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作品を「公開しない」ということの大切さ


はじめに

インターネット全盛の現代社会において、創作物をオンラインで公開することは、ほぼ当然のように行われ、むしろ奨励さえされています。noteの公式自ら、創作において最も大切なことのひとつに「作品を発表すること」を挙げているくらいです。

みなさんにnoteを使っていただくにあたって、何よりも優先していただきたいポイントが2つあります。
・創作を楽しみ続けること
・ずっと発表し続けること
上の2つは、ページビューを増やすことよりも、お金を稼ぐことよりも、あるいはフォロワーを集めることよりも、何よりも大事なことです。

創作活動でもっとも大事なこと

しかし、果たしてこの「作品を公開する」という行為は、無条件に望ましいものなのでしょうか?
多くのクリエイターが、作品を公開したことによる様々な悪影響を経験したことがあるのではないでしょうか。また、はっきりとは言えないまでも、なんとなく作品を公開することは自分にとって悪影響になっているのではないか、と内心疑問や不安に感じることがあるのではないでしょうか。

以下のようなことは誰にでもあるはずです。

  • 思ったより閲覧数がのびなかったので失望し、やる気が失われた

  • 低評価によって精神的にダメージを受けた

  • ひどいコメントに傷付いた

  • 他作品と閲覧数やいいね数を比較して落ち込んだ

  • すごく頑張って作った大切な作品の価値が閲覧数やいいね数に置き換わってしまったようで虚しく感じる

  • 閲覧数やいいね数をみて、「自分はこんなことのために作品を作ったのか」と虚無感に陥る

この記事では、一見当たり前に思える「作品をネットに公開する」という行為が、実は創作活動に深刻な悪影響を及ぼしている可能性を考察します。さらに、「公開しない前提で作品を作る」ということの意義や重要性、有効性を再評価し、特に創作意欲の低下に悩んでいるクリエイターの皆さんに新たな視点を提供したいと思います。

大切な作品の価値が単なる「数字」に置換される恐ろしい世界

クリエイターにとって、一つの作品を完成させるまでには膨大な労力、情熱、そして時間が注ぎ込まれているはずです。その過程で生まれる作品への愛や誇りはすばらしいものです。しかし、その大切な作品をネット上に公開した瞬間、とても不健全な変化が起こります。
作品の価値が、閲覧数や「いいね」の数といった単なる「数字」に置き換えられてしまうのです。この現象はなぜか当たり前のように許容されていますが、よくよく考えてみれば極めて不当であり、クリエイターに予想以上の深刻な心理的影響を与えます。以下にまとめましょう。

・数字への執着:

作品に込めた大切な思いや創造性が、単なる統計データに変換されてしまったかのような感覚に襲われます。まるで自分の魂の一部を「数字」と引き替えに売り渡してしまったかのような空虚感を味わうことになるのです。

・他人との比較:

さらに危険なのは、この「数字」を他の作品と比較してしまうことです。本来、芸術作品の価値は数値化できるものではありません。しかし、ネット上では容易に他作品との数値比較が可能となり、自作品の価値が不当に貶められたように感じてしまいがちです。

・創作目的の歪み:

「数字」への意識が高まるにつれ、純粋な創作意欲が歪められていく危険性があります。「より多くの閲覧数を獲得するには?」「どうすればいいねを増やせるか?」といった考えが、本来の創作目的を侵食していくのです。

・ガラスの自己評価:

最も懸念すべきは、これらの「数字」が作者自身の自己評価を左右してしまうことです。低い数字は自信の喪失につながり、高い数字は一時的な満足をもたらすものの、持続的な幸福にはつながりません。

本来、作品の真の価値は、描かれた作品世界そのものにあり、それは数字で表現できるようなものではないはずです。しかし、インターネッツにおける「数字」の支配は、この本質的な価値を見えにくくしてしまっています。

作品を「公開する」ことによる悪循環

作品をネットに公開することは、低評価だった場合はもちろんのこと、高評価だった場合においても、深刻な悪影響を引き起こすリスクがあります。以下に、ありがちな悪循環についてまとめます。

・シナリオA:低評価だった場合

公開した作品が低評価だった場合、精神的に落ち込むばかりか、自作品に対する主観的な評価も数字に合わせて低下してしまいがちです。このことは自信の喪失と創作意欲の低下を引き起こし、それは作品クオリティの低下を招きます。そして、さらなる低評価へと繋がります。
また、「次はもっと評価されるように頑張ろう」と意気込むのはよいのですが、それは「どうすれば評価されるか」とか「どうすればバズるか」とかいう見当外れの方向への努力であり、他者からの評価が創作目的の多くを占めるようになってしまいます。このことは創作の楽しさや充実度を低下させ、作品クオリティの低下をまねきます。

・シナリオB:高評価だった場合

公開した作品が高評価だったとしても、手放しには喜べません。そのような喜びはドラッグのように一過性のものであり、さらなる評価への渇望を生みだします。恐ろしい、承認欲求への依存が始まるのです。
このことは以下の三つの悪影響をもたらします。

