることです。
しかし、エレンは、私は充分戦ってきたと思うのです。まず、ミカサが巨人に食べられるシーンで、遅かったとはいえエレンは自分の意思で外に出ています。
そして兵士(?)となり、壁の修理をするために危険地帯へと出発します。
これはもう充分戦っているのではないかと、私なんかは思うのですが……。

そして直接的な意味での闘い、ジャン(小出恵介)と喧嘩するシーン、エレンがジャンを空中飛び膝蹴りで倒します。
この喧嘩、物語的に絶対に勝ってはいけなかったと思います。
ここで勝ってしまったことにより、巨人に闘いを挑むシーンがドラマティックになりませんでした。
なぜなら、巨人に闘いを挑む時に、ジャンは戦意を損失して「無理だ」「逃げよう」という意味の言葉をエレンに言います(ちょっとこの辺りうろ覚えですが)。そのジャンの言葉を振り切って、エレンは巨人に飛ぶのです。

自分(エレン)より強い人が戦意喪失している中で、あえて闘いを挑むから、このシーンは盛り上がると思うのですが、実際にはエレンはジャンに喧嘩で勝っているのです。強い人間が、弱い人間の言葉を振り切って闘いに挑むのは、何と言うか、その、普通のことです。

では、なぜ喧嘩に勝つようにしたかというと、最後エレンは巨人に変身して闘う時に、格闘術(喧嘩殺法?)を使って戦うからです。それが、他の巨人との差でもあり、巨人になったエレンの強さでもあります。その最後の巨人の闘いに繋げるために、あの喧嘩のシーンがあります。ソウダ(ピエール瀧)に「あいつは喧嘩は昔から強いんだ」とも言っていましたが、だから巨人と同じ大きさになったエレンは、強いのです。

それでも、あの喧嘩は、物語的に勝つべきではなかったと思います。格闘訓練ではものすごく強いが、実際の喧嘩ではどうしても手が出せない人間にするなどして、人間として巨人に闘いを挑む場面と巨人化してからの闘い、どちらも活かすやり方はあったはずです。

しかし、まだ前編が終わっただけなので、後編を観終わった時に「全てカンペキな構成!」といった意見に変わらない可能性がないわけじゃないので期待しています。

後編の予告で、「やっと会えたな」と壁を壊した(1番有名なあの)巨人に向かって言っていますが、原作で母親が殺されたシーンはカットしているし、代わりに殺されたと思われたミカサは生きているので主人公の周りの人間は1人も直接的にあの巨人に殺されていないため、かなり因縁が(全編を観る限り)薄くなっているのがちょっと心配です。


ここまでが前編の感想となります。以下が後編を観た後に書いた文章です。


これから書くのは、実写映画『進撃の巨人』を理解するためのサブテキスト(裏にある意味)です。

○エレン、アルミン、ジャン、の3人は、この映画ではびびりとして設定されています(びびりは、小心者、チキン、という意味です)。これが分かっていないと、3人が勇気を振り絞る所で感動できません。逆に言うと、これが分からないからこの映画は感動できないんだとも言えます。

○ミカサとアルミンを連れて、壁の側に行くエレン。なぜ、エレンが壁に近づく抜け道を知っているかというと、壁を守る警備の仕事に就いていたからです。エレンは、仕事をすぐ辞めてしまう男として登場しますが、壁の警備もその1つです。だから最初に、壁の警備の仕事について、悪態をついています。

○壁の警備兵に「ミカサにさわるな」と言って飛び蹴りをします。これは、後のシキシマとの闘いでも、全く同じ事を言っています。

○ソウダ(ピエール瀧)との再会。ソウダが、亡くなった奥さんと子供の事を話している中で、サシャが「あの、まだですか」と言って、ジャンが「おいおい」と返すのは、ソウダの話に皆が聞き入っている状態に水を差しているからです。……という、脚本上ではそのような意図で創られたシーンだと思うのですが、実際の画面ではリル(竹田梨奈)が恋人といちゃついていたりと、全員が聞き入ってはいません。

