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会津ソースカツ丼を食べながら、日本のソースの歴史について考える

朝4時半起きで5時からおにぎりを作る大人たちである。会津中央病院に出来立てのおにぎりをお届けした後に宮泉名醸の皆さんに連れて行ってもらったのが、いつもの会津名物ソースカツ重である。

到着するやいなや、ソースについての質問を矢継ぎ早にされる一緒に同行している成澤シェフ。終わりなき探究心に敬服である。僕らのWAGYUMAFIAでも例のカツサンドにもソースを使い、幻の鉄板料理屋でもソース使う。前者は完全自家製で、後者は市販のソースを1年かけて選んでブレンドしている。

そもそもソースはどうやって日本にきたのか?そしてなぜ会津の地でソースカツ丼が生まれたのか?

日本のソースの歴史はもとを辿ると明治時代まで遡る。一説によると江戸時代後期という説もあるが、明治に開国してからという線が正しいだろう。起源となるのがウスターソースだ。イギリスのWorcestershireの州都ウースターで生まれたソースだ。カクテルなどでも使われるあのオレンジ色のラベルのリーぺリンソースが代表選手だ。もとは残った野菜や果物の端材を保存するために塩漬けにしてビネガーを入れたという生活の工夫から偶発的に生まれたソースらしい。先のリーぺリンソースは、化学者2名の苗字リーさんとぺリンさんから取っていて、英語ではLea & Perrinsソースと呼ぶのが正しい。

そんなウースターソースが日本にやってきて、日本人特有のローカライズがなされるのは明治末期から大正時代初期。コートレットなるフランス料理がトンカツに生まれる変わる時だ。元来醤油というソースを持っていた日本、すでに認知が広がっていたウースターソースにも漬けて食べるというスタイルを求めた。独自の改良が加わり生まれたのが、醤油メーカーの参入。そして第一次世界大戦の戦後景気に伴って続出した新興ソースメーカーだというから面白い。ウースターソースをベースに醤油を混ぜてそしてトンカツなどのフライに絡みやすくとろみをつけた。特濃ソース、中濃ソースと醤油の代わりとして漬けて食べるソースとしてのローカライズが進んだのだった。

そんな会津のソースカツ丼だが、そのルーツは色々とあるが、有力な説は、大正時代に花ひらいたこのソースの独自進化と深い関連がある。ドイツ留学帰りが開いた早稲田に開いた「ヨーロッパ軒」がこのソースカツ丼を生んだ。震災後に故郷の福井に戻って総本店を開いたことで福井県はソースカツ丼が有名だ。福井経由だったのか、それとも東京早稲田経由だったかはわからないが、昭和初期に会津に誕生したのが、先程平らげてきたソースカツ丼なわけだ。会津では千切りしたキャベツに乗せる。そしてお重になっているというところからも、蒲焼をモチーフにして生まれたという新たなルーツ説も彷彿とさせる。愛すべき地元料理だ

特濃、中濃、とんかつ、焼きそば、お好み焼き、オリ。今日、僕らが見るウースターから生まれたジャパニーズソースたちは実に大家族のようだ。それだけ長い時間で育んでいった伝統的なソース郡ということが言えよう。

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