悪影響1:他者からの評価の期待値が高まる
高評価を得たりバズったりした場合、他者からの評価のハードルが高まります。結果として、次の作品は期待値以下となる場合が多いでしょう。これはモチベーションの低下を招きます。

悪影響2:創作モチベーションが承認欲求の満足へとすり替わってしまう
高評価に味を占めてしまうと、創作行為が他人からの評価や承認を得るための手段へと堕してしまいます。このことは純粋な創作活動の楽しさの喪失をまねき、また、他者からの評価や他作品との比較により創作モチベーションや精神状態が大きく左右されやすくなります。結果として、創作意欲が深刻なダメージを受けるリスクが増大します。

悪影響3:他人から評価されるような作品を作るようになる
さらなる高評価を得るために、他人から評価されやすいような作品を作るようになります。結果、自分が本当は何を作りたいのか、何が好きなのかがわからなくなっていきます。

以上のように、作品を公開することは、その結果が低評価であろうと、高評価であろうと、深刻な悪循環をまねくリスクがあります。

作品を「公開しない」ことによる好循環

一方、作品を公開しない、という選択をとった場合はどうでしょうか。

この影響は一般に考えられているよりもはるかに望ましいものです。まず、作品を公開しないことで他者からの評価や承認が創作モチベーションに一切関与しなくなります。その結果、創作モチベーションの源泉は純粋に、作った作品に対する自己満足度によるものとなります。
このとき、作品を作ることの見返りは作った作品に対する自己満足度だけです。そうなると、自己満足度を上げるために、自然と作品のクオリティを追求するようになります。それも、自分で自分を騙すことはできないため、自分の審美眼の限界までクオリティを求めることになります。その結果、作品クオリティが上がるのはもちろんのこと、審美眼そのものも向上することになります。さらに、クオリティの高い作品を作ることで自信も生まれます。このようなプロセスは非常に充実したものであり、創作行為自体がとても楽しくなります。この楽しさは他者からの評価とは無関係な完全に内発的なもので、非常に安定したモチベーションを供給します。さらに、それは純粋な自分の「好き」への追求の結果なのです。

作品を公開しないことは一般にネガティブに考えられがちですが、このように非常に望ましい好循環をもたらす良策でもあるのです。

実験とその結果

この「作品を公開しない」という戦略の有効性を確認するために、以下のような実験を行いました。

・実験内容:

公開作品と同時に非公開前提の作品(漫画)を個人的に連載し、その影響を観察する。
なお、非公開前提の作品は以下の条件を満たすように作成した。
・自分が本当に作りたいもの、かつ読みたいものであること
・習作や落書きではなく、きちんと完成させて品質を追求すること
・絶対に他人にはみせないこと

・実験結果:

約20ページ程度の進捗段階で、以下のような望ましい影響が観察された。

  • 創作モチベーションの飛躍的な向上と安定的な維持

  • 作品の品質の飛躍的な向上

  • 創作行為の充実度・楽しさの向上

  • 創作時の集中力の向上

  • 作品に対する審美眼の向上

  • 自信がつき、他者からの評価が気にならなくなる

この実験からも、「公開しない」という戦略が創作においてきわめて有効であることがわかります。

まとめ

創作において「公開する」ということは重要視されがちですが、必ずしも良い影響ばかりとは限らず、逆に深刻な悪影響をまねくリスクがあります。
一方、「公開しない」という戦略は創作に様々なメリットがあります。特に、非公開前提の作品を公開作品と同時に制作することは、公開作品のクオリティ向上にも非常に有効です。

創作モチベーションの低下に悩んでいるクリエイターの方々は、それが作品を公開しているせいである可能性を一回疑ってみることが重要です。そして、可能であれば是非、「公開しない」前提の作品を本気で作ってみて欲しいと思います。きっと、作品を公開することによって歪められ失われてしまっていた創作者の魂を再び取り戻すことができるはずです。

経過報告(半年後)

 この方法を半年間ためした結果を以下に記事にしました。劇的ビフォーアフターをご覧下さい。

追記:

この記事では「作品を公開する」という行為をまるで悪影響しかない邪悪な行為のように語りましたが、作品を公開することは必ずしもデメリットだけではなく、メリットもたくさんあります。たとえば、以下のようなメリットが考えられます。

  • 読者の方々からのすばらしい応援のメッセージをもらえることがあり、励みになる

  • 作品や作者の知名度が向上する場合が稀にある

  • 金銭的な利益になる場合がある

  • 高評価の場合、承認欲求を満たすことができる

  • 低評価の場合、精神的に落ち込み、ベッドに横になることで、肉体疲労回復の効果がある

以上のメリットは作品を「公開しない」という方針からは決して得られない、貴重なメリットばかりです。
大事なのは、作品を「公開しない」という土台ができた上で、はじめて作品を「公開する」というおまけオプションがとれるということです。バンドで例えると「公開しない」がドラムやベース、「公開する」がギターやキーボードのようなものでしょうか。
その上で、作品を公開することと公開しないこと、両者のバランスを上手くとることは有意義なことだと思います。


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