鼻中隔矯正術と後鼻神経切断術をというマニアックな手術を受けてきた話
このコロナ禍のうちに計画入院を3回している。みんなから笑われる。ただ、こんなタイミングじゃないと計画入院なんて出来ないのだ。大抵の人もそうだし、僕もだけど自分のことは後回しでいいかなーっと思ってしまう。それがこのコロナ禍から学んだ新しい教訓に再考させられる。「インナーなフォーカス力を鍛えろ」と一点だ。なんのことはない、そのトレーニングの一環での入院だ。しなくてもいいが、した方がいい手術。その全てはQOLの向上に繋がる。40代を過ぎて色々と起きる体の変化に素直に耳を傾けてきた上での僕なりの結論でもあった。3回のうち、2つが全身麻酔が要する手術だ。一昨日受けたばかりのこの鼻中隔湾曲症の矯正手術だけは、正直ビビっていた。無呼吸症候群治療で始めたCPAPにて改めて鼻呼吸が苦手であることを理解した。鼻中隔とは、通常思春期までの軟骨と骨の成長スピードの違いから湾曲する。正確にいうと「鼻中隔軟骨」「篩骨正中板」「鋤骨」この3つの組織の成長スピードが違うから誰でも大抵少しは曲がっている。僕の場合は、ここに喧嘩でワンパン食らって折れたのと、アメリカでバスケ時代に肘鉄を二回食らって二回折れたのと、そして自らのレストランのガラス扉に鼻からダイブして折れたのと、人生である程度の数折れている。だからCTを取ったら、担当医はこれはーと笑っていた。「これだと呼吸はしにくいでしょう?」はい。そして僕の場合はアレルギー性鼻炎もあるので、鼻詰まりに拍車がかかった状態だ。でも、全身麻酔と同手術も体験者による様々な激痛エピソードで僕は逡巡していたのだ。そんな俺ビビっているんだよね的な話をCPAPでお世話になっている聖路加の三上先生にうちのバーでウィスキーを飲みながら話したのだった。即座に三上さんは「僕だったらやりますねぇ」と力強い後押し的な返事をいただく。酒が入っていたことも手伝って、そうだな、やらないことを考え続けるよりもやってから考えた方が早いと思って、すぐに主治医に相談してその半年後の今週入院するという手続きを取ったのだった。
水曜日に手術をして、当日は完全に鼻呼吸が出来ない状態になる。初めてスキューバダイビングして、パニックになりそうなあの感覚と似ている。特に僕の場合は、CPAPでこの半年間、鼻呼吸訓練を無意識にしていたからなおさらだ。ただ不思議なのは、鼻呼吸ができなくなると他の感覚に気づくということだ。嗅覚を失った中での食べ物、飲み物の当たり方。そして鼻と耳は通じている、聞こえてくるコルトレーンの音も変わる。今までの計画入院すべてが辛いものだったが、それでも学び多きところはこういうところだ。おにぎりプロジェクトをするようになってから、病院の方々からも声をかけてくれることが多い。いつもながらその人生を医療業務に捧げている人たちには頭が上がらない。おにぎりを続けるモチベーションみたいなものも、この鼻呼吸ゼロの状態だからこそ考えられるのだ。本来だったら長い入院になる予定だった。ただ、僕にはその時間がなかった。急遽海外のパートナーが日本にやってくるという連絡が入ったからだ。担当主治医にその旨を伝えるとテキパキとその段取りを組んでくださった。そして退院半日前の夜、鼻の中の詰め物を取ってもらった。前情報ではここが激痛ポイントらしい。並べられた鉗子をみて、ゴクリをツバを飲む。こういうときは「30秒後には別世界」と言い続けることにしている。バスっと鉗子でひっぱると筒状の綿がグイーンとでてきた。変な感じではあるが、そこまで激痛というわけではない。するとどうだろう、せき止めたトンネルから水が流れ出すかのような清涼感に襲われるのだ。マイクロスコープで傷をチェックされる、あれ、当たらない。そう今まではPCRテストでも綿棒をつっこまれたら必ず当たっていた粘膜の壁面に全く擦れないのだ。ここがマニアックな話でいうと多列線毛円柱上皮といって、当たると痛いのだ。鼻毛がある部位と組織が違うのだ。
思わずインナースコープを入れてくれている先生に「わー本当にまっすぐになっている」と伝えた。おそらく健常者はこんな息の吸い方が出来るのであろう。僕もそれを長い年月をかけて知ることになるのだった。ここからすぐに完治ということではない、だいたい1ヶ月ぐらいかけて完全な状態になるらしい。僕の場合はせっかくの手術だったので、あわせて下鼻甲介の後ろの方に存在する血管周りをまとめて走る神経を切ってもらうという手術もあわせて行ってもらった。後鼻神経切断術だ。3年で神経が戻ってしまう人もいるらしいが、若きその先生曰くビシッと切っておいたので大丈夫だと思います、と力強いコメントを頂いた。
この手術は全身麻酔特有の倦怠感と術後の呼吸部分が大変だが、僕のようにインナーフォカスをしたい人にとってはぜひ受けてもらいたいと思う手術だ。