(私の)山頭火を
山頭火の句集を読んでられた方があったので
私が書いた山頭火も参考にあげておこう
➡️こちら
山頭火句集 その1
山頭火句集・ちくま文庫を片手に読んでみたいと思います。
この記事は、平成16年10月から平成17年2月までのものを集めています。
・千夜一夜物語
・大菩薩峠
なども出している、あの「ちくま文庫」です。
私は(私にとって)いい本屋と悪い本屋を見分けるときのひとつの指標として
・岩波新書をしっかりそろえていること
・岩波文庫も同様
・ちくま文庫も然り
近頃は、ココの店主は本を読まないな・・・って思わせるような店も多くなりましたね。
[ 2004-10-13 ]
山頭火句集 種田山頭火 村上譲編 ちくま文庫
を読んでいきます。
読書のコミュニティーでしりとりをしていたんです。
「さ」で始まる作家に回って来ました。
あやかさんが私にくれた贈り物は「さ」だったんだと喜んでいます。
**
種田山頭火という人を知っていますか?
自由律の俳句の残した一風変わった俳人です。
早稲田を退学した後、実家の酒蔵を継ぐものの倒産し、漂流の生活となってしまう。
酒に溺れながらも数々の作品を残します。
その生き方に感銘を受け、その俳風に無条件でのめり込んでゆく人、まあ私のようなファンが現代でも数多い。
ちくま文庫の懐の深さに感謝。座右の 1冊です。
| 2004-10-20 11:29 | 山頭火
種田山頭火句集をよみませんか?
というタイトルで書き出しました。
**
うしろすがたのしぐれてゆくか 種田山頭火
山頭火は、句集「鉢の子」のなかでこの句を詠んでいます。
10 歳のときに母が井戸に身投げ自殺をしたのが始まりでした。その後、早稲田を1904年(明治37年)に中途退学し帰郷したあとも、無軌道に酒を飲み、実家 の酒蔵が倒産しても、飲み続け、熊本で市電を急停車させる事件などを起こしたりした。一草庵(松山市)で泥酔頓死するまで、行乞の俳人としての人生を歩み 続けます。
1931年(昭和6年)この年は満州事変勃発の年、
—
熊本に落ちつくべく努めたけれど、どうしても落ちつけなかった。またもや旅から旅へ旅しつづけるばかりである。
自嘲
うしろすがたのしぐれてゆくか
─
と句集にあります。
芭蕉が、年暮れぬ笠きて草鞋はきながら、という句を詠み、それが脳裏にあってのことでしょう、山頭火が、うしろすがたの…と詠む。山頭火はこの年49歳。行乞をはじめて5年が過ぎていました。
─
山頭火句集 ちくま文庫から
| 2004-11-18 12:45 | 山頭火
鉄鉢の中へも霰 種田山頭火
俳句のことはあまり分かりませんが、私が山頭火を読むようになったのは、彼が放浪の旅を始めるまでの生い立ちに決して同情をしたのではなく、彼の詠む一句一句が、私にもわかるような気がしただけなんです。
母が自殺をする。弟も山で死んでゆく。親しい友も、同志も、次々と失うなか、彼は自由律の俳句の道を歩もうと意思を硬くします。そして、1926年(大正15年)2月、44歳の山頭火は、一鉢一笠の行乞の旅に出ます。
鉢の子の冒頭は、
>松はみな枝垂れて南無観世音
>松風に明け暮れの鐘撞いて
>ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いている
>分け入っても分け入っても青い山
>解くすべもない惑いを背負うて、行乞流転の旅に出た。
と始まっています。
旅を共通の趣味とするバイク仲間・友人たちに山頭火という人を紹介してきました。紹介というより、旅日記にその一句をお借りして私の気持ちの代わりにした程度ですが、それを読みすっかり山頭火ファンになっていった人もいます。
上に引用した、分け入っても分け入っても青い山 という句のあとの「惑い」というのが社会の波の中でもがいている人々の心を、神経毒のように刺激するのかもしれません。
安か安か寒か寒か雪雪 種田山頭火
>私はまた草鞋を穿かなければならなくなりました。
>旅から旅へ旅しつづける外はない私でありました。
>ハガキに書いて親しい友に出し熊本をたつ。
京都などに住まわれた経験のあるかたは、冬の寒い朝に、大きな笠をかぶった托鉢の修行僧が「ウォー」と唸るように家の前に立ちます。その姿を見てればイメージも湧きやすいと思います。
タイトルは、昭和7年のお正月の句です。霰の降る寒い日だったのでしょう。
─
山頭火句集 ちくま文庫から
| 2004-11-21 00:34 | 山頭火
ふるさとは遠くして木の芽 山頭火
芭蕉と蕪村を比較して、
芭蕉には帰る里、伊賀があった。
しかし、蕪村には、帰るところがなかった。
同じように
山頭火にも帰り着くところはなかったのです。
私は
芭蕉が訪ねた奥の細道も
山頭火が行乞をした各所も
訪ねて歩きました。
>冬雨の石階をのぼるサンタマリア (大浦天主堂にて)
>嬉野温泉にて
>ふるさとは遠くして木の芽
彼のふるさととはいったいどこだったのでしょうか。
帰るところなどなかったはずです。
─
山頭火句集 ちくま文庫から
| 2004-11-21 22:37 | 山頭火
ほろほろ酔うて木の葉ふる 山頭火
山頭火は、
>ほろほろ酔うて木の葉ふる
>しぐるるや死なないでゐる
自分には生きている価値など無いと思ったのでしょうかね。
死ぬときはコロリと死にたいと、どっかに書いていたと思います。
酒と山頭火と落ち葉が、三位一体で(流行語?)とけこみます。
芭蕉が
>旅人と我が名呼ばれん初しぐれ 芭蕉
と詠んでいます。
芭蕉の句は、優等生。
じゃあ、山頭火は劣等性?
いいえ、
これを声に出して何度も鑑賞した人だけが知るトコロがあるんです。
人は、ひとりで旅に出ると、様々なセンチメンタルに遭遇します。
私は、
「どうしてひとり旅に来るのですか?バイクにひとりで乗って旅しておもしろいですか?」
とある出会いの人に問われたことがある。
そのとき、私のそばにいたひとり旅の若者が
「現実から逃げてるんでしょうかね」
と答えていた。
私は黙々と焚き火に当たって酒を飲んで、ニヤニヤしていたなあ。
山頭火が逃げていたとは言えません。
しかし、そこには夢の世界があることは確かでしょう。
今夜も山頭火にお付き合いくださいましてありがとうございます。
—
山頭火句集 ちくま文庫から
| 2004-11-26 21:51 | 山頭火
今日は2句
ゆふ空から柚子のひとつをもらふ
冬が来てゐる木ぎれ竹ぎれ
草木塔 其中一人から、ふたつを書き出してみました。
—
12月5日夕刻に近所のスーパーに出かけてみましたら、クリスマス音楽が流れ、プレゼント商品が積まれています。
国産牛肉半額…などと大きく書かれた売り場にはたくさんの人が溢れています。
スキヤキでもするのかな、と思いながら私もうふふふと買いまわったのでした。
日が暮れて駐車場には木枯らしが吹いています。
私はこのときに「ゆふ空から」を思い出しました。
山頭火、柚子湯に入るのかな。其中庵はさぞかし寒かろうに。
この晩(昨晩です)は、「NHK音楽祭2004ハイライト」ってのをやってまして、ロリン・マゼールに聞き惚れて満足な夜を過ごしました。
さて、今朝になって鈴鹿山脈にうっすらと冠雪がありました。
時雨まじりに北風が吹き降りてくる寒い朝でした。
北西の空を見るとうっすらと虹が出ていました。
(せっかくだから写真を貼っておきます。)
>冬が来てゐる木ぎれ竹ぎれ
熊本を去り、ここなら…と思い決めて川棚温泉に安住の地を求めるものの、失意を抱いて離れることになる。おそらく、もっとも充実した時期を過ごしていたのでしょう。
山 頭火は法華経の「其中一人作是唱言」という一節を好んだそうで、災難に遭ったり苦痛に苛まれたときに其の中の一人が「南無観世音菩薩」と唱えると観世音菩 薩は直ちに救いの手を差し伸べられて皆を救われ悩みから解き放たれる、という意味だそうです。(其中庵でもらったパンフのパクリ)
| 2004-12-06 18:55 | 山頭火
笠へぽつとり椿だった 山頭火
黒染めの衣に袈裟をかけた身なりである。
綱代笠に杖をつき、鉄鉢で布施をいただく。
寺には所属せず乞食の放浪をする。
乞食(コツジキ)は、コジキではない。紙一重であるが違う。
私が山頭火という俳人に出会ったとき、それがまず理解できない。
実際にただのコジキ同然の扱いで、生存中は評価も高くはなかったらしい。
山頭火は、十歳のときに母を亡くす。井戸に飛び込んだ自殺だった。
芭蕉には伊賀上野があった。しかし、山頭火には帰ってゆけるところがなかった。
この決定的な大きな違いが、山頭火の作風をより山頭火らしくして、密かにも多くのファンが絶えない理由でもあろうと思う。
─
家を持たない秋がふかうなるばかり
行乞流転のはかなさであり独善孤調のわびしさである。私はあてもなく果もなくさまよひあるいてゐたが、人つひに弧ならず、欲しがってゐた寝床はめぐまれた。