○ジャンが「馬鹿夫婦が」とカップルに悪態をつきます。ちなみに後編のラスト近く、壁の上で、エレンとミカサ、アルミンとサシャがカップルのようになっているのを見て、ジャンは苦々しい顔をしています。まあ、ジャンは、そういうやつなのです。

○ミカサがピアノを弾いています。この部屋がぼろぼろの布で覆われているのは、かつて、ミカサは布染めの仕事をしていたからです。最初、ミカサの登場シーンで登場したきれいな布と、この時のぼろぼろの布とで、ミカサの心の荒廃を表しています。

○ミカサが弾いている曲は、後にエレンが、白い部屋の中で、蓄音機で聴く事になる曲です。つまりミカサは、シキシマに助けられた後に、白い部屋に連れて行かれてエレンと同じように説得(洗脳)されたのでしょう。

○巨人との戦闘シーン、屋上で、エレンがジャンを見つけます。ジャンはこの時、戦闘から隠れています。それがわかりづらいくなっているのは、巨人に怯えて隠れるなら、普通、屋外じゃなくて屋内だろうと思うからです笑。

○ジャンを救うために、全員で音をだして気を引くという場面で、アルミンは、子供に直してと言われていた、音がでる装置を使って、気を引いています。

○進撃の巨人・前編のラストカットは、巨人から出てきたエレンが目を開けると赤い、というものですが、これは実写版『ガッチャマン』のラストカットとほぼ同じです。ちなみに同じ脚本家(渡辺雄介)が書いています。

○エレンの両親が、クバル(國村隼)たちに連れて行かれますが、エレンの両親はおそらく裁判無しで死刑になっています。

○エレンが巨人に連れ去られた後、アルミンが墓に水をかけています。しかし、アルミンが持ているのは、よく見るとソウダの水筒なので、これはソウダの墓で、かけているのは水ではなくお酒です。

○不発弾を掘り出した場面、ミカサが岩の上に立って壁を見ています。映画冒頭、エレンは不発弾の上に立って、壁をじっと見ていました。その時のエレンの気持ちを、ミカサは同じ事をして思いを馳せているのです

○サシャがミカサに花を渡します。その花が白色なのは、映画冒頭でミカサが着ていた服が白一色なのとリンクしています。

○サンナギ(松尾諭)の死の場面。最後の力を振り絞って塔を壊します。前編で巨人を背負い投げしていましたが、そことリンクさせています。
サンナギは、銃で撃たれて前のめりに倒れそうな所を、最後の力をふりぼって、振り返り、背負い投げの要領で塔を壊しているのです。

○エレンが、左胸を自分の剣で刺そうとするのをジャンが止めます。原作にもある言葉「死に急ぎ野郎」はここで使うべきです。

○クバルが、エレンを引き渡すなら貴族並みの暮らしを保証すると言いますが、ここで1人だけ心がゆれている人間がいます。それはジャンです。ジャンは家名(というか父親の命令)のために戦場に来ているので、ジャンの望みだけはクバルの申し出で叶ってしまうのです。

○ラスト、壁の外の風景に東京タワーが映っています。

○前編後編ともにオープニングのナレーションがアルミンなのかというと、エレンとミカサは壁の外に出ていなくなってしまったからです。

で、ここまで書いていてなんですが、上に書いたものは、本当は、サブテキストではありません。
これはただただ、演出と脚本の齟齬が起きた結果、分かりづらくなってしまったものです。結果的に、サブテキストになってしまっただけです。
もし実写映画『進撃の巨人』をこれから観る方がいらっしゃいましたら、少しでも映画を楽しむ助けになれば幸いです。


いかがだったでしょうか。自分が書いててなんですが、熱量に少し驚いています。
進撃の巨人が完結した今、実写も観ようとする方がいたら、以前の文書と重複となりますが、映画を楽しむ助けになれば幸いです。

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