映画『ピアニストを待ちながら』10月14日㊗︎⾨間雄介(ライター/編集者)×七⾥圭監督 アフタートークレポート
1100アフタートークのゲストはライターの門間雄介さん。まず、門間さんが、簡単に読み解けないかもしれない。でも、ダンスや手の拳と拳、肘と肘が話す動きだけで楽しいし、音の使い方や編集に工夫があり、ワクワクできる。高尚な作品と受け取られるかもしれないが、難解ではないことを伝えたい。とはいえ、テーマはある。軽やかさの中に重みがある不条理劇、とコメント。
これを受けて七里監督は、皆がスマホに縛られて生きている現実世界は不条理なように感じる。図書館のガラスの扉は開いて、本当は出ていけるのに出ていかない。それはスマホから出られない私たちの姿ではないか。様々な要素を叩き込んでも、娯楽作品になるのではないか、という仮説を立てた。そして、それを実験したかった。
隈研吾による建築が村上春樹の迷宮世界を表しているという言葉を手掛かりにガラスを使ってだまし絵的に見えるように撮った。
門間さんが「シュプレヒコールの音があることで時間と空間を超えたように感じた」と語ると、映画制作ではリアル(現実)がジャマになることもあるが、リアリティは映画の作る嘘の一つ。音の挿入はリアリティを作るためのものであり、(単なる嘘との境界の)スレスレの線を狙ったとのこと。
(感覚の歪みを表現したかったので)変なつなぎをしたかった。なので、わざとカットをつまんでいる。
また、ダンスシーンはゴダールの『はなればなれに』を意識し、事前に俳優さんたちに見て踊りを覚えてもらった。
そして、ダンスも手で会話する動作も 「演技をする」のではなく、自分の肉体と一体化して欲しかった。
それで、「貧しい演劇」を標榜して俳優の肉体表現を突き詰めたポーランドの演出家、イェジー・グロトフスキのYoutubeの画像を見てもらったりしました。
また、「今までの自分の作品の核にあるものに加え、どれぐらい新しい要素が加わっていると思うか?」という質問に対しては、自分でそれはわからない、としながらも、本作については「わかりやすさに抵抗したかった。”わかりやすい"(ものを作らないとわかってもらえないという風潮)って人をバカにしてるのではないか?」という気持ちがあった。わからなくても楽しめるので、とにかく楽しんで欲しい。
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