昭和七年九月二十日、私は故郷のほとりに私の其中庵を見つけて、そこに移り住むことが出来たのである。
曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ
私は酒が好きであり水もまた好きである。昨日までは酒が水よりも好きであった。今日は酒が好きな程度に於いて水も好きである。明日は水が酒よりも好きになるかも知れない。
「鉢の子」には酒のやうな句(その醇不醇は別として)が多かった。「其中一人」と「行乞途上」には酒のやうな句、水のやうな句がチャンポンになってゐる。これからは水のやうな句が多いやうにと念じてゐる。淡如水─それが私の境涯でなければならないから。
(昭和八年十月十五日其中庵にて、山頭火)
─
なんだか 自分のために書いている わたしがいる (パクリ)
─
山頭火句集 其中一人 ちくま文庫から
| 2004-12-09 17:16 | 山頭火
雪空の最後の一つをもぐ 山頭火
山頭火句集 其中一人 を読む。
>ひとりの火の燃えさかりゆくを
わたしには俳句を理解する素養などどこにもない。
この句で山頭火が伝えたかったのは何だろうか。
誰かが荼毘に付されているのでしょうか。
死ぬときは端的に死にたい、「ころり往生」でありたい、と願う山頭火の死生観を思うと、自分の往生をオーバーラップさせていたのでしょうか。
>落ち葉の、水仙の芽かよ
>あれこれ食べるものあって風の一日
>茶の木も庵らしくひらいてはちり
静かな年の瀬を迎えていることと思う。
みなさまに食べさせていただいている、飲ませていただいている、という暮らしだったのでしょうね。
>誰か来さうな空が曇ってゐる琵琶の花
秋が深まって琵琶の花が咲いている。
いやいや、やはり年末なのでしょう。
師走の、冷たい風の吹く折に、おそがけに琵琶の花が咲いていたのよ、きっと。
寂しい庵を誰が訪ねるのだろうか。。。
>雪空の最後の一つをもぐ
これはきっと蜜柑だったと確信します。
木枯らしが吹きすさぶ冬に、逞しく実をつけている蜜柑を大事にひとつずついただく。
この実がそれで最後だったんだろうと思う。
─
山頭火句集 其中一人 ちくま文庫から
| 2004-12-19 14:29 | 山頭火
月が昇って何を待つでもなく 山頭火
満月。
仲秋にみるまん丸の月よりも格段と冷たさを増している。
冬至を過ぎた暮れの夜。
月は一段と丸みを帯びた。
>月が昇って何を待つでもなく 山頭火
正月が近かったのかもしれない。
ちょうど、今夜は満月です。
寒いよ。
あの時代でも今でも
月の輝きに変化はなく、寒さにも変化はない。
人の心だけが変化してゆく。
>もう暮れる火の燃え立つなり 山頭火
>月かげのまんなかをもどる 山頭火
科学が進歩して、便利な世の中になりました。
私たち、まさに裸の王様かもしれない。
アナタ
パソコンもケータイも時計も棄てて
月明かりの下で時を送ることができますか?
─
山頭火句集 其中一人 ちくま文庫から
| 2004-12-27 22:57 | 山頭火
笠も漏りだしたか 山頭火
<随筆 『鉢の子』から『其中庵』まで から引用>
冬雨の降る夕であった。私はさんざん濡れて歩いてゐた。川が一すぢ私といっしょに流れてゐた。ぽとり、そしてまたぽとり、私は冷たい頬を撫でた。笠が漏りだしたのだ。
笠も漏りだしたか
この綱代笠は旅に出てから三度目のそれである。雨も風も雪も、そして或る夜は霜もふせいでくれた。世の中のあざけりからも隠してくれた。自棄の危険をも守つてくれた。─ その笠が漏りだしたのである。─ 私はしばらく土手の枯草にたたずんで、涸れてゆく水に見入つた。
* *
山頭火は、昭和五年の年末にタイトルの句を詠んでいます。
熊本から宮崎へ、福岡を経てまた再び熊本へ。
12月。熊本市内春竹琴平町で「三ハ九居」で自炊生活を始めました。
句集には
>述懐
>笠ももりだしたか
と書かれています。
述懐とは…と思い辞書を引くと
(1)心中の思いをのべること。
「現在の心境を―する」
(2)〔「しゅっかい」とも〕不平・うらみ・愚痴(ぐち)などをいうこと。
「かの者―もことわりとぞ憐みける/咄本・醒睡笑」
とあります。
すべてを棄てて、生きることにこれほどまで素直になっていながらも、それでも、不平やうらみ、愚痴という念があるのですね。
(脱線)
今日、東京から雪の便りが届きました。雪を思い浮かべて、よしだたくろうが「雪」というフォークソングをつくって猫というグループが歌った一節を思い出しました。昭和47年のことです。
伊勢平野には雪は舞いませんでしたが、冷え込む1日になりましたね。
木枯らしの一日吹いておりにけり 岩田涼菟
私はこの句がとても好きです。
きっとみなさんも静かな年末をお送りのことと思います。
| 2004-12-29 22:01 | 山頭火
枯木に鴉が、お正月もすみました 山頭火
ぱらぱらと句集をめくる。冬の句はモノトーンだ。
今、私の部屋の窓から青空が見えて、隣の屋根が陽の光でキラキラしている。
でも、木枯らしが吹いて寒い。
>枯木に鴉が、お正月もすみました
>どこからともなく散ってくる木の葉の感傷
>ぶらりとさがって雪ふる蓑虫
ひとりで暮らす山頭火にとって、カラス、木の葉、蓑虫が心の拠り所だったのでしょうね。
>ぬくうてあるけば椿ぽたぽた
>あるがまま雑草として芽をふく
暗くて重苦しい句ばかりでもありません。
逞しさも感じますね。
— (昭和十年十二月二十日、遠い旅路をたどりつつ、山頭火) から引用
題して『雑草風景』という、それは其中風景であり、そしてまた山頭火風景である。
風景は風光とならなければならない。音が声となり、かたちがすがたとなり、にほひがかほりとなり、色が光となるやうに。
私は雑草的存在に過ぎないけれどもそれで満ち足りてゐる。雑草は雑草として、生え伸び咲き実り、そして枯れてしまへばそれでよろしいのである。
(以下略)
—
ほろほろとほろびゆく…彼の生き方。
何故、今のご時世にファンが絶えないのでしょうかね。
—
ちくま文庫 山頭火句集 : 草木塔「雑草風景」から
| 2005-01-09 10:34 | 山頭火
ひっそり暮らせばみそさざい 山頭火
雑草風景の続きをよむ。
>ひっそり暮らせばみそさざい
>住みなれて藪椿いつまでも咲き
>ひつそり咲いて散ります
—
ちくま文庫 山頭火句集 : 草木塔「雑草風景」から
鏡開きも過ぎていよいよ寒さも本格的ですね。
大寒を迎えるまでに急激に寒さが募ります。
夏、秋には緑の葉っぱをいっぱい茂らせていた樹木も冬は枝だけになってひっそりと冬が終わるのを待つ。
なあ、藪椿は元気やなー、この寒いときに花を咲かせている。
ひっそりと雑草のように生きることを思い、数々の不運を思い出すのであろうか。
あるいは、ミソサザイのように藪の中に暮らして、時に大声で啼くような人生を夢見たのか。
山頭火の気持ちは、わかるようで、わからない。
理解もできないのに句集を読んで、共感している。
自分の弱さを知っている。
そんな山頭火ファンも多かろう。
□ □■ □
─(前回の雑草風景・随筆の続き)─
或る時は澄み或る時は濁る。─澄んだり濁ったりする私であるが、澄んでも濁っても、私にあっては一句一句の心身脱落であることに間違ひはない。
此の一年間に於いて私は十年老いたことを感じる。(十年間に一年しか老いなかったこともあつたやうに)そして老来ますます惑ひの多いことを感じないではゐられない。かへりみて心の脆弱、句の貧困を恥ぢ入るばかりである。
(昭和十年十二月二十日、遠い旅路をたどりつつ、山頭火)
| 2005-01-13 16:21 | 山頭火
ほつかり覚めて雪 山頭火
山頭火は草木塔以後に「一草庵」のなかで
>ほつかり覚めて雪
と詠んでいます。大正十四年から十五年にかけて、行乞の旅に出ていますので、その旅先で詠んだのでしょうかね。
そのあとに
>転一歩
>身のまはりかたづけて遠く山なみの雪
としている。
「転一歩」とはどういう気持ちなのでしょう。
—
夜通し、静かに雪は降り続きます。
「山行水行」に
>寝ざめ雪ふる、さびしがるではないが
という作品があります。
しんと静まり返った早朝に、あの白きモノと出会えば、人は誰でも「転一歩」という気持ちになるのでしょう。
種田山頭火の行乞の旅はまだまだ続きます。
※立春が過ぎたら、「春篇」として別スレッドで書こうと思っています。よろしく。
| 2005-02-02 10:46 | 山頭火
category – 山頭火 2013/05/02
山頭火〔春篇〕 その2
平成17年2月から4月までの山頭火への想いです。
少し寒さが戻った日曜日。
乾かない洗濯物のあふれた部屋で一緒にパソコンに向かう。
山頭火〔春篇〕 としました。
春の山頭火の句を座右にぜひ!
