握りだけの町寿司デビュー
握りだけ食べて、ガツっと飲みたい時がある。
そういう時にオプションがことごとくないことに気づく。かつて町場の寿司屋はたくさんあった。それは大衆向けの飲み屋だった。小さい時、親父に連れられてそういう店によく行った。ガキだったのにナマコ酢が何故か好きで、大将から笑われたことを覚えている。あの喧騒感、そして値段が明記されていないネタ札。全てが好きだった。
大衆寿司屋に行く。酒は飲めるんだけど、ネタが寂しい。席数が多いからカウンターに座っても、握り手はセットメニューを握りまくっている。もちろん会話も少ない。それはそれで好きなんだけど、いつか子供の時に行ったような町寿司を作りたいなぁと思ったのだ。
昨日はそんな僕らの町寿司のデビューだった。立ち食い、一枚板。隣り合ったゲスト同士が名刺を交換しだした。不思議な空間だ。誰も言っていないのに隣同士が挨拶し合うという、コミュニケーションを取りやすい距離なのだろう。
握りを通して会話がある、酒を通して会話がある。カウンター越しの会話、ゲスト間の会話。そして真剣に握りを味わうゲスト。子供の時に感じたあの世界はこんな感じだったんだろうなと思うのだった。
いつしか寿司は高級食になった。安い寿司は機械が握り、魚も世界から冷凍で調達するようになった。この寿司屋は椅子もなく、小さく、そして決して安くない町寿司だ。町寿司だから、立ち食いだからの免罪符を魚のクオリティ、シャリのクオリティ、酒のグレードに与えない。軽くつまみたいゲストもいる、ガツっと食べたいゲストもいる。
そして何よりも楽しみなのは日々開発される新しい握りたち。赤貝の紐を水引のあわじ結びのようにして、サクサクのきゅうりに千切りとパンチがある安曇野のわさびを気持ち多めに。きゅうりが上か、赤貝の紐が上か。そんな議論を僕らを照寿司の渡邉さんと食べながらする。とにかく寿司好きだから出来る会話だ。そんな日々の創作から新しい握りが誕生する。
寿司はもっとフリースタイルでもっと美味くなるはずだ。