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飛ぶ鳥には地に降り立つ不安があろう、散る花には 散る間際の無念もあろう

日記は 自分への手紙のようなものだ
終活に書く自らにあてた語りかけ


その一

三年前を思う
静かに雨が降っている
音を立てず
地面は濡れているのが
カーテンの隙間から覗くと見える
三日、三ヶ月、三年、三十年
足跡を振り返って考えたころ
今がこれでいいのか
今を考える
昔を振り返ったものだ
今は不要かも

早朝 目が覚めてカーテンの隙間から雨降り確認し 日の出時刻を過ぎているのに一向に明けきらない庭を見下ろしていた

🌸 夜が明けぬ静かに雨が降っている  #春の雨



そう詠んで ふとTwitterをさらっと読んでいると
同じ時刻に同じことを感じて 書いている人がいる

「静かに・・雨が・・」

ちょうど私は 三年前のことを漠然と思い出している
きっと 似たようなことを思っていたのだろう
いいえ 違うとも思う

🌸 しんしんと花に冷たく容赦なく  #花嵐
🌸 雨に花散れば筋書きどおりなり
🌸 桜雨ゆうてはならぬ決意かな

三年前になる。環境部門の仕事から引退してしまう決心をしたときだ

コロナが流行り始めて 横浜に停泊していた豪華客船で大量の感染者が出たあのときだ

また何か始められるチャンスが来るだろうと 少し軽いフットワークで行こうじゃないかと考えたのだ。しかし その目論見は 筋書き通りにはいかなかった

(その二)に続く

その二

🌳振り返る

三日、三ヶ月、三年、三十年・・人生の足跡を振り返って考えることが多いという一時期があった

時代には節目があり およそ三十年の周期で 人生の転機が訪れることが多いかもと考えた
というものの 三十年という数字にがんじがらめに拘ることもなく それは十八年であっても二十四年であっても それぞれに思い当たるものもある
卒業、就職、結婚をして出産をして、子供が結婚をして出産をする
仕事を変わって暮らしぶりに浮き沈みの変化が出て 人生が開けて 人生が収束して 落ち着いてゆく

厄年に何か事件が起こることもある
偶然に父が死んで 自らは仕事をやめ新しく苦難の道を選択して それは貧困な道となり 様々な夢や希望は悉く諦めてゆかねばならない時代を過ごす

人生も折り返し点を回ったと思うときに 足跡を振り返ってみようと考える人も多かろう

🌳スポットライト

自分が生きてきた道は 輝かしく華やかなサクセスロードではなかったものの、NHKがドキュメント番組で手がけた『プロジェクトX』の如くちょっとドラマチックで情熱的なステージであったと振り返る

ステージの隅っこに居て 私は終始飾りにもなることはなく 自らの実力や能力、突進力が優れていたものでもなかった
振り返れば 同じステージにいたエキストラのようなものだった

才能が漲り迸る人々を スポットライトは 照らし続けた
だが 私の人生にはスポットライトなど当たらなかった

🌳足跡

人生は「第四コーナーを回った」と表現したり ステージの「四幕が上がった」という人もある

そんな人生でも物語にして 「滅びの文学」「どん底物語」 のような三流の暮らしを足跡として記録してもよかろうと考えた

しかし そう考え続ける段階で このこと自体の意味づけの必要性に疑問を持ち始め 周囲の無関心を想像してみれば 人生など遺跡程度に残ればいいのかもしれない と考えてしまい、始末(終活)をする思いにも変化が生まれ始めた

悲しいことに 静かに見つめれば 石に刻む文字のような記録ではなく 線香花火みたいなものかもしれない

自分の足跡は求められるものでないのなら その活かし方をもう一度考えて直してみようと思い直している

🌳 斬り捨てる

今や 過去に保持していた資格や検定や実績や名刺は 何の役にも立たないし、さらには学歴も先祖から伝統も血脈の栄光も無用で、無冠である

まさに私が昔から考え続けてきた『無人島哲学』の域に達したといえよう

つまり 孤島に一人流れ着いた挙げ句の果てには 自らで悩み考え創造し生き抜くところに 善人も悪人、富む人も貧しい人も無い、過去も未来もない

ええカッコをする、見栄を張る、嘘をつく、騙す、裏切る、見下げる、怒る

すべてを 斬り捨てるところから 始めようとしている

🌳 散る花

『願わくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃』

西行が詠んだというその歌を ツマはこよなく愛し こんなふうに死んでいきたいという

生き抜いて終わるということは そんなに美的でもないし 甘さもない と思うものの、そうは思いたくないのが人の心だ

飛ぶ鳥には ある日地上に降り立つ不安があろう

散る花には 散る間際の無念もあろう