>>うしろすがたのしぐれてゆくか 種田山頭火
いいでしょう、いいでしょう。
読めば読むほど、味が出る。ほんと。
わかるようになったら、少し自分が変化し始めてるってことですわ。
>きっと女にはわからない業が男にはあるのでしょうか?
>(まあ女にも男にわからない業があるのでしょうが・・)
男だからとか女だからというのもひとつの見方ですね。
私は生き方というものについては、男女それぞれの視点で見てないことが多いかなと、メッセージを読ませていただき自省している所です。
それは、私が女のような側面を持っていることがあるからかもしれません。
うちのんには、女に生まれればよかったかも…などと言われたこともあったな。
なにはともあれ
>芭蕉と比べると山頭火のほうが人間くさくて、どこか
>悟りっきっているような気がしてなりません。
随筆などを読んでいると、随分と弱音を吐いている所もあります。
何故生きているのよ、クビをくくって死んでしまえば─となじられるのではないかと、読んでる私が心配してしまいそうなときもある。
そういうところが人間臭くなるんでしょうかね。
種田山頭火のファンになったという私の友だち、皆さんが焚き火を囲んで酒を飲んでいたりしても、「山頭火はいいなあ」、と言い合うだけで特に、どういいのかとか、こういいのだ、というような言葉は出ないのですよ。
焚き火を見つめて酒を飲んで、黙っている。
きっと、似たようなことを考えているんだろうケド、確かめ合わない。
| 2005-02-20 16:31 | 山頭火
種田山頭火ファンのみなさん。こんにちは。
2005年2月23日
立春が過ぎて、雨水がきてもアップできずにいたのですけど、やっと新しいスレッドを作りました。
ふるさとは遠くして木の芽 種田山頭火
「山頭火句集」(ちくま文庫)には索引がついている。そこで「ふるさと」という言葉で始まるものを探してみると3句見つかります。
3句のうち「鉢の子」にあるこの句はなぜか私の目によくとまる。赤いボールペンで <嬉野温泉で4泊後、早岐の町へと出る途中> とメモが書いてあります。図書館で借りた本にでも書いてあったのかな。
机の上には句集のこの文庫が1冊あるだけで、山頭火の日記をいつでも読めるような環境にはないのですが、このたった1冊の句集だけを読んでいるのも飽きないもので、ここで山頭火を探り、自分を探るのです。
山頭火にとって、「ふるさと」は死んでしまった母や兄弟と同じく、もう2度と逢えないものです。自分が死んで極楽か地獄かに行ったとしても、母と巡り逢える保障も無い、遠くにあるものです。(何度も書きますが、芭蕉さんにはふるさと・伊賀というところがあったんです)
どうしたらそこに行けるのであろうか。行きたい。
こんなにまで落ちぶれて、みすぼらしい行乞となりながらも、母にだけもう一度逢いたいと思わぬ夜はなかったに違いない。
自戒を抱きながら歩き、山を越え、寒さをこらえ、酒を飲む。
春、今まで枯れ枝だった灰色の木に、小さな芽を見つけた時、彼は遠いところを思い浮かべたのでしょう。ふるさと。
| 2005-02-23 10:57 | 山頭火
山頭火句集の「孤寒」から
>だまってあそぶ鳥の一羽が花のなか 山頭火
この句は春だ!という句は意外と見つけにくくて、何を選ぶかなあ思って、ぽんと取り出したのが、
>ふるさとは遠くして木の芽 山頭火
でした。そしたら、既に【239】で昔に書いていた。私って進歩のない奴なんですな。
いつも同じようなことを書いてますね(恥ずかし)。
カラスや鳥、木の芽、花。
ひとりになって自分と対話をすると、自然界とも対話ができるようになってくる。
あそんでいる鳥は、誰だったのでしょうね。ウグイスかな。
我が家の椿の枝にはたくさんのメジロがいます。
ウグイスは、まだもう少し、さえずりが下手です。もう半月ほどすると上手に「ホーホケキョ」といえるようになるでしょう。
そうか、だまってあそんでいた鳥は、ウグイスだったのかもしれない。
| 2005-02-23 11:13 | 山頭火
春風の鉢の子一つ 種田山頭火
其中日記から。
其中庵に移り住んだのが昭和7年ですから、其中庵での初めての春のころでしょうか。(昭和8年ころ)
3月になると日差しが白くて明るくなるのを感じます。寒く凍える行乞もやっとひと段落です。
春になると目の前のモノが活気を帯びて動き出すだけでも、うきうきしますもの。
山頭火はその鉢を手にして歩いたのでしょうね、きっと。
松山市・一草庵に「春風の鉢の子一つ」の句碑があります。
道後温泉に浸かったあと、市内の案内マップを見て一草庵へと私は急ぎました。正岡子規は有名ですが、山頭火の終焉の住処であった一草庵への道を尋ねても知らない人があるほどです。
住宅街の中にひっそりと庵はありました。
昭和14年の暮れに一草庵へと移り住み、冬春夏を過ごし、秋に脳溢血で倒れて死んでしまいます。やっとたどり着いたこの庵でわずかな時間を過ごし、望みどおりにころりと往生してしまったのでした。長いようで短いような59年でした。
春になると山頭火は自作のこの句をきっと思い浮かべていたことでしょう。
| 2005-03-01 18:59 | 山頭火
かすんでかさなつて山がふるさと 種田山頭火
あすは啓蟄だというのに東京では雪が降っているとニュースが報じている。
今朝、伊勢平野では朝から雨が降っていました。
あたたかい雨です。御在所連山に冬中、白く積もっていた雪がまた少しずつ融けてゆきます。
山頭火が川棚温泉を発って其中庵へと旅をする途中で見た山には、春の雨が降りしきっていたのでしょう。
地面を濡らす雨は、春の芽を呼び起こすように、語りかけるように空から降りてくる。
山頭火はふるさとの山を春霞の中に描いていたのでしょうね。
句集では、
>春風の鉢の子一つ
の前に、
>かすんでかさなつて山がふるさと
の句があります。このうしろに、
>わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく
があります。
春の雨。
冷たいことには変わりがないけど、少し気持ちが和らいでゆくのがわかるような気がする。
| 2005-03-04 19:22 | 山頭火
春が来た水音の行けるところまで 種田山頭火
ちくま文庫「山頭火句集」旅から旅へ(P100)を開く。
>わかれてきた道がまっすぐ
旅から旅へはこの句から始まります。
昭和7年、山頭火は50歳。行乞の旅は続きます。
秋に其中庵をかまえるまでのこのころの句には一種独特の寂しさとその裏にある喜怒哀楽が滲み出ているように思えるのですが、いかがでしょうかね。
>春が来た水音の行けるところまで
数年前に、柳生の里から奈良公園方面へと、滝坂道を散策したことがあります。
早春のころで、水田に湧き水が滲み出て、ふきのとうがひっそりと顔を出していたのを見つけたときは嬉しかった。
土筆を摘む親子が田んぼのあぜ道を歩いてゆく姿が印象的でした。
靄のかかったような奈良盆地を眺めおろし「春の坂道」をゆっくりと楽しみました。
旅は、当然ながら徒歩がいいですね。朝、見上げていた峰は、夕方になっても視界からは消えない。
実際にはほとんどバイクで旅をしますが、多くのバイクツーリスト仲間は、できることならチャリダー(自転車旅人)になりたい。もっと贅沢な望みをあげれば、トホダー(徒歩旅人)になりたい、といいます。
ゆっくりとした時間の中で、山頭火は歩き続けてゆきました。
>梅もどき赤くて機嫌のよい目白頬白
メジロ、ホオジロ。
そういえば、先日、ホオジロが職場の駐車場の枝にたくさんいたぞ。
梅もどきは秋に真っ赤な実をつけるのですが、山頭火の句集を詠んだあくる日には早起きをして庭の南天に集まる小鳥を見たくなりますよ、きっと。
二日間降り続いた雨も上がって薄日が差してきています。
さて、近所の池に鴨をみに行かねば。早くしないと北に帰ってしまう…
鳥たちの4000キロの旅も、春に始まるのですね。
| 2005-03-12 09:34 | 山頭火
窓あけて窓いつぱいの春 種田山頭火
P196孤寒から。
大事な一句を忘れてました。
大きく手を広げて、空を見上げよう。
みなさん、それぞれに春を感じてください。
彼岸も近い。
山頭火句集 ちくま文庫
| 2005-03-13 08:08 | 山頭火
けふは蕗をつみ蕗をたべ 種田山頭火
彼岸が過ぎるとあっという間に春を迎えます。
窓越しに春の芽吹きを眺めていても、やはり寒さに少し尻込みをしていました。
