信州・上越・上州〔台風で足踏み〕
信州・上越・上州〔台風で足踏み〕
● 8月18日 土曜日
【出発】
朝8時半頃に家を出た。例によって木曽川堤防を北上し自衛隊の各務原基地の脇を通って関市に入り、こぶし街道を北へと快走する。飛騨古川の道の駅で遅い目の昼食を取り、ひたすら北に向かって走る。
【富山平野】
富山平野に出てからは、「富山中部広域農道」を走ることにした。これを東に向かい、その後、「新川スーパー広域農道」を通る。富山湾を遠望し、水平線上に能登半島が横たわる快適な農道だ。気分が高揚してくるとひとりごとが増えてくる。農道ライダー[E:#x266A]とういう歌を即興でつくって大声で歌ったりして楽しむ。風も爽やかで、幾分、太平洋沿岸よりも涼しいような気もする。それにしてもバイクは少ないなー。これだけ農道が地図に載っていながら、農道を走るツアラーは少ないのは何故なんだろうか。ツーリングライダーはみんな北海道に行ってしまったのだろうか。もっと農道を走って旅をしようではないか。
富山湾を眺めながら北陸自動車道路に沿って黒部の方向に向かうが、出発時間が遅かったために、宇奈月温泉の道しるべが見え始めた頃には夕刻を間近に控えていた。上越市まで行こうという計画をうすぼんやりと抱きつつ走り次第にそれが不可能であることを認めねばならなくなる。お尻も腰も痛く、それが私を弱気にさせる。親不知の暗闇国道を走るのは嫌だぞ、と考えていたら、「墓の木自然公園」というキャンプ上のマークが地図にあるのに気が付き、寄ってみて良ければここで泊まろうと思った。 安全が第一だ。
【墓の木自然公園キャンプ場】
地図で確認しながら新川スーパー農道を走ってゆき、堤防道路の向こうにキャンプ場がありそうな雰囲気を発見したので、執念を絶やさず集落の中で買い物に来ていたおばさん(同い年くらい)に尋ねたら気持ち良い応対で道順を教えてくださった。キャンプ場はすぐに見つかった。なかなか良い。こじんまりとした雰囲気で、炊事場で洗い物をしている若い奥さんに「幾らですか」と尋ねたら「無料ですよ」と言い、スーパーの在り処まで教えてくれたのでここに決めた。
キャンプ場の中をせせらぎが流れる。冷たい水が静かに黒部川に注がれてゆく。人工の公園なのかなと最初は思ったが、この水は少し上流にある発電所でお仕事をして出てきた水らしい。自然の中に存在する水というものが自分に割り当てられたお仕事をしてこのせせらぎを流れている。何も汚れることなく海に還ってゆく。この水が起こせる以上の電力を、この地の人々が消費してはいけないのではないか。人がそれ以上過密に集中して、数々の支障が発生するのは自然界からの警告のメッセージなのではないか。その警告を科学の力であたかも解決したかのように凌げば何時か何処かで歪が生まれるのではないか。自分の住んでいる区域の電力は、やはり自分の土地で作り出すことを考え、そういうバランスが崩れる時は警告だと思わねばならないのではないか…。
スーパーで2個100円で売っていたトマトとカップ麺を夕食とした。ビールとチュウハイを飲んだりして、その後、静かな夜をろうそくの灯りで過ごす。キッチンのコンロ用のアルミフードを改造して作ったろうそく置台から仄かで赤い光が反射して散乱してくる。見上げると星が満天に広がっていた。眼鏡を外しているのに幾つかの星が瞬くのが見えるから嬉しい。
● 8月19日 日曜日
【出発】
日が昇る前にキャンプ場を出た。道の駅が近くにありそちらで用便を済ませ、上越への国道に入った。愛媛ナンバーのオン車の人と親不知の親子の像の前で少し話した。愛媛ナンバーだが東京にから来ているという。昨日、能登半島を回ってこれから信州に向かうという。
【蓮華温泉へ】
蓮華温泉に寄ってみたい。しかし、上越方面を目指してさらに北へと進みたい。目標は秋田なんだから…。しかし、蓮華温泉の誘惑は強かった。
この温泉は、話題に参加してもなかなか入りに行けずに時間ばかりが過ぎている温泉のひとつである。昨年、白馬で執拗な夕立に遭い、寄らずに能登に向かってしまったこともあって、今年はぜひとも立ち寄ろうと決心をした。大糸線に沿って南下をして、去年雨宿りをさせてもらったGSの手前から蓮華温泉への舗装林道に入る。ごく普通の山道だなーと思いながら高度を稼いで行くとわっと深い谷が目の前に開けた。ちょうど白池という小さな沼地を過ぎたあたりだったと思う。朝日岳[2418m]の山肌は勇壮で、残雪の模様が下界から特別な世界にきた確信を持たせてくれる。頂上には重い雲は無く、青空と共存した白く自由なイメージの雲が刻々と姿を変えて居るのが見える。
