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世界で一番繊細なグラスを訪ねて

一つのグラスが割れると一人分の利益が吹っ飛ぶ。そんなグラスをWAGYUMAFIAスタート時から使っている。それが松徳硝子が作りだす「うすはり」である。とにかく雑な使い方をすると簡単に割れる。なんどもスタッフから変えたいという要望をもらったが、かたくなに変えなかった。僕らはとにかく薄さを高さにこだわった。その結論が松徳硝子だった。

当初から工場に行きたいと思っていたのだが、なかなかルートもなく一度も工場も見られていないグラスサプライパートナーだった。そんな折、うちのウィスキーバー、THE HIGHBALLSで飲んでいると同席していた長野屋の林さんが急に熱く語りだした。彼が見せてきたのはリーデルが作ったコカ・コーラグラスである。マリリン・モンローのシルエットのようなシェイプだ。これで飲むとハイボールのような泡モノは絶対美味しいといいだす。僕は個人的に機能性を追求するよりは、デザインを極力優先するタイプの人間だ。最初ピンと来なかったが、忘れた頃に連絡があって松徳硝子に行きましょうという。

え?

それは即答で「いきましょう!」ということになる。以前の錦糸町近くの町工場は、南千住の真新しい工場に変わっていた。ここには「大林」という頑固オヤジがやっている居酒屋があって、何か変わったことをしていると「あーだこーだ」説教されて入店拒否されるという、レトロ昭和でなく、昭和がまだ平成と令和になったことを忘れたような場所である。扉を開けると、そこに社長の齊藤能史さんはいた。応接間の肖像画をみて、林さんは「あれはお祖父様ですか?」と尋ねる。そうすると「いや、僕は家族じゃないんです。ちょうど廃業するか迷っていたという創業家から、松徳硝子を引き継ぐ形で社長になって。借金もついてきましたけどね。」とニコニコされて話している。廃業の危機に陥っていた松徳硝子をクリエイティブの力でここまで持ってきた牽引者だ。

「斜陽産業なんです。もう吹きをしている硝子工場は2軒のみ。」昔は100社ほどあった硝子瓶屋も10社になった。原料となるハイシリカでさえも、山で爆破させながら切削していく危険な作業のため、どんどん原産国が変わり、インドからスリランカへと移っていった。操業は朝の8時〜午後の4時、そして午後の4時から一晩かけて溶融していく。炉の温度は1300−1500度。年中通してその火が消えることはない、一度消えると立ち上げるのに3週間はかかる。だから溶融部のスタッフは年中無休で番をする。火を灯し続けることは、燃料代がかかることも意味する。

「一度消したら廃業となり、今はマンションオーナーになっている元硝子屋さんばっかりですよ。」

吹き職人17人、もしも廃業したら再雇用先はない。もうこの仕事はここにしか残っていないのだ。だから「継いだんです」という齊藤さんの言葉は熱かった。函館生まれの彼は僕と1歳違いだ。デザイン会そしてGLOBALにいた彼は2010年に松徳硝子に入社する。

ステムとフットがついている珍しいグラスを発見した。聞いてみると、ステムとフットを作ることができた熟練工の退社に伴い、もうこの型は作ることができないと言う。そしてこうも告げた。「日本のグラスとして足が付いているというのはどうしても西洋のデザイン。カタカナで海外の言葉をしゃべっているような感じでしっくりこないんですよね。」

聞けば3000円クラスの機械製造の硝子のクオリティがかなり上がってきているという。家では普通にDURAREX使いますしね、マシンメイドがいいハンドメイドがいいっていうのはなく、ハンドメイドとして生き延びるためには手作りでしか出来ない仕事をしていく他はないと。

僕らWAGYUMAFIAが使っているグラスは上代で7000円ぐらいのグラスだ。いつもマシンメイドだとその半分になる、そして大手だともっと安く提供してもらえる。売上もついていないときにパーティでアクシデントが起こり、12脚が粉々に割れた。その時、マシンメイドに変えるか、どうするか僕としても瀬戸際の選択を自分にしたと思う。それでも僕はハンドメイドにこだわった。自宅で使っていて最高だと思うものを、ゲストにも使ってもらいたい。

正直、僕の中で解を見つけることが出来ていなかったわけだ。ただし薄い繊細なグラスを割れるからといって、簡単に妥協していたら他のすべてを妥協しだすだろうという自分への暗示でもあった。

今日、松徳硝子に行けてよかった。信じていたものが、やっぱり大切なものだったと再確認できたのだった。

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