沈丁花の匂いがそれとなく漂ってきます。
その昔、進級発表の会場に向かう途上でこの花の匂いを嗅いだら落第になる、というジンクスがある大学に通っていた方、ありませんか。懐かしいですね。
さて、
4月になれば、おもいきり散歩に出ても大丈夫。
>けふは蕗をつみ蕗をたべ 山頭火
>ひさびさもどれば筍によきによき 山頭火
みなさんのまわりの山々はいかがでしょうか。
大正から昭和の時代、春といえばやはり、街のあかりも瞬きだす季節でもあったのでしょうね。
>水をへだててをなごやの灯がまたたきだした 山頭火
活気が出て、元気がもりもりと湧いてくる。
夜寒を感じない季節になりました。
山頭火句集(ちくま文庫)から
| 2005-04-03 14:55 | 山頭火
category – 山頭火 2013/05/01
山頭火〔夏篇〕 ─その3
平成17年の5月から平成18年10月まで。
夏も近づく八十八夜…
このごろこんな歌をうたう子供たちをあまり見掛けませんね。
水田の間を駆け回って魚を採ったり、花を摘んだりしながら、近所の仲良しのお兄さんやお姉さんに魚や花の名前を教わって大人になってゆく。
こういうふうに育ちながら様々なことを学んでゆくのが本当のゆとりなんだろうと思いますけどね。
さあ、種田山頭火句集から、夏の風景を思い起こすようなものを選んでみましょうか。
皆さんも、どうぞ、ご自由に綴っていただきますよう。
| 2005-05-13 18:58 | 山頭火
けふもいちにち風をあるいてきた 種田山頭火
夏になった。お茶の緑がグイグイとのびる。
茶摘の風景を眺めるために道端に腰を下ろすと、いい香りが漂って来ることに気づく。得しちゃったね。
山頭火句集 (行乞途上) から3句選んでみました。
>けふもいちにち風をあるいてきた
風を歩く・・・か。
昔、PPMっていうフォークグループがあってね、、、って語ってしまいそうです。
>何が何やらみんな咲いてゐる
>ほうたるこいこいふるさとにきた
そうだ!
蛍ってのは、毎年、五月の末の決まった日に飛び始めるんだよ、って友達が言っていたのを思い出した。
ふるさとで見る蛍は、さぞかし優しかっただろう。
でも、山頭火さん、あなたに古里などあったのかい。。。
| 2005-05-13 19:03 | 山頭火
山頭火が井月を訪ねて木曽路を旅して、床に伏したのが今ごろの季節でした。そう思って句集を開いてみました。
・ 乞ひあるく水音のどこまで
・ 飲みたい水が音たててゐた
・ 山ふかく蕗のとうなら咲いてゐる
・ 山しづかなれば傘をぬぐ
山頭火は、木曽路で病気になり、入院をし、退院後に汽車で其中庵へと戻ります。
・ まこと山国の、山ばかりなる月の
・ あすはかへらうさくらちるちつてくる
冬から春への月は、夏の月と違って高度が高い。真上まで昇っている月を見上げて52歳という年齢を思ったのではないでしょうか。
いつの間にか、冬が終わって春になっている。
| 2006-03-21 12:49 | 山頭火
・ 燕とびかふ旅から旅へ草鞋を穿く
・ 飲みたい水が音をたててゐた
・ 山ふかく蕗のとうなら咲いてゐる
・ あすはかへらうさくらちるちつてくる
黄金週間に何度も旅に出た私は、四国を訪ねることが多かったのですが、この山頭火の気持ちを感じてみたくて伊那谷へ行ったこともありました。
中仙道をゆっくりと散策し、峠を越えて伊那谷へとゆく。
南アルプスの、雪を堂々と戴いた勇壮な姿を見ると、信州という密かな谷が春を迎えて本当に喜んでいるのが伝わってくるようです。
バイクを止めて、道の脇に腰を下ろすと、湧き水のせせらぎが聞こえる。
ああ、水が違う。
ゆっくりとゆっくりと旅をするチャンスを失いつつある私たち。
何故、急ぐのだろう、自問が続きます。
| 2006-04-28 12:51 | 山頭火
山頭火句集から
【雑草風景から】
・ 山から白い花を机に
其中庵で暮らす山頭火の姿が想像できます。
白い花は、何だったのでしょうか。
今なら、白いつつじかな、そう思ってみたり。
・ 伸びるより咲いてゐる
五月の風は、優しいですから、そよそよと吹けば花びらが陽炎のように揺れるのでしょう。
もう、伸びなくてもいいんだ。無理することなどないよ。咲いて、綺麗に。
そう、声を掛けてやりたかったのでしょうか。
・ 枇杷が枯れて枇杷が生えてひとりぐらし
大型連休(GW)が終わりました。(このころは、ありませんけどね)
ふと近所の畑に目をやると、枇杷が実をつけています。既に袋が被せられているものもあります。
ああ、夏が近いと感じます。
山頭火も、きっとそう思ったんだろう。
やがて、この実をもぎ取っていただき、葉が落ちて、冬を迎えるのですが、初夏になると、また実をつける。
ひとり暮らし。いつまでも。
| 2006-05-17 12:34 | 山頭火
梅雨入りをして数日が過ぎた。
晴れる日もあれば、じめじめとした日もある。
人にはそれぞれのなりわいがあって、雨を喜ぶ人もあれば恨めしい人もありましょう。
晴れの週間予報が出ていたので、きょうこそはと期待していたのですが、朝から渋々と雨が降っています。
いかにも梅雨らしい。
本棚から、いつも一冊だけ取り出したまま、机の片隅に置いてある山頭火句集。
音もなく静かに雨が降る休日には、いかにもこの句集はふさわしい。
熊本で路面電車を急停車させたのが四十二歳、その明くる年に出家。
そして
山頭火、四十四歳。大正十五年のことです。
【鉢の子】から
・ 分け入つても分け入つても青い山
・ しとどに濡れてこれは道しるべの石
・ 炎天をいただいて乞ひ歩く
句集の冒頭に出てくるので、誰でも一度は目にする句です。
はたして、夏の句なのかどうか、わかりませんけれど、、、、。
梅雨の合間か、梅雨明けころに旅をすると、山が元気にざわめいて、沢が有り余るほどの水を滝のように落としているのに出会います。
自然は生き物で、山も語りかけてくるものなのだという体験ができる季節でもあります。
優しい顔と、厳しい顔。
自然の中で、
力を抜いて生きてゆくときの自分。
句の中で
そういう自分の美しさを
誉めているようにも思えてくる。
彼がこの句を詠んだときに、これから十四年ほど続く自分の人生をどれほど予感したのでしょうか。
旅は、まだまだ続きます。
| 2006-06-11 09:18 | 山頭火
きょうも暑いですね。
京都・祇園祭はきょうが宵山です。
僕たちが若いころには円山音楽堂で「宵々山コンサート」ってのがあってね。遠くに住んでいたし子どもだったので行けませんでしたが、暑い夏にピッタシの音楽の祭典でした。みんな、貧しかったし、モノを持っていなかったからね。
ほんとうの有り難味であるとか、楽しみというものをきちんと感じ取っている時代だったな。
さて、
山頭火のコミュに書き出したものを、いかに貼っておく。↓
わたしはバイクツーリストですが、同じようにバイクで旅をする人の仲間たちに種田山頭火のファンが多いので驚きます。
ひとりで旅をする人の心は、やはり孤独であり、山頭火も孤独だったということで、言葉にならないような共感を彼の句から授かるのでしょうか。
まもなく梅雨が明けますね。
どんなにジメジメした梅雨が、何日も続こうとも、必ず梅雨は明けます。
その鬱憤のようなものを晴らすかのように、七夕のころに雨が降ります。
・夕立が洗つていつた茄子をもぐ
これは、いつごろに詠んだのですかね。
今頃の季節かもしれないな、と思ったりしてます。
ただ、この句は、あまりにも普通の句ですね。
すごく好きです。
・へうへうとして水を味ふ
旅は、渇きを癒すもの。
水も喉を潤すもの。
暑くて苦しい旅でも、自分で好んで旅に来ているのに、疲れることがある。
自分との対話も尽きた。
さあ、この山の中で、何処を目指そうか…と考えたときに湧き水があった。
・まつすぐな道でさみしい
山頭火は、バイクではなく徒歩ですから、バイク以上に寂しい思いをしたんでしょうね。
バイクだって、寂しい。
動物でも構わないから出て欲しい。(熊は困るが)
寂しいねと話をしあう人が欲しい。
・やつぱり一人がよろしい雑草
行き着くところは、ひとりですよ。
人を不信になったりするわけじゃないけど、結局は自分が美しく生きてゆくことが、美しく生きている人と出会えるチャンスを生むんだろうと思う。
失望したときに、
幾重にも連なる峰とそれを縫うように続く峠道を眺めていたあとに、ふと足元の雑草に目をやると、ふふふと笑われたような気がした。
センチメンタルジャーニーは、もう終わりにしなさい、って。
