梅雨入りて父の日近し蛇の目傘 @202 3 𝓜𝓦 わはくま®️ 2023年5月31日 17:57 この記事はココログ最後の記事として書かれた貴重な記事です梅雨入りて父の日近し蛇の目傘2021年 05月 16日父の日が近いもう二十三回忌は済ませた十八歳で東京に行き フラフラと京都に戻ってきてのちに車で一時間くらいのところに家を構えるけど父には 月に一度も会わないくらいで十年余りを過ごしている間に静かに定年を迎え やはりその後もそこで生きていて暮らしているのが当たり前のように過ごした気づかない時間に高血圧に伴う病気が進行しなんども救急車に世話になったりしながらも好きなことをやっているようだったので そこにいて当たり前として時間は経っていった。。死ぬ間際も 不調であっても連絡もなく 死亡の知らせを職場で受け取った祖父と同じ年齢の六十七歳であったいい気なもんだ自分だけでここまで生きてきたかのような顔をして将来のことや世話になった人への恩返しのことなどこれっぽっちも考えて生きてこなかったことに気づくのはそのあとのことだった。。父の日はおろか 還暦も誕生日もお祝いなど何もしなかったそのことが 私の最大の『油断』であったのだと身に沁みてくる梅雨入りのころ(父の日)と命日のころ(大寒)は 思い出さなくて良いものまで思い出してしまう。。子どものころは 蛇の目傘だった小学校の置き傘はクラス全員が蛇の目の傘で畳んだ上から白いマジックで名前が書いてあった教室の後ろの壁に綺麗に整列して並べてあったそういう昔の風景が蘇る時に父親の姿がふわっと蘇る記憶というのは 単独では脳裏に残るものではなく父親と一緒に松茸や山芋を掘りに山の中を歩いてゆく姿などが映像のように浮かんでくる🎬 先日 巡回して時々拝読する方の日記に「大人になった子供にとっては親はそれほど必要でないけれど、親は子供のことがいつまでたっても心配でならない」と書いてられたまさに私が そして多くの人々がそう思っているであろうことを代弁して文字にしてられて感動した8ミリビデオがあるが ムスメは自分の赤ん坊の時代の動画にそれほど激しく見向かおうとしないそれは即ち自分が元気であり ムスコがやんちゃながらもすくすくと大きくなっているからであろういつか振り返る時があったとしたらそれは世代を超えて孫が大人になったときなのだろうかその頃に再生する機器があるかどうか どうやって再生しようかなど すでに私の悩むことではなくなった豊かなものが溢れている時代であるそこに存在して当たり前となってしまったものが もしもこの世にないならば・・と想像するのは難しいなんでも夢見たものは実現できる父が生きていて父の日に何かを贈るとするならば・・と考えると何にも思い浮かばないのだ無くしたものは蘇らない失ったものは返らない消えたものは記憶にある思い出せるのは自分の脳みそだけであるし欲しいものはおよそ店に並んで買うことができる母の日に書いたのであるが贈るものなど何もないそこに行って『むかし話』を聞くことくらいしかできないのではないか🎬 梅雨入りも間近か十五日三時間近く公園にいて楽器を吹いていました雨が時々ぱらぱらとしてましたけれども元気な子どもが滑り台にやってきますドクダミ花を咲かせていましたそろそろ摘まなあかんな去年のお茶も飲みきってないけどhttps://bike-tourist.air-nifty.com/hiroka/2021/05/post-3190be.html 【ココログ最後の日記】梅雨入りて父の日近し蛇の目傘- 五月中旬号 - - Walk Don't Run - 【銀マド・自画像篇】 画像容量が満杯になり終了ーーー五月十六日 最後日のブログを転記しておく 梅雨入りて父の日近し蛇の目傘画像をブログに入れよ bike-tourist.air-nifty.com ダウンロード copy #日記 #2021年 #父の日 #蛇の目傘 #ココログ最後の記事 #銀マド最後の記事 3