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予約の要らない町寿司の魅力

寿司好きだ。僕ら世代は回転寿司が伸びていったタイミングで幼少時を過ごしている。鮨が急速に身近になるのと同時に、町寿司がまだまだ元気だった頃の話だ。

「鮨屋っていうのは値札がないんだ、時価っていうんだけど支払いのときに幾らになるかわからないんだ。」

こんな僕の親父の誇らしげな一言が今でも頭に残っている。それはそういうお店を一軒でも行きつけにするのが大人というもんだ、という彼なりの英才教育だった。上智大学の教授をしていた親父は当時有名だった鮨屋に時々足を運んでいた。その高級鮨屋のネタと地元のネタが違いすぎると、「頑張っていいネタを買えばいいのに」と常に言っていた。

今思うと、それがとても難しい話というのがよく分かる。町寿司の価格で高級なマグロやウニなどはなかなか揃えられないし、そもそも地元客にニーズがないのだ。幼少期の親父の一言が忘れられなくて、アメリカから戻ってくると食事はほとんどを寿司につぎ込んだ。いわゆる高級な名店というところに足を運び続けた。そして全国をまわった。

WAGYUMAFIAが始まってから、世界を飛び回るようになった。それも突然決まることもあり、食事の先の予約をするのがとても億劫になった。とある先輩から3ヶ月前に誘われていた鮨屋に同行することを1ヶ月前にキャンセルを入れないといけなかった。それは困るとその先輩は言った。おそらく一緒に食べるのを楽しみにしてくれていたのだろう、非常に申し訳なかったがその時僕は海外での自分の仕事を優先した。その1軒以来、1ヶ月先の予定は仕事以外はいれないというルールを決めた。

海外から戻ってくると必ず食べたくなる寿司の味。そこから僕は当日でもフラッと立ち寄れる町寿司の魅力にハマッていく。昔、寿司というのは握りだけを食べてからさっと帰っていくのが粋、そんな世界だった。いつしか寿司が世界コンテンツとなり、ミシュランの代表カテゴリーとなり、日本料理のような一品料理が挟まれるようになった。

ニューヨークのなだ万でお世話になっていたとき、寿司職人だった板前さんは「あいつは沖職人で、料理人じゃないから」と兄弟子に言われていた。90年代の話だが、そこから30年語、沖職人というレッテルは完全に死語になったのだろう。そして寿司職人のプライドもいつかは日本料理代表へという方向に向かったのかもしれない。その流れは素晴らしいことで、否定をするつもりも毛頭ない。

とにかく、寿司好きは握りを食べたい。それは若かりし頃、寿司に散財して色々と巡った僕なりの一家言だ。とにかく握りしかない、コースではなく昔ながらのアラカルトで旬の魚を教えてもらいながら、手際よく握ってもらうあの町寿司の感覚が大好きなのだ。

親父の昔の教えにはなかなかこたえられそうにないなぁっと、値札をみながら思うのだった。

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