| 2006-07-16 19:23 | 山頭火
どこまでも、ひとり (「山頭火句集」(ちくま文庫)をよむ)
夏の、暑さの盛りを歩いた句は少ないか。
感情は、秋でも冬でも同じなのだろうが、
しかし、秋のほうが感動がストレートに出て
また、冬のほうが痛みが切実なのかもしれない。
・ 日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ
・ 炎天かくすところなく水のながれくる
山行水行から
この2句のあとは秋の句のようだ。
日没時間が、日に日に早まってきているのがわかるこの頃、月を眺めても夕空を見上げても、秋が近いのだとしみじみと思う。
・ 蚊帳へまともな月かげも誰か来さうな
蚊帳が出ているので夏なのだろう。けれども、月の明かりの物寂しさもあるのだ。
・ 糸瓜ぶらりと地べたへとどいた
夏休みの思い出だが
子どものころに庭で糸瓜(ヘチマ)を作った。
大きくなってくれると嬉しい。
でも、夏休みも終わりが近いのだ。
地べたに届いたヘチマは、その後、どうなるのだろうか。
秋が迫っている。
嬉しいのか。かなしいのか。
山頭火は、どこまでも一人なのです。
| 2006-08-25 21:00 | 山頭火
きょうも、山頭火句集をひらく
このごろは涼しい自然の風が吹いてくるので
部屋にいてもご機嫌です。
山頭火句集を読んでおりました。
うしろすがたのしぐれてゆくか
この句は私の今の歳で詠んでいるんだと改めて知り、
山頭火の最期までのその後の10年と
私のこれからの10年を
頭の中で並べている。
こおろぎが鳴いている。
おっ、鳴き止んだ。
| 2006-09-04 22:00 | 山頭火
お茶の花
満月の夜が近づいている。
このころになると毎年決まって、山頭火の命日が近づいていると思う。
そして彼の歳にひとつずつ歩み寄ってゆくのだ。
きのうの朝、職場の前に広がる茶畑で花が咲いているのを見つけた。
茶の新芽が出たら喜び、茶摘みの人の姿をみては、空気の綺麗なことに感謝する。
ほー、お茶の花って今ごろ咲いたのか。そう感じ取りながら、季節感を失ってゆく自分を、自分たちの変わりつつある生活スタイルを恥ずかしく思った。
・ 萩ちればコスモス咲いてそして茶の花も
句集をぱらぱらとめくると、秋から冬のものが目立つ。春や夏が少ないのではなく、山頭火がつぶやく姿が、秋や冬の静けさに合うのかもしれない。
子どものころ、満月の晩に母が団子を作ってくれた。米粉で作った味のない、ただの団子だった。
あの時代であるから新米が収穫できてその祝いにというような民俗学的な考察もできようか…と思ってみたが、40年前の稲刈りは今よりもほぼ2ヶ月も遅い10月半ばころだったことに気づき、米粉は古米になる手前のもだったのだろうか、と推測を改めた。
古米を一粒も残さず新しい年を迎える、という昔の人の精神を忘れてしまった現代人には、およそ理解できない風習なのかもしれない。
秋は、かなしい。
しかし、
・ もりもりもりあがる雲へ歩む
という句もよむ。
いつか、大空から地上を、蕪村のように見下ろしたいと願っていたのかもしれない。
| 2006-10-04 20:59 | 山頭火
category – 山頭火 2013/04/30
続・山頭火句集 [山頭火その4]
平成18年の秋から平成20年の秋までに書いた記事で、全6回のうちのその4です。
私の子どもは、平成になる1年前に生まれています。
そして高校に進学する直前に私は会社をやめています。
苦しいときだったと思います。
ムスメは私学でしたし、私には仕事もなく、生活に余裕はなかった。
秋の夜が更けてゆく 山頭火句集を読む
ちょうど中秋の名月のころにこの前のメッセージを書いたのか。
命日が近かったのでそれなりにしんみりと読んでいた句集であったが、山頭火の心は想像できない。
「私は長い間さまようてゐた。からだがさまようてゐたばかりでなく、こころもさまようてゐた。在るべきものに苦しみ、在らずにはゐないものに悩まされてゐた。そしてやうやくにして、在るものにおちつくことができた。」
旅から旅へ、のなかでこう書いている。
人は、さまようことに憧れを感じるのだろうな。だから、山頭火のようにさまよいたいのだろう。
悲しいものを悲しくみつめ、ささやかなる喜びを子どものように喜ぶ。人間を悪人と思うことなく、自分を見つめる。時には厳しく、時には情けなく、自分を見る。
雑草風景から
・柿が赤くて住めば住まれる家の木として
・みごもってよろめいてこほろぎかよ
・日かげいつか月かげとなり木のかげ
この秋の最後の満月が終わって次第に欠け始めている。
冬至を迎えた日に木枯らし一番が吹いた。
山頭火がいただく酒の杯にも月の明かりが差したのだろう。
寒さを感じながら、冬を想像したのだろうか。
何を見ても優しい視線が、この三つの句にも表れている。
秋の夜が更けてゆく。
月が天を横切り、寒さが襲ってくる。
| 2006-11-08 22:25 | 山頭火
「山頭火句集」(ちくま文庫)をよむ
最近、「パソコンの部屋が寒いので、落ち着いて書けないから」、という言い訳で、ここへの投稿をサボっていました。そろそろ復帰したいのですが。
人間と言うのは、、、、
追い込まれないと美しいものや芸術的なものを作り出せないことがあります。
少し弛んでいると山頭火をよんでもよみ流してしまう。
だからと言って山頭火をよめば蘇るものではない。
常に、自分に奢ること無く暮らす。
山頭火と共に歩めることは、自分の不幸の一端でもあるのですが、それはすなわち幸せでもあると思っています。
山頭火句集をよむ。
こちらに参加してくださるかたがたがあるということは、ありがたいことです。
人それぞれ感じ方が違いましょうが、響けば同じです。
また、近日にでも再開したいです。
| 2007-01-18 09:32 | 山頭火 |
続・「山頭火句集」(ちくま文庫)をよむ
秋の夜長に山頭火句集を開いてから、幾日も閉じたままであった、というわけではありませんでしたが、少しお休みをしてました。ちょっと、鑑賞するのにいい時期を逃しましたか。
【雑草風景から】
・枯木に鴉が、お正月もすみました
山頭火は、カラスを優しい目で見つめている。
あの鳴き声に、哀愁のようなものを感じるのか。
カラスの孤独を察しているのだろうか。
静かに秋が暮れ、年が暮れていった。
・冬がまた来てまた歯がぬけることも
・噛みしめる味も抜けさうな歯で
・霽れて元日の水がたたへていつぱい
冬の凍てつくような寒さを嘆くとか、弱音を吐くような句は一切見当たらない。
ただ、寂しい。
ひとりとは、こんなものか。
そう嘆くような気配があるだけで、彼は強い。
・ひつそり暮らせばみそさざい
さあ、気を取り直して、まだまだ頑張るぞ。
そんな感じもします。
寒い冬の京都の朝。天竜寺の修行僧が「うおぉー」とうなって各家の玄関前を回っているのに出会うことがありました。
山頭火も、生きねばならないし、修行もせねばなりません。
冬に弱音は吐けなかったのだ。
・ぶらりとさがつて雪ふる蓑虫
弱くなった心で見つめる目と、自分を厳しく戒める目とで、優しく見つめている。
もうすぐ春が来ることを感じ取っている句のように思えます。
| 2007-01-22 22:14 | 山頭火 |
水音の行けるところまで
雨水が過ぎて、三日月が次第に太り始めている。
きわめてあたりまえのことだが、立春を過ぎれば春が間近に迫り、月が欠け、そして月が満ちてくれば、弥生・三月もまもなくだ。
寒く冷たいこの季節に、山頭火は井月の墓参を思い立ち伊奈谷へと向かっている。昭和九年。五十二歳。
『草木塔』 旅から旅へ から
・春が来た水音の行けるところまで
さあ、木曽路から伊奈へと旅立とうという山頭火の心をこれほどまでに表した句が他にあろうか。
・乞ひあるく水音のどこまでも
春なのだ。水が勢いを増して迸っている。そのことを山頭火は知っている。
歩き疲れても歩くしかない。そういう人生を選んだ自分に、時には優しく、時には厳しく、しなければならない。
木曽路まで、まだ歩かねばならない。
木曾路 三句
・飲みたい水が音たててゐた
・山ふかく蕗のとうなら咲いてゐる
・山しづかなれば笠をぬぐ
木曽の春は、おそらく、静かで温もりに満ちた春だったに違いない。
鳥が啼いて、山がざわめき、雲が流れている。
そこには、待ちに待った春が来ている。
景色が、迫ってくる。
山頭火が居る。
歩いているのが見える。
皆さんにも見えるでしょう?