【温泉への道】
蓮華温泉の山小屋前の駐車場には登山者と車が溢れていた。駐車場は子供がソフトボールをするのに適度なほどの広さである。いったい何時、ここにこれだけの車がやってきたんだろうか、すれ違う車も追い抜いた車もほとんどなかっただけにこれは予想外で驚いた。
温泉は内湯と露天に入るなら800円で露天だけなら500円だ。500円を払って登山道路に踏み込んだ。ちょうど二人組みの女性が下りてきたので道順を尋ねたら、案内板の前で詳しくお湯の様子を教えてくださった。上から順に薬師の湯(酸性石膏泉)、仙気の湯(単純酸性泉)、黄金の湯(重炭酸土類)とあり、上の二つは同じ泉質だと話してくれた。そのため、案内板をちゃんと確認もせずに、仙気の湯から黄金の湯にゆくルートを選んだ。
【仙気の湯】
仙気の湯からの眺めは素晴らしく朝日岳が真正面にどかんとある。聳えるなどとは言わない。何故なら視線が決して見上げる方向ではないのだから。定年を回ったかなという感じの男性数名が先に浸かっておいでで、仲間に入れてもらった。
【黄金の湯】
少し下って黄金の湯に寄る。こちらは木陰があってお湯も先ほどよりも幾分ぬるめで、無色でやや匂いがある。ここで長湯をした。登山者のメインルートから外れるので人通りも少なく、湯から上がる間際にやってきた女性は、私がイイお湯だからぜひ入って・・・と薦めたら道の脇でそそくさと脱衣を済ませて入ってしまわれた。私よりもひとまわり以上はお歳をお召しだと思いますがおっぱいが凄く若若しかった。思わず見とれてしまった…。
【鬼無里へ】
さて、蓮華温泉を出て小谷村を去年と逆ルートで通過し鬼無里村に向かった。当然、おやきを食べにいろは堂に立ち寄る。あざみ、野沢菜を注文したら野菜ミックスをサービスで付けてくださった。熱いお茶をポットから注ぎふうふうしながら飲むのにもかかわらず汗が噴出さない。じわっと首に伝う程度で、タオルでさらっと拭いたら心地よい風があとを乾かしてくれるような感じ。
【万座へ】
これから何処に行こうかな…と悩みながら、リンゴ畑の中を快走する。長野市郊外を走り抜け千曲川を渡り、高山村から万座温泉へと入って行くルートを選んだ。数年前のGWにコースで越えたスカイライン道路だ。あの時は5メートル以上ある雪の壁の中であったが、今日はうっそうと茂る何だろう樺の木を見ながらである。山田温泉を見下ろす展望台があったが停車することなく一気にワインディングを楽しんでみた。
【奥志賀へ】
草津白根ルートに出たら車が多い。そうか、今日は日曜日なんだ…と気づく。これから奥志賀林道を走って、野沢温泉を経て関田峠越えで上越に向かうことにした。奥志賀林道は初めてで、余り地図を見ないで入ったら思う以上に長くて嫌になってしまう。道路は快適なんだけど、何処まで行ってもさして変化のない景色であった。秋に来れば違った味わいがあるのだろう。
野沢温泉の大湯の前で関田峠方面のルートの確認のために少し止まった。もう少し涼しい季節なら間違いなくお湯に浸かってから次へと進むのだろうけど、湯上りのおじさんとひとことふたこと話をしてまたバイクに跨った。
【関田峠から上越市へ】
関田峠は楽しい峠だった。千曲川の方から上ると狭い一車線が続き果たして県道なのだろうかと不安を煽られるが、峠に立つとがらりと変わって上越方面の平野が日本海を背に広がるのが見下ろせる。平坦部に出たらまたもや農道ライダーに戻って米王国・新潟の雰囲気に埋もれてゆくのでした。
【F氏宅まで】
上越市に到着後、国土交通省の官舎探しに右往左往した。高田城のお堀の中に官舎があることをつきとめるものの、どれが該当の建物なのか分からない。そこで国土交通省高田事務所を訪ねてみる。宿直のかたに調べてもらって難なく解決できた。幸運にもそこで自宅電話番号をメモしてくれて、官舎のすぐ前まで来ていながら迷った時に電話を掛けてF君と再会できた。何の連絡もしていないまま突然現れる私の迷惑な性格にも、まあ学生時代からだからな…と笑って許してくれた。この日から4泊もするとは考えてもいなかった…。
● 8月20日 月曜日
