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11/23 河村さんと一緒に深夜の飲茶会を西麻布で開催します!

同い年で河村征治さんという友人がいる。もともとは今をときめくトリュフベーカリーの丸岡くんこと、丸ちゃんに紹介してもらったのだが年齢も同い年で金沢にベースを置いているところからも仲良くなるのが早かった。ちょうどWAGYUMAFIAを作ったばかりの頃だったと思う。すぐに赤坂の僕と永山さんが作った店に遊びにきてくれたりと、その当時から行動力の速さを思い出す。縁あって彼とは西麻布の店舗を皮切りに、WAGYUMAFIAの相談役になってもらい、そしてYAKINIKUMAFIA JAPANの共同代表として一緒にこの事業を立ち上げたりもしている。そんな彼だが元々はグローバルダイニングでシェフをやっていたのだ。

当時LAのイベントで一緒に料理していたテツさんがそう聞いてきた。彼はスパーゴのエクゼクティブシェフで日本人でバリバリにやっている気合い入ったシェフだ。そう、そのときに河村さんが料理していたことを知った。今では完全に経営者の顔の河村さんが、実はパリでも修行し、タブローズのキッチンで当時テツさんとバリバリキッチンワークをしていたのだというのだ。帰国して、そんな話しを河村さんにいうと、照れ笑いしながら「あのときはテツさんと一緒にやっていましたねぇ」なんて言う。だったらツアーに参加してもらおうと、韓国のソウルツアーに飛び入りしてもらい一緒にキッチンに立ってもらった。同行していたトリュフベーカリーの丸ちゃんは「あれ、河村さん、めちゃめちゃかっこいいじゃん!」と、流れるようなキッチンワークとカツサンドのカッティングの上手さに驚いていた。あれは確か4年前ぐらいのことだろうか。

河村さんはグローバルダイニングの社長打診を断って、自分で独立する道を選んだ。表参道でアイスクリームを手売りして、そしてハンバーガーチェーンを作った。そのハンバーガーチェーンが伸び悩み、相当黎明期は苦労していたということは後から聞いた話だ。今や森山ナポリを大ヒットさせ、冒頭のLEMONADE BY LEMONICAをミラクルヒットさせと、日本でも有数のレストラン経営者でありプロデューサーだ。今ではとても信じられない話しだが、あのときの最初の苦労があって彼の今がある。当時から拡大ステージを前倒しで計算し、その指数関数的な成長を遂げられるようにバックエンドの生産ラインを整えてきていた。森山ナポリもレモニカも然り、ここは普通のキッチンだけで考えている旧態然としたシェフには絶対ない能力。まさしくクリエイティブな経営能力だ。

ちょっと昔、そんな河村さんが大きな投資をした。それはアラン・ヤウというロンドンを代表するレストランプロデューサーと組んで、ヤウメイという飲茶レストランを大手町に作ったのだ。ふらっとアランとやってきた河村さんはニコニコしながら、飲茶レストランの構想を教えてくれた。つい昨日のような出来事だ。ヤウメイではオープン直後に、とある海外を代表する経営者のプライベートの誕生日会を一緒に打たせてもらったり、僕も大好きなレストランである。そんなヤウメイチームと初の深夜の飲茶会を企画することになった。この深夜会、時短制限があけたことへの僕らなりの答え、西麻布の夜を少しづつリハビリしていこうという試みなのだが、深夜の飲茶には僕も河村さんも一家言あるのだ。だからこそ、今からめちゃめちゃ楽しみな企画だ。

そしてもうひとつ。「河村さん、深夜会の前に久しぶりに料理しませんか?」そんな僕の悪巧みに即座に「いいですねー」と即答のOK返事。テーマは勝手ながら、河村さんの料理のベースになっているフランス料理、パリのビストロである。僕も久しくパリには戻れていない、パリといえばビストロである。西麻布に飲茶が始まる前に、ちょっとだけ河村シェフと一緒にパリのビストロを作り上げていきたいと思う。今日から募集開始、ぜひお時間に余裕がある方は僕らの料理とトークを味わいにいらしてほしい。若手の料理人で経営者になりたい人とか、真面目に河村さんと直で話せるチャンス、しかも彼が料理するレアなタイミングで、絶対話し聞いた方がいいですねー。


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