| 2007-02-22 22:06 | 山頭火 |
続「山頭火句集」(ちくま文庫)をよむ
きょうは、其中一人を読む。
冬と思われる句は少ないような気がする。
実際にどうかはわからないが、山頭火の冬の句はひっそりとして目立たないから、というのも理由のひとつかもしれない。
・雪へ雪ふるしづけさにをる
其中庵にも雪が降るのだろう。
比較的暖かいところだから、しんしんとではなく、ぼたん雪が静かに降っているのか。
春が間近ということか。
まさに、一人なのだ。
・雪ふる一人一人ゆく
何をしても、一人。
其中に居ても、何処かにゆくにも一人。
ぼたん雪が蓑に積もる。それを払うこともなく歩く。
山里に人影などなく、日が暮れて夕闇が迫る。
雪明りの中を歩く。
寒さが伝わってくるようだ。
・あるけば蕗のとう
山頭火が歩くと、そこには春がある。
氷が溶け出し、水が湧き出て、蕗のとうが芽を出す。
同じ春を見ても、歓びは人それぞれだ。
蕗の黄緑が目に浮かぶよう。
・音は朝から木の実をたべに来た鳥か
春は、実が成るというより新芽の季節だ。
先日、日記に「ウソ」の写真を載せたが、きっとこの鳥はウソに違いない。
桜のつぼみをついばみに来ているに違いない。
そんな様子を思い浮かべてしまう。
山頭火はこの鳥のさえずりを寝床で聞いたのだろうか。
・こころすなほに御飯がふいた
春の句かどうかはわからないが、寒々とした台所の風景を思い浮かべてしまう。
子どものころは、台所といえば土間で、その真ん中に煙突があって大きな竈があった。
その竈の御飯が吹き上がるのだろうな。
分厚く重い木の蓋の隙間から白い湯気が吹き上がる。
しゅー、ぼこぼこと音がする。
春は、新芽を食べるのが美味い。
味はうす味でいい。
味噌が少しあれば、あとは炊き立ての御飯が美味い。
| 2007-03-01 22:18 | 山頭火 |
(2005/02/23) のメモと書いている。
ふるさとは遠くして木の芽 種田山頭火
「山頭火句集」(ちくま文庫)には索引がついている。そこで「ふるさと」という言葉で始まるものを探してみると3句見つかります。
3句のうち「鉢の子」にあるこの句はなぜか私の目によくとまる。赤いボールペンで <嬉野温泉で4泊後、早岐の町へと出る途中> とメモが書いてあります。図書館で借りた本にでも書いてあったのかな。
机の上には句集のこの文庫が1冊あるだけで、山頭火の日記をいつでも読めるような環境にはないのですが、このたった1冊の句集だけを読んでいるのも飽きないもので、ここで山頭火を探り、自分を探るのです。
山頭火にとって「ふるさと」は死んでしまった母や兄弟と同じく、もう2度と逢えないものです。自分が死んで極楽か地獄かに行ったとしても、母と巡り逢える保障も無い、遠くにあるものです。
(何度も書きますが、芭蕉さんにはふるさと・伊賀というところがあったんです)
どうしたらそこに行けるのであろうか。行きたい。
こんなにまで落ちぶれて、みすぼらしい行乞となりながらも、母にだけもう一度逢いたいと思わぬ夜はなかったに違いない。
自戒を抱きながら歩き、山を越え、寒さをこらえ、酒を飲む。
春、今まで枯れ枝だった灰色の木に、小さな芽を見つけた時、彼は遠いところを思い浮かべたのでしょう。ふるさと。
| 2007-03-09 23:52 | 山頭火 |
(2005/02/23) 改
とメモには書いています。
山頭火句集の「孤寒」から
>だまってあそぶ鳥の一羽が花のなか 山頭火
この句は春だ!という句は意外と見つけにくくて、何を選ぶかなあ思って、ぽんと取り出したのが、
>ふるさとは遠くして木の芽 山頭火
でした。そしたら、既出でした。お気に入りは何度でも無意識に選んでしまう。
カラスや鳥、木の芽、花。
ひとりになって自分と対話をすると、自然界とも対話ができるようになってくる。
あそんでいる鳥は、誰だったのでしょうね。ウグイスかな。
我が家の椿の枝にはたくさんのメジロがいます。
ウグイスは、まだもう少し、さえずりが下手です。もう半月ほどすると上手に「ホーホケキョ」といえるようになるでしょう。
そうか、だまってあそんでいた鳥は、ウグイスだったのかもしれない。
| 2007-03-10 00:09 | 山頭火 |
(2005/03/01) メモから
◆ 春風の鉢の子一つ 種田山頭火
其中日記から。
其中庵に移り住んだのが昭和7年ですから、其中庵での初めての春のころでしょうか。(昭和8年ころ)
3月になると日差しが白くて明るくなるのを感じます。寒く凍える行乞もやっとひと段落です。
春になると目の前のモノが活気を帯びて動き出すだけでも、うきうきしますもの。
山頭火はその鉢を手にして歩いたのでしょうね、きっと。
松山市・一草庵に「春風の鉢の子一つ」の句碑があります。
道後温泉に浸かったあと、市内の案内マップを見て一草庵へと私は急ぎました。正岡子規は有名ですが、山頭火の終焉の住処であった一草庵への道を尋ねても知らない人があるほどです。
住宅街の中にひっそりと庵はありました。
昭和14年の暮れに一草庵へと移り住み、冬春夏を過ごし、秋に脳溢血で倒れて死んでしまいます。やっとたどり着いたこの庵でわずかな時間を過ごし、望みどおりにころりと往生してしまったのでした。長いようで短いような59年でした。
春になると山頭火は自作のこの句をきっと思い浮かべていたことでしょう。
| 2007-03-10 21:58 | 山頭火 |
(2005/03/04) メモから
◆ かすんでかさなつて山がふるさと 種田山頭火
あすは啓蟄だというのに東京では雪が降っているとニュースを報じている。今朝、伊勢平野では朝から雨が降っていました。
あたたかい雨です。御在所連山に冬中、白く積もっていた雪がまた少しずつ融けてゆきます。
山頭火が川棚温泉を発って其中庵へと旅をする途中で見た山には、春の雨が降りしきっていたのでしょう。
地面を濡らす雨は、春の芽を呼び起こすように、語りかけるように空から降りてくる。
山頭火はふるさとの山を春霞の中に描いていたのでしょうね。
句集では、
>春風の鉢の子一つ
の前に、
>かすんでかさなつて山がふるさと
の句があります。このうしろに、
>わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく
があります。
春の雨。
冷たいことには変わりがないけど、少し気持ちが和らいでゆくのがわかるような気がする。
| 2007-03-10 21:59 | 山頭火 |
春の雪
・この道しかない春の雪ふる
山頭火には自由に選ぶことの出来る人生の手段など何ひとつなかった。この道を行くしかない。非情にも春であるのに深深と雪が降る。
そんな風景を思い浮かべます。私の勝手な想像です。
初期のころの句ですね。山頭火という人が行乞の暮らしを始めて開眼をしてゆく様子を、作品を通じて感じることがあります。
私は文学者ではありませんのでそういうことを論じるに至らないのですが、私なりにそういうものに触れると嬉しくなります。
(出身は電気通信工学ですが、もしも文学を選んでいても、山頭火など振り向かなかったのではないかと、想像してます。)
| 2007-03-10 22:06 | 山頭火 |
秋に逝く
すっかり筆を置いてしまっていた。半年が過ぎたことが早かったのに驚くのだが、妙にそのことが残念にも思える。時間経過を愉しんでいるようで怯えている自分がいる。
—
昭和15年10月11日午前4時(推定) 心臓麻痺と診断。
山頭火は、コロリと逝ってしまう。
秋が少しずつ深まる季節に、
夕焼雲のうつくしければ人の恋しき 山頭火