【台風で悩む】 台風が来ているというので情報から目が離せない。まもなく四国か紀伊半島に上陸らしく、一気に本州を横断して、能登半島から佐渡の間あたりをゆくだろうと予測できる。そこで暫くここに滞在して過ぎてから行動をすることにしようと私は判断した。20日と21日は南・東北方面を回ってくる案もあったが、妙に台風に脅えを感じたこと、雨が煩わしいこと、さらにF君の好意にも甘えて台風が過ぎるまで滞在することを決めた。
【松之山温泉へ】 降りそうで降らない1日が始まった。F君は仕事に行ったので私は松之山温泉へ行くことにした。 上越を出て国道405号線を東へと走る。上越平野の米の収穫は、まだ半月か1ヶ月先になりそうな気配だ。昨日の台風が本州を抜けて信越に来るかもという時に農作物への事前配慮の呼びかけをTVのニュースが盛んに流す。ちょっとした県民文化差を感じ取った気がした。雪に埋もれた長い冬があってこそ夏の収穫という感慨もあり、作物も自然の恵みを受けられる仕組みに、太古からの遺伝子がそうなっているのだ、と重い稲穂が実る田園地帯を走りながら思った。
山の中を走って気がつくのは、雑木林が多いことだ。落葉樹林の割合が高いこともあろうが、南の地方の山と比べて随分と物静かな山々で、植林された箇所も目立って少なく、新潟の林業はやはりそれほど盛んでないのだな、と実感する。
さて、くねくねと続く道を地図も持たずに走り回って、迷っていたことにさえ気づかずに松之山温泉に到着した。10時半頃だった。何度か新潟に来ながら、この温泉にはまだ寄ったことがない。噂を聞く回数ばかりが募っていたのでやっと訪れることが出来て嬉しい。そういう感動を胸に町営の鷹の湯に着いてみると、故障のため午前中は営業できません、と言うではないか。困ったなー。仕方ないか。しかし、せっかく来たのだからということで、すぐ脇にあったラーメン屋さんで味噌ラーメンを食べて時間調整をすることにした。
鷹の湯は、ぐるりを囲われているものの河原に面した部分を屋外に向けた露天浴槽もある。お湯は熱い。特に目立った色もなかったが、匂いは硫黄臭がかなりあった。お湯から上がった後、畳の上で少し横になって、暫くウトウトした。
【良寛さま】
良寛を訪ねたいという思いがあったので長岡市を通り越し、与板から寺泊まで北上した。瀬戸内寂聴の「手鞠」を読んで貞心尼という人を知った。いつか昔のことだが、あの子が貞心尼に関心を抱いている話してくれたことがあったのを思い出している。人間には様々な生き方があって、それを不幸と思うのか幸せと思うのかは、その人の気持ち次第。自分の不幸を貞心尼と重ね合わせて、あの子は自分の生い立ちの不幸せを納得しようと自ら言い聞かせようとしていたのではなかろうか。いずれにしても、日本海を見ながらセンチになってしまうのであるが、今ごろはあの子もきっと幸せになっていることだろうし、私ももう昔の私じゃないんだから…と考えることにした。佐渡は、霞の中の水平線に見えているのか、それともあれは錯覚なのか。
【日本海】
道の駅で娘にメールを書いたりしながらのんびりし、上越までシーサイドラインは少しづつ沈んでゆく太陽を日本海に見送りながら、センチメンタルは今だけに…なんていうわけの分からない歌をくちづさんでいたのだった。
● 8月21日、22日、月曜、火曜 F君宅でパソコン雑誌やツーリング雑誌を見て過ごした。図書館より凄いんだよなー。 雨は、21日の夕方から降り始め22の夕方頃まで降った。風はそれほど吹かなかった。
● 8月23日 水曜日
【台風一過・ひとりごと】
台風は太平洋沿岸をゆっくりと進み、やっとのことで三陸沖の方に去ってくれるらしい。これで晴れ間が戻る。今からでも遅くないから東北を目指そうか、もう元気がないから信州を回って帰ろうか。ひとりごとはエンドレスで答えが出ない。井川雨畑林道を通りたいが、きっと台風の爪痕が残っているだろう。通行止めになっている可能性が非常に高いはずだ。ならば、草津温泉を経て尻焼温泉に行こうかな。河原の温泉に入ろうか。
東北を目指す時はフェリーを使って仙台まで行って、そこをベースにみちのく北部を走りたいものだ。やれやれ、年に一度しか旅に出ないことにすれば資金もたまりやすいはずだし、そこで貧乏を返上して移動に資金投入をするというのもひとつの案である。そんなまとまりのない反省とも夢ともいえないような優柔なひとりごとを繰り返しながら、サンドイッチと牛乳で割とまともな朝食を取り、F君が仕事に行った後の戸締りをした。4泊という前例もないほど長い期間お世話になった官舎を出たのは9時前だったと思う。
