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紙コップのような官能的な器

軽さは正義である。そして薄さを追求することは実に官能的な行為だと思っている。だから僕はそれを求める。多くの人達がそれは無理と断る、何故か引き受けてくれたところはとにかく一緒に悩んでくれる。おぼろげなデザインがあがり、そしてそこから詰めていく。そう器の話だ。

軽さは脆さだ。数々の失敗を繰り返して、この薄さを生み出したのだろう。そこから僕は肌触りを求める。だから釉薬を内側のみに塗ってもらい、外側は質感を残した。幼い頃に障子紙から伝わる太陽のぬくもりを覚えているからだ。あのときの紙の質感を追い求めた。

そう薄さは2つの異なる空間をつなげてしまうそんな魔法を持っている。熱々のお湯を注げば、まるでお湯を掴んでしまったかのような熱さにびっくりする。指はすべてのセンサーであり、だから僕は指を使って料理することが多い。もちろん、普通に熱い。その熱さを人間が持つ一番敏感なセンサーで感じることが、嗅覚と味覚よりも優れた感覚だと思っている。

昨日からその紙コップのような器を使っている。井崎英典さんと長年温めてきた妄想喫茶をいよいよ具現化する。そのために全く新しい発想の器が欲しかった。僕はいつも自宅をまずは妄想の中でレストラン化する。だから機材も含めてありとあらゆるものがこの部屋に集まってくる。太陽の光を透過させる、そんな美しい器だ。色々な作家にお願いしたが、ことごとく断られてきたこのプロジェクトを、大堀相馬焼松永窯の松永武士さんが僕らのお願いを長い年月かけて諦めずに取り組んでくれた。

大震災に見舞われた浪江町、自然の猛威で凄まじい被害にあった工房を前に、僕は言葉に変換するすべての機能を失った。思えばそこから全てが始まったのだと思う。新しい相馬焼も温度を意識させる器に仕上がった。伝統は温度を忘れ、僕らの器はその温度を再び伝え始める。皆さんにこの器を使ってもらうことがとても楽しみだ。


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