と詠んだ。人生が乱れてからも、様々なところを歩き、人に感謝し、人に恵まれ、あるときは励まされてきた。
一草庵に来てからの幸せは、
| 御飯のうまさほろほろこぼれ 山頭火
| おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて 山頭火
| もりもりともりあがる雲へ歩む 山頭火
の句にわかるよう、後年になってからも山頭火の持ち味を出している。
山頭火句集の最後の章である「一草庵」を読むと、自分の死を予期しない山頭火が垣間見られる一方で、死の覚悟が見えるところが悲しい。
昔、一草庵を訪ねたときに、あの庵の前を流れる小川を見ながら、思ったことは、山頭火もこの川の水の流れを眺めながら日々を過ごし、
濁れる水の流れつつ澄む 山頭火
の句を詠んだのだろう、ということだった。
まさか、その秋に頓死とするとは夢にも思わなかったのではないか。
いや、酔い果ててしまったあとにも、あの句のように、澄みを取り戻す水の如く蘇えろうと夢を見ていたのだろうか。
秋に逝く。
私も、秋に逝きたい…と思った。
※作品引用;山頭火句集(ちくま文庫)から
| 2007-10-16 11:37 | 山頭火 |
夏の句 山頭火句集をよみながら
夏の句を探しにゆく。
今夜も「山頭火句集」を読む。
どのようなものが見つかるのか。
現代のせっかちに反発しながら、
夜を過ごす。
夕立が洗つていつた茄子をもぐ
こいつはそらんじてて、いつでも出てくる。
夕立の季節が来ると嬉しい。
でも暑い夏は嫌だ。
「草木塔」、旅から旅へ。
この項の最初の句が
わかれてきた道がまつすぐ
です。
月も水底に旅空がある
柳があつて柳屋といふ涼しい風
みんなたつしやでかぼちやの花も
と続く。
夏の句、と思うとなかなか見つからない。
秋に苦しみ、冬に凍えて暮らした人だから
そういう季節の句が、目立ってしまう。
暑い夏にも
きっと、
オロオロと歩いたはずだ。
ここでとりあげた句には、弱音はない。
| 2008-07-09 08:11 | 山頭火 |
笠にとんぼをとまらせてあるく
いや、そんな句を思い出しました。
日が暮れると、
風がすーっと吹いてきても、それは秋の気配ですね。
虫も鳴いていましたし。
夏の句は少ないようですが、秋の句は多いですね。
| 2008-08-19 21:47 | 山頭火 |
歩きつづける彼岸花咲きつづける
あれよあれよという間に秋がやってきます。
私の住む平野では稲刈りが始まっています。
彼岸花が咲いたら、奈良県の吉野から明日香へと越える名もない峠の麓の集落に彼岸花が綺麗に咲くところがありまして、地味な花だけに人々が集う様子とその花を見に行ってこようかと思ってます。
明日香は、素朴です。
川原寺と橘寺の間の芝生公園は、時代とともに俗化されてきていますが、そうは言っても、あの時代を髣髴さてくれます。
聖徳太子の馬の蹄の音が聞こえてくるようです。
表題の句は、種田山頭火。鉢の子から。
昭和4年、山陽地方。 そう赤ペンでメモってある。
| 2008-08-23 21:51 | 山頭火 |
ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯
これは山頭火が52歳のときの作品らしい。(昭和10年)
鉢の子。(第3句集)「山行水行」のなかにあります。
この52歳というのが何とも神妙です。
あふれる湯。
それを聞いただけで、「ちんぽこ」を連想できる。
歓び。
どこの温泉でしょうかね。
川棚温泉かな。
昭和9年に木曽路を旅しているが、そのあたりだろうか。
この句の前には「千人風呂」と前書きがあります。
どこだろうね。
諏訪まで行ったのかな。
| 2008-08-31 20:36 | 山頭火 |
秋は、何故か。
歩きつづける彼岸花咲きつづける
この句は、学校で習うみたいです。
子どもたちに山頭火がわかるんだろうか。
「柿の葉」の項をひらく。
山頭火は、昭和十年暮、旅に出ています。
大阪、京都、伊勢、鎌倉、東京、甲州路、信濃路。
その後、新潟、平泉。永平寺を経て其中庵へ。
「柿の葉」は第五句集で、このときの句が多い。
いつまで生きる曼珠沙華咲きだした
おそらく、この真っ赤な花が咲きだすのは今の時代とほとんど変わりが無いだろう。
数々の人に歌われ、美しいと言われたり、嫌われたり。
寿命は意外と短く、秋が深まるころには赤い花は落ちてしまってない。
鎌をとぐ夕焼おだやかな
夕焼けがきれいなのことは、誰もが感じることで、彼はその空が綺麗だとか美しいとは言わない。
わかっているからだろうか。
この時期に空を見上げれば、必ず鮮やかな空に巡り会える。
あっという間に夕暮れが早まってゆく毎日のなかで、いつもいつも夕焼けが綺麗だ。
このまま、ずっと一年中、秋ならいいのに。
稲刈りのころ、いつもそう感じたものだ。
そんな稲刈りの風景もすっかり変わってしまった。
吹きぬける秋風の吹きぬけるままに
どうしてなのでしょうね。
秋の風は私がどんなに怒っていても爽やかに吹き抜ける。
もしかしたら、悲しかったとしても、優しいのかもしれない。
| 2008-10-05 23:37 | 山頭火 |
ひよいと四国へ晴れきつてゐる
1939年の秋。
山頭火は四国へと渡り、松山、一草庵にすむようになる。
この句は、「四国遍路」の最初の句で、いかにも青い海が目の前に広がる様子がわかる。
人は
何事においても
さり気なく、ひょいと
やってのけることが出来れば大したものだ。
飄々と、生きているわけではないのだが
そんな苦しみや哀しみを覆い尽くすように
飄々と、生きているように見える。
四国に渡って、1年後。
1940年の10月。
コロリと逝く。58歳。
もりもりもりあがる雲へ歩む
いつまでも
歩いている姿がよく似合う。
| 2008-10-06 23:27 | 山頭火 |
category – 山頭火 2013/04/30
山頭火のこと [山頭火その5]
山頭火のこと
このようなタイトルを書いているが、「その5」にあたる。
読み進んでみることにしましょう。
平成28年の日付がある。
ちくま文庫の「山頭火句集」( 村上譲編) を持って和歌山から徳島へとゆく船に乗りました。
平成九年、ゴールデンウィークのことです。
真っ青な海の向こうに淡路島が見える。
山頭火句集の「ひよいと四国へ晴れきつてゐる」の気分で四国の旅が始まりました。
こ の年のゴールデンウィークの第一の目的地は、山頭火が最期の庵とした一草庵(松山市)です。バイクの後部座席にはキャンプ道具を満載しました。そしてツー リングバックに山頭火句集を丁寧にしまった。句集は何処へ行く旅であっても、いつでも必ずバックに入れて持ち歩いてきたものです。
「ひょいと四国へ」
山頭火は昭和十四年の秋に広島県宇品港から、そして私は平成九年の春に和歌山港から出帆しました。半世紀以上の隔たりがあっても、海も、晴れきった空も真っ青でした。
私と種田山頭火の出会いは、ちょうど今から十年程前です。何かの書評の片隅に書かれていた句集に興味を持ち、田舎では容易に入手できず意地になって京都まで探しに出かけて買い求めたことが始まりでした。
教 科書通りではなく俳句と呼ぶにはちょっと変で、意味もよく分からないし、感動さえなかったというのが第一印象です。しかし、魅せられるだけの理由がそこに はあった。生きている吐息のようなものです。必死に生きていることを決して表面には出さず、また大きく悲しむわけでもない姿。日々、立ち止まってあらゆる ものを見つめ返す。そうした生き方のなかに、人々の暮らしを素朴に捉えて放さない言葉や自然を見つめる眼差しがありました。
「分け入つても分け入つても青い山」
「うしろすがたのしぐれてゆくか」
こ れらに代表されるように、感じたことを直球勝負でぶつけてくる。五七五という理屈を見事にかわして、肝心な部分を突いてくる。山頭火の自由は、我儘、勝手 というものではなく、五七五であるべきとする規律に対してその書式に囚われない作品を詠むことです。漂泊、行乞の俳人と呼びますが、言葉が放つ美的なイ メージなど実際には無く、流浪の果ての乞食だったと想像します。孤独で寂しい一人旅を続ける人生。死のうとしても死にきれなかった過去や辛い毎日、修行の 日々がまだらになっていたのだろうと感じました。句集をぱらぱらとめくりながら私は、数々の句が織り成す大きな波動のようなものを発見します。そのため息 のような自由律に、揺るぎないパワーを感じたのです。
「うしろ姿のしぐれてゆくか」
日本画家の池田遥邨が画いたことでも 有名です。二十一世紀になって山頭火に触れる私たちも、実はいつも一人で、ときには寂しさを感じ、社会の軋轢を背負わされ、あるときは、逃げ出して放浪の 人生となってみたいと思っているのかもしれない。だから、漂泊の旅に憧れて、スケッチブックやカメラを持ち、遠く見知らぬところへとあてもなく旅を始める のでしょう。「まつすぐな道でさみしい」と感じながら。
四国はお遍路さんの島ですから旅人を迎える視線がとても優しい。
「どうして一人旅なんですか?」
「山頭火みたいになりたい…」
私も放浪の旅人を気取りたくなって一草庵に辿り着くまでに少しばかり道草を食いました。一草庵はひっそりとしていました。目立った建物でもなく、派手な案内があるわけでもなかった。質素な佇まいを味わいながら無言で庵の周囲を私は歩き回りました。
「濁れる水のなかれつつ澄む」
彼が逝く一ヶ月前、自分の人生を樋又川の流れに感じて詠んだという。そのせせらぎに川藻が揺れています。向こう岸の道路を車や自転車が通り過ぎてゆきます。一草庵の玄関先にある記念スタンプを句集の裏表紙に押して、私は惜しみながら庵を去りました。
| 2006-04-15 22:22 | 深夜の自画像(詩篇)
category – 山頭火 2013/04/29
お茶の花が咲き始めましたね [山頭火その6]
山頭火のことを徒然に書き始めて時が少しずつ過ぎていた。
2004年(平成16年)
あの頃、私はどんな人生を描いていたのか。
40歳代の未熟?な自分を50歳代から見つめなおしてゆく。
最後に| 2004-11-30 23:55 |と貼っている。
深まる秋に想いが広がったのではなかろうか。
原文を貼っておく。
今日は、4句
茶の花のちるばかりちらしておく
いつしか明けてゐる茶の花
冬が来てゐる木ぎれ竹ぎれ
こころすなほに御飯がふいた
山頭火は、昭和7年から山口県小郡町の其中庵に住みます。
その佇まいは今でも当時の様子を再現して公開されています。
わたしは1度だけ訪ねることができました。山口は遠かった。
四国・松山市の一草庵に寄ってから行きました。
どちらの庵も観光客の姿などほとんどなく、わたしが独り占めできました。
何もすることなどないので、狭い庵をウロウロと歩き回るだけで贅沢な時間を過ごしました。
山頭火句集 其中一人 ちくま文庫から
| 2004-11-30 23:55 | 読書系セレクション |
category – 山頭火 2013/04/29
2013年4月30日 (火曜日)
【お知らせ】
種田山頭火のこと
むかし、種田山頭火のことをかき続けたことがありました。
そのひとつのカテゴリーとして「山頭火」が存在しました。もう、昔のことなので、読んでみても面白みがないのです。しかし、それなりにそのころの自分の気持で書いているので、私のために少し手を加えて残しておこうと思います。
そこで、FC2にブログを作ったので、移動することにします。
こちらのブログのカテゴリは、カテゴリー名だけ残し、本文は抹消します。
++
山頭火の記事を読むのは現代です。今の視点です。
当時の日記を読んでみても、何を書こうとしていたのか、今のわたしでもわからなくなりつつある。
少し加筆できたらいいなあ、と思っています。
でも、あのときの思いに今の気持ちを書き加えるとアンバランスになってしましますから、このままのほうがいいかも知れれません。
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時代は巡って現代です。
昔あるとき山頭火を読んだ人のなかに、こんな奴がいたのだとお伝えするだ
2013年4月30日 (火曜日) 〔山頭火〕
2014年11月 3日 (月曜日)
山頭火に惹かれて、この人の姿に重ねてわたしも一人旅に出て、雨風を肌身で感じ、暑さ寒さを嘆いて、一筆書きでは辿れない複雑な足跡に、人生のもつれを感じながら走り回った時代がありました。
しかし、あの頃を振り返ると、それは幸せが幾らかまだ底の方に残っていたからこそ、どん底を共感できたのっではないか、とあとで思うようになってきました。そして、あれはささやかな幸せの中での一時的なセンチメンタルであり、ある種の錯覚のようなものであったのかもしれないとも思えてくるのです。
そんなことを思うのは、何年もあとになってからです。夢中になれた時期はわたしにすれば人生の頂点のころだったし、ゆく道は逃げ道しかなかった。
あのころは世の中には実は途轍もない恐ろしいほんとうのどん底というものがあるのだということなど知らなかった。
今のわたしはかなりどん底に近いところにいるのですが、まだもう少し下に隙間がある。そのスレスレにまできてみると、あの頃はまだ豊かであって、ど ん底には見向きもしなかった。そんな上からにやや近いところに居られたから心酔できたのではないかと、後になって気づくのです。
だから、山頭火を読んで惹かれて心酔している人には、まだ僅かほどのゆとりがあって、その豊かさの余裕は幸せなことなのだ、と思うのです。つまり、共鳴できることは余裕があり幸せだということで、そのことに感謝をしなくてはならないのだと思うのです。
確かに、文学というのは、とことん貧しく酷い暮らしの環境で生まれてくるものがあります。反対にこの上ない豊かさに育まれてくるものもありますが、 山頭火もまだ(あんな状態であっても)とことんではなく、最低限度に共鳴できるところあたりにいてくれたのかなとも思います。(つまり、ゼロではなかっ た……)
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山頭火のブームが沸き起こる中で、そういうどん底ではないすれすれのどん底を、例えば現代社会がどれだけ理解しているのだろうか。都合のいいように、味付けして飾り付けてお洒落にしてはいまいか。そう考えると、すーっと覚めるようなものが脳味噌のなかを走るのです。
それは、どんなジャンルのどんな作品にもあるのだろうし、どんな業界にも似たようなことはあると思いますので、クールに見ればいいと思うものの、近頃、山頭火を読むと、飽和して頂点にある現代社会に、いいとこ取りにも似た扱われ方でどん底のようなものとして見られ、少し寂しいなあと思ったりしています。
幸せってのは、やはり、どん底を知っている人であればこそ感じ取れる点があります。豊かな社会に中の温もりの中で暮らしている人たちに、いったいどこまで山頭火が理解できているのか、と思いながら、このごろ冷静に山頭火を見られるようになった自分のほうが、あのころより遥かに山頭火を理解して、調度よい距離をおいて読めるようになったな、と感じるのです。
2014年11月 3日 (月曜日)
〔山頭火〕