【草津白根ルート】
国道292号線(旧18号)を通って千曲川見下ろす峠を越えた。湯田中温泉を通る時に志賀高原から流れてくる川がチョコレートクリームのように濁っているのを見た。地獄谷温泉も台風の災害のため閉鎖中という。草津白根ルートを再び満喫して行くことにする。平日だったので車はやや少ないものの、湯釜前の駐車場には車がたくさん止まっている。駐車場は有料になっていたので停車せずそのまま草津温泉へと下った。
我が家の娘が生まれる前に二人で信州を旅した時の写真が葉書にして1枚だけ本棚に残っている。白根山から草津に降りる途中での撮影だが、どのあたりだったのだろうか。もう一度、そこでバイクの写真だけも撮りたいなあと思いながら低速で峠を下る。しかし、ここだった!というポイントが思い出せずにそのまま草津温泉街まで下りてきてしまう。家に帰って写真をじっくり見ると写真にはガードレールがない。あの国道にガードレールのないようなカーブはなかったので、無料化、国道昇格で少しずつ姿か変化してきているのだろう。月日の流れるのは早いもんだな。
【草津温泉~尻焼温泉】
草津温泉湯畑前で野田ナンバーのバイクの人と話をした。彼は日帰りで草津温泉の無料のお湯に浸かって帰るのだそうである。明るくて気さくによく喋る人だった。湯畑の前で写真を1枚お願いした。
尻焼温泉の河原の露天風呂を目指して草津温泉から山を下る。考えてみれば予測もつくだろう…というのは後からのことで、尻焼温泉の河原に着けばそこは泥で濁った川だった。水ぎわまで寄ってゆくのも恐いほどの勢いだ。若者グループが屋根のあるほうの浴槽の泥を必死で汲み出していたが、汲んでも汲んでも泥が流れ込むから焼け石に水の状態だ。
尻焼温泉を諦めて鬼押し出しから軽井沢に向かう国道を走った。四阿山や浅間山がはっきり見える。雲が程よい飾り付けで山頂付近を流れている。これが高原の風だなと思う。風は心地よいけれども、様々なことが記憶に甦ってくる。良いこともあれば思い出しても切なくなるだけのこともある。
【軽井沢~中山道へ】
こうして目標を途中で挫折してそれなりに楽しもうとしているのは、バイク旅を続けている過去でも特に近年の特徴だ。飽きてきたのか、走るのがつまらなくなったのか、欲が深くなったのか、疲れてきたのか、他にいいことが見つかったのか。どれもが妥当であるがどれも否定したい。少しツーリングスタイルを変えねばならぬ、いや自ら変わっていこうとしている時期なのかもしれない。
高峰山を右手にみながら浅間サンラインを快走する。左手向こうに塩田平の丘陵が広がる。御代田という道しるべを見た。宮本輝の小説で読んだ街だ。どの小説だったかはっきり思い出せないけど、避暑地の猫だったかな。
【笠取峠[876m]】
中仙道の笠取峠を越えた。昔の松並木が残っている。情緒深い峠だ。松並木の木陰で家に電話を入れた。もしかしたら、今日中に高速を使って帰るかもしれない、と話した。時刻は4時頃だと思う。夕飯のおかずを買いにもうすぐ家を出るところだとよめはんは言う。こういう電話を入れた後は、家路意識が高まるというか、途中を楽しむ気持ちが薄れてゆくのがわかる。
【木曽へ】
塩尻峠で諏訪湖を見下ろし、小野峠付近で諏訪湖に別れを告げ、牛首峠で過去を思い出し、木曽路にはいって春に読んだ宮本武蔵を思い出す。おつうさんと離れ離れに別れてしまうのが木曽路だった。城太郎とおつう、武蔵はそれぞれが江戸に向かうのであった。人生は一筋縄では過ぎてゆかない。これほど絶望的な別れがあって良いのだろうか。死んで別れるなら諦めもつくが、同じ木曽谷の中で寸分と違わずすれ違い続ける…。そんなドラマを思い出しながら木曽路を下った。
木曽駒高原キャンプ場が良ければそこに泊まろうかと考えて、道をそれて偵察に行くとゲートが閉まっていた。平日は休業?台風で荒れたから一時的に休みなのかな、などと思いながらさらに南下を続けた。中津川で中央自動車道路に乗った時には概ね日が暮れて、大きく削り取られた月が西の山並に落ちようとしていた。まだこの季節には月を見ても秋のようにノスタルジーな